新しい住民
重苦しい湿気と、戦いの余韻を残す泥の匂いが立ち込める。
数時間前まで、水門から溢れ出した奔流がすべてを飲み込み、敵の進撃を物理的に断ち切っていた。
あれほどの濁流に呑まれ、泥濘に足を取られた敗残兵たちは、今や丸太の柵と木道の封鎖によって、完全に捕縛されていた。
シュヴァンプの街――いや、この拠点に漂う空気は、勝利の歓喜というよりも、もっと重く、実務的な静寂に近い。
「……これで、ひとまずは落ち着いたな」
ガルムが、泥まみれの剣を鞘に収めながら呟いた。
彼の背後では、村人たちが泥の中を動き回り、傷ついた者たちの手当てや、破損した木道の補修作業に追われている。
捕縛された元盗賊たちは、太い丸太や縄で拘束され、逃げ場のない中州のエリアに集められていた。
彼らの目はまだ鋭く、周囲の住民を、獲物を探す獣のような目つきで睨みつけている。
「落ち着いた、と言えるかどうかは、この後の『処理』次第だ」
フリドは、自身のステータスウィンドウを確認した。
魔力の残量は、戦闘前に行っていた大規模な水門操作や地盤制御、戦闘中の魔法発動によって大幅に減少している。
……が、それも通常の人であれば、だ。
フリドにとっては1割にも満たない魔力しか消費していない。
避難した住民たちの間には、恐怖が残っている。
どれほど見事な戦術だったとしても、目の前で自分たちを襲った「人」が、今や「仲間」になろうとしているのだから。
「ガルム」
「はっ、領主様」
「彼らをただの囚人として扱うのは、非効率だ。……食料と居住区を与える代わりに、この街の『機構』の一部として組み込む。準備を」
ガルムは一瞬、驚いたように目を見開いた。
敗残兵を、敵として処刑するのではなく、都市の構成要素として再定義する。
それはフリドらしい、あまりにも合理的で、そして冷徹な判断だった。
「……教育係を引き受ける、ということでございますな?」
「ああ。彼らの武力と、周辺地形への知識は、これからの治安維持において『有用な部品』になる」
――数週間後。
捕縛された者たちの待遇は、劇的に変化していた。
彼らに与えられたのは、豪華な食事でも特権でもない。
泥にまみれた作業着と、重い荷運び、そして昼夜問わず行われる山道の巡回任務である。
かつて略奪を繰り返していた手は、今や水路の清掃や、新しい杭打ちの補助、さらには街の境界線の監視へと向けられていた。
飢えに苦しんでいた彼らにとって、施される食事と、戦う必要のない「仕事」は、抗いがたい誘惑であった。
ガルムによる訓練は苛烈を極めた。
元兵士としての経験を活かし、乱暴な癖を矯正し、都市のルールに基づいた「警備隊」へと作り変えていく。
ある日の夕暮れ時。
任務を終えた一人の男が、泥に汚れた顔を拭いながら、訓練場を見つめて立ち尽くしていた。
かつては略奪の隊長として恐れられた男だ。今は、首に街の紋章を刻んだ警備用の革帯を巻いている。
傍らにいた別の元仲間が、自嘲気味に笑いながら話しかけた。
「おい、見てみろよ……あいつの面を見ろ」
「……ああ。まるで、最初からこの街の飼い犬だったみたいじゃねぇか」
男は、遠くに見える領主館の灯りと、整然と配置された水路の光を、複雑な表情で見つめていた。
かつて奪おうとした「富」が、今や自分が守るべき「義務」へと変わったのだ。
男は、短く吐き捨てるように呟いた。
「……まさか警備する側になるとはな」
その言葉には、諦念と、そして微かな安堵が混じっていた。
シュヴァンプという新しい構造体に、新たな細胞が組み込まれた瞬間だった。
その後……的な話。
楽しんでいただければ幸いです。
よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




