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黄金の波と、届いた風


 かつて、この地を覆っていたのは、すべてを飲み込み、腐敗させる泥濘(でいねい)の色だった。

 重く湿った、死の匂いが立ち込める暗い灰色。それがシュヴァンプ領であったはずだった。


 しかし、今、目の前にあるのは――。


「……すごいな。本当に、黄金に見える」


 誰かが感嘆の声を漏らした。

 見渡す限り広がるのは、波打つような稲穂の海だ。秋の柔らかな陽光を浴びて、一粒一粒が宝石のような輝きを放っている。

 かつては底なしの沼だったその場所には、今や緻密に設計された排水路と灌漑(かんがい)設備が張り巡らされ、適度な水分を保ちながら、大地を「生きた土地」へと作り変えていた。


 風が吹き抜けるたび、稲穂がさらさらと音を立てて揺れる。その動きは、まるで黄金の波が押し寄せてくるかのようだ。


「ほら、手を止めるな! この瑞々しいうちに刈らねぇと、せっかくの収穫が台無しだぞ!」

「分かってるって、親父! 今日は最高の天気なんだからさ!」


 威勢のいい声が、収穫作業に勤しむ村人たちの間から響き渡る。

 重い泥に足を取られ、常に飢えと病の恐怖に怯えていたかつての住民たちは、もうここにはいない。彼らの瞳にあるのは、自らの手で掴み取った「実り」への、純粋な喜びと誇りだった。


 刈り取られた稲が山のように積み上げられていく。

 その光景は、単なる農作物の収穫ではない。それは、フリド・シュヴァンプという男が描き、実行した「構造」が、ついに生命として結実した証であった。



 ――場所は変わり、フレイン家の領内にある静かな執務室。


 窓の外には、発展した都市の秩序が見て取れる。

 そこにはシュヴァンプのような劇的な変化はないが、安定した豊かさがあった。

 その静寂を破るように、控えめながらも礼儀正しいノックの音が響いた。


「――失礼いたします。ダーヴィト・エルムにございます」


 入ってきたのは、商会を率いる商人、ダーヴィト・エルムであった。彼は手慣れた手つきで、丁寧に梱包された荷を机へと並べていく。


「お待ちしておりましたわ、ダーヴィト。今期の品々は、無事に届いたのね」


 フレイン家の令嬢は、書類から目を上げ、柔らかな微笑みを浮かべた。

 ダーヴィトは恭しく一礼し、包みを開けていく。


「はい。今回お届けした極上の香辛料と、南方の織物……。貴家におかれましては、ぜひ吟味していただければと」


 令嬢は、届けられた品々を一つひとつ確認していく。鮮やかな色彩の布地や、芳醇な香りを放つスパイス。商人の選ぶ品は常に一流であり、彼女の期待を裏切ることはない。

 しかし、検品が進むにつれ、令嬢はダーヴィトの視線が、単なる商品の納品に留まっていないことに気づいた。


「……どうしたの? 品物に何か不備でもあったかしら」


 ダーヴィトは一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに商売人特有の、含みを持たせた微笑を浮かべ直した。


「いえ……品物は完璧にございます。ただ……つい、別の『価値あるもの』についても、お伝えしたいことがございまして」


 彼は少しだけ声を低め、周囲に誰もいないことを確認するように視線を巡らせた。


「……最近、物流の端にある『シュヴァンプ領』について、耳にされませんでしたか?」


 令嬢は、ふっと眉をひそめた。


「あの、誰もが忌み嫌う泥濘の地……? あの不毛の地に、何があるというの」


 貴族の誰もが開拓に失敗した不毛の土地。

 フレイン家の遠縁の貴族も開拓の名乗りを上げたことがあるが、1ヵ月もしないうちに逃げ帰ってきた。


「それが……、最近では『奇跡』などと囁かれることもあるのです。かつては通行すら困難だったあの湿地において、驚くべき規模での土地改良と、物流網の整備が進んでいるという噂がございます」


 ダーヴィトは畳みかけるように続けた。


「単なる道ができた、というレベルではございません。水路、木道、そして排水……まるで、土地そのものの性質を書き換えているかのような動きを見せているのです。もしこれが事実であれば、シュヴァンプは近いうちに、この地域の新たな交易の中心地となるでしょう」


 令嬢の瞳に、微かな緊張と好奇心が走った。

 農業を基盤とし、交易の重要性を知るフレイン家にとって、もし「誰も住めなかった土地」が「価値を生む土地」へと変貌しているのだとしたら、それは見過ごせる事態ではない。


「……水路と道。ただの開拓にしては、あまりに大胆な動きね」


「左様でございます。周囲の商人たちの間でも、警戒と期待が入り混じっております。もしその『構造』の正体が判明すれば、周辺の勢力図すら塗り替わるかもしれません……」


 ダーヴィトは、そこまで話すと、あくまで商人の立場として一歩退いた。

 令嬢は、届けられた香辛料の香りに包まれながら、遠く離れた湿地の様子に思いを馳せた。


 まだ見知らぬ遠い湿地帯。

 そこに、一体どのような「力」が働いているのか。


「……面白いわね」


 彼女は、手にした布地の端を指先でなぞりながら、静かに呟いた。


「……直接、見に行くとしましょう」


そろそろ貴族編が始まる……的な話。

ここまでは最初から考えていたのですが、ここからどうするかは未定です。


衣食住と治安、兵士だけで最強の街たりうるのか?

と思うと、まだまだやるべきことがあると考えています。


いくつか案があるものの、どう組み合わせるか悩み中……。

(このあとがきを書いているのも1週間以上前なので、もしかしたら普通に次が始まってるかも)


楽しんでいただければ幸いです。

よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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