襲撃開始
湿地帯の朝は、いつも重い霧と共に訪れる。
しかし、その日の霧は、いつもとは異なる「色」を帯びていた。
朝霧の向こう側、各地に配置された監視所から、次々と立ち昇る黒い狼煙。
それは、静寂に包まれていたシュヴァンプの平穏を切り裂く、侵攻の合図だった。
「……来たか」
空を渡るフリドは、低く呟いた。
背後で、随伴するガルムが険しい表情で前方を見据えている。
事態は明白だ。平和な交易の拡大は、同時に、略奪者たちの飢えを呼び寄せることでもあった。
「急ぐよ、ガルム!」
「承知いたしました!」
フリドは魔力を練り、飛行の速度を上げる。
緊急事態だ。都市の機能を停止させず、かつ被害を最小限に抑えるための「初動」が求められる。
領主館に降り立つや否や、フリドの背後からガルムの鋭い怒号が飛んだ。
「報告!」
動きは異常なほど早かった。
着陸と同時に、警備隊の隊員たちが、まだ震えが止まらない足取りで集まってくる。
「報告! 監視所および新宿屋街予定地より狼煙を確認! 伝令によれば、大規模な集団がこちらへ向かって移動中……数は、少なくとも数百はあります!」
報告した隊員の喉は、恐怖でかすれていた。
この都市にとって、これは初めての「組織的な襲撃」である。
それも、数十人規模の小競り合いではない。
数百という数は、軍事的に言えば一つの中隊に匹敵する規模だ。
フリドの脳内では、瞬時に状況の解析と、既存のリソースを用いた配置案が構築されていく。
隣でガルムが、すでに司令官としての顔になっていた。
「……全員、聞け! 混乱するな、指示に従え!」
ガルムの命令は、無駄がなく、極めて的確だった。
「ここにいるメンバーを、4グループに分ける!」
「第1グループ! お前たちはここを中央司令部とし、各地から入る情報を集約・整理しろ!」
「第2グループ! 住民の避難を開始させる! 宿場街から人々を、安全な主要水路側へと誘導しろ! 運送担当には、全ての舟を速やかに港へ回収させよ! 併せて、アイヴィー様など、魔法を使える者たちをここに招集せよ!」
「第3グループ! 予備の警備隊員へ声をかけ、全員を集結させるぞ! とにかく人数を揃えろ!」
「第4グループ! 武器の準備だ! 弓矢を順次配備し、外周沿いに兵を配置しろ! 特に石橋と木道の要所には、重点的に兵を並べろ!」
「「「「はっ!!」」」」
警備隊員たちの返声が、館の広間に響き渡った。
恐怖に支配されていたはずの彼らが、ガルムの強固な指揮と、フリドの冷静な背中を見ることで、戦うための「覚悟」を決める。
これまでの訓練と、インフラ整備に伴う治安維持制度の成果が、今まさに試されようとしていた。
――……‥‥‥・・・・・・
湿地帯の外縁部、放棄された廃村。
かつては誰かの生活があったその場所には、いまや敗残兵の成れの果て、盗賊団の略奪の火が灯っていた。
彼らを束ねる元騎士の男は、冷徹な眼差しで、霧に煙る宿場街の方角を見つめていた。
斥候を先行させ、あらかじめ予定していた地点へ火を放たせた。
だが、敵の陣営から、慌てて動く人影は見当たらない。
「……ふむ。襲撃を予期して、あらかじめ避難させていたのか? 恐ろしく早いな……」
男は眉をひそめた。
優れた偵察部隊がいるのか、あるいは指導者に先見の明があるのか。
もし、敵がこれほど迅速に動けるのであれば、短期決戦ではなく、持久戦を強いられることになるかもしれない。
――だが、彼らは知らない。
それが予期された防衛などではなく、フリドが以前から淡々と推し進めていた『宿場街化計画』に伴う、計画的移住の成果に過ぎないということを。
すでに住民の移転が終わっていたタイミングに、彼らが勝手に飛び込んできただけなのだ。
フリドの緻密な都市計画(インフラ整備)は、結果として、敵の「奇襲」や「人質作戦」という戦術そのものを、戦う前から完全に無力化していたのである。
「……ふむ。どうやら外縁部での避難は、我々の想定通り進んでいるようだな」
男の視線が、遠く、以前から使われていた宿場街へと向けられる。
主要な山道から、別働隊が進行しているはずだが、まだ到着していない。
遠目には、村人や教会の人々が次々と都市へ移動していく喧騒が見える。
しかし、男の目は、彼らの「弱点」を的確に捉えていた。
「……やはり守りは薄いな」
都市の外縁沿い、疎らに配置された兵たちの姿が見える。
だが、この規模の発展を見せている都市に対しては、あまりにも数が少なすぎる。
装備も、矢を射るだけの弓兵が中心で、練度も低いように見える。
何より、決定的な欠落があった。
「魔法使いらしき影が、どこにも見当たらない……か」
強力な攻撃魔法を持つ術師がいなければ、集団の突撃を止めることはできない。
兵の数も乏しく、装備も貧弱。一見すれば、そこにあるのはあまりに「美味しい」獲物だった。
目の前に広がる、新しく整備された石橋や木道。
敵の視点から見れば、それらは逃げ場を塞ぐ壁ではなく、むしろ自分たちの進軍を容易にする「舗装された道」に過ぎなかった。
「……攻略は容易い。全速力で突撃し、あの富を奪い取るぞ!」
盗賊たちの野望が、湿地の霧の中に溶け込んでいく。
彼らはまだ知らない。
自分たちが「侵入しやすい道」だと思っているその構造こそが、フリドによって設計された、逃げ場のない「罠」へと変貌しつつあることを。
激突はもうすぐ! 的な話
襲撃が始まり、それぞれの戦いが迫ります。
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