泥の鉄、沈む木
夕刻の運河には、泥の匂いと、湿地特有の湿った風が流れていた。
新しく整備された内部水路を、小さな舟がゆっくりと進んでいく。かつては泥濘に足を取られていた場所が、今では制御された「道」として機能し、物資を運ぶ血管へと変わりつつあった。
領主館のテラスに、フリドは椅子を並べていた。
向かい側に座るのは、先日、外部の交易路の存在を告げた行商人、ヴァルド・レインだ。
彼は手元の小さな帳簿を閉じ、満足げに、しかしどこか計算高い表情で、暮れなずむ湿地を見つめていた。
「……驚いたよ、旦那。あんたがこの数ヶ月でやってのけたことは、魔法の力だけじゃ説明がつかない。この水路の作り、そしてこの『道』の繋ぎ方。……まるで、最初からこうあるべきだったと言わんばかりの理屈だ」
「ただ、効率を求めた結果です」
フリドは短く答えた。
視線の先では、ガムルが水路の縁に設置された木製の防舷材の緩みを点検している。
ヴァルドを呼んだのは、湿地資源の「外部価値」を確認するためだ。
「効率、ねえ……。だが、その効率が、俺たち商人にとっては『限界』の提示にも見えるんだ」
ヴァルドが、濁った水面を指差した。
そこには、先ほど通り過ぎた舟が、湿地特有の荷を積んで進んでいた。
「あんたのところにある『沼鉄』や『重檜』……あれは、見つかれば宝の山だ。だがな、あれは『扱いにくい』。……あんなに重いものを、この湿地帯から持ち出すには輸送コストがかかりすぎる。……今の規模じゃ、商売としては『見送る』のが賢い選択なんだよ」
フリドは、無言で水路を見つめた。
ヴァルドの言葉は、極めて現実的な商人の判断だった。
沼鉄も重檜も、一たび外の世界へ流すことができれば莫大な利益を生む。しかし、現在の「小規模な運河」と「補助的な木道」というインフラの範囲内では、その輸送リスクとコストは、得られる利益を上回ってしまう。
「……つまり、今のインフラでは、これらは『まだ動かせない資源』だということですね」
「ああ。だからこそ、今は……あっちの『薬草』みたいな、軽くて、価値が高いものが重要なんだ。あれなら、今の舟でも、今の道でも、十分に利益が出る。……まずは『軽くて強いもの』で外との繋がりを太くし、外から金と物資を呼び込む。それが先決だ」
ヴァルドは、フリドの反応を伺うように、ニヤリと笑った。
フリドの頭の中では、即座に「物流の優先順位」の再計算が始まっていた。
現在のインフラ(点と線)が対応できるのは、軽量・高付加価値な物資。
将来的に拡張すべきインフラ(面)が対応すべきなのは、重量・大量輸送を前提とした基幹物資。
今、無理に重たい資源を動かそうとすれば、せっかく築き上げた新しい水路も木道も、すぐに疲弊し、崩壊してしまうだろう。
「……分かりました。現段階では、軽量で高付加価値な物資を優先して外へ流すべきですね」
フリドは、水路を見つめながら続けた。
「薬草、乾燥保存した食料、織物、加工品……。現在の輸送能力でも利益を確保できる産業を、先に育てる」
フリドの瞳に、冷徹な分析の光が宿る。
物流の優先順位を設計する。
「何を運ぶか」を決めることは、「次に何を作るか」を決めることと同義だ。
「……なるほどな。普通の領主なら、見つけた資源をすぐ売りたがる」
ヴァルドは、感心したように肩をすくめた。
「だが、あんたは先に“土地を太らせる”気らしい。……あんた、案外、商売の勘があるじゃないか」
ヴァルドは面白そうに、手元の帳簿を広げ直した。
夕闇が、領地を包み込んでいく。
価値ある資源の発見。そして、露呈した物流の限界。
フリドの視界には、今、膨大な魔力を注ぎ込んで作り上げるべき、次なる「強固な物流基盤」の構想が、幾何学的な線となって浮かび上がっていた。
外部とのつながりがあるなら、村人たちにもっといい暮らしをさせられる。
そのためには需要を把握する必要がある……。みたいなお話です。
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