100万MPの掃除術
館の扉を開けた瞬間、肺の奥が拒絶反応を起こした。
立ち込めるのは、重く、粘りつくような湿気。長期間、排水の行き届かない場所に滞留し、有機物を腐敗させ続けてきた「死の淀み」の臭いだ。
「……っ、……ひ、ひどい……」
後ろからついてきたリフが、喉を押さえて蹲った。ガルムは短く唾を吐き、鞘に収めた剣の柄に指をかけたまま周囲を警戒している。
だが、僕の頭の中は既に作業計画で満ちていた。問題を分解する。汚染の抽出、空気と不純物の分離、微生物の不活化、最後に基盤の復元。感情は後回しだ。まずは工程を組み立てる。
「――まず、第1工程。汚染成分の抽出と浄化」
僕は水属性の生活魔法である《抽出》と《浄水》を選択する 。本来はコップ一杯の泥水を透明にするための低級な「生活魔法」だ。だが、僕はこれに『空間座標指定』と『分子レベルのフィルタリング』のパラメータを上書きし、館全体へと展開した 。
水の魔力が網目状に広がり、目には見えない細かな格子が壁や床の表面を覆っていく 。瞬間、壁から「黒い液体」が滲み出してきた 。まるで、建物が蓄積された汚れを涙として流し出したかのようだ 。抽出された不純物は、魔法の膜によって瞬時に分離され、泥のような塊として床へと集まっていく 。
「な……!? 壁から、汚れが……流れて……っ」
リフが、目を見開いて絶句する。続いて、僕はその汚れを回収するための風のプロセスを開始した。
「第2工程。汚染物質の回収と、空気の換気」
凄まじい旋回流が発生した。床の泥と空気中の胞子が巨大な掃除機のように一箇所へ吸い寄せられ、同時に窓から凄まじい勢いで「排気」が行われる。ガルムが激しい風圧に顔を覆う中、僕はさらに不可視の光を透過させた。
「【光属性】――《除菌》」
特定波長の光が、水属性で取り除けなかった微細な菌の核を焼き切る。腐敗の尖った匂いが、微かな焦げたような匂いへと置き換わっていく。
「第3工程。最終工程――基盤の復元」
これこそが、最も膨大な魔力を消費する、真の「力押し」だ。
「【火属性】と【風属性】の複合――《乾燥》」
――ドォォォォォォォォン!!
熱風が館の隅々にまで爆発的な勢いで浸透し、湿り気を帯びた木材から水分を強引に奪い取っていく。空間が白く、熱い蒸気に包まれる。
指先から奔流となって放たれる魔力。大気を支配する圧倒的な出力に、視界が一瞬だけ白く滲む。だが、これほどの熱量を叩き込んでもなお、僕の奥底にある魔力の海には、さざ波すら立っていない。
数分後。激しい風が止み、熱気が収まった。
後に残されたのは、驚くほどに澄んだ、そして乾いた空間だった。
「……あ……」
リフが、震える手でテーブルに触れた。指先が音もなく滑る。
「……きれい……。乾いて、います……」
ぽつりと呟いた後、彼女ははっと息を呑み、ゆっくりと首を振った。
「……違います……これは……“掃除”ではありません……」
家政を担う者として、彼女は知っている。汚れとは削り落とし、時間をかけて薄めるものだ。一瞬で、完全に消えるものではない。
「……ここまで……“残らない”なんて……」
一方でガルムは、力なく剣を鞘に収め、低く呟いた。
「……妙ですな。戦場でも、これほど“環境”が変わることはない……」
火を放てば焼ける。風を起こせば吹き飛ぶ。だが、それはあくまで“壊す”力だ。
「……これは……壊したのではない。作り替えた、のか……?」
床を踏み鳴らす乾いた音が返ってくる。ガルムの視線には、驚嘆と、得体の知れないものへの敬意が混じっていた。
「……とてつもない。笑えませんな、これは」
僕は荒い呼吸を整えながら、指先に残る魔力の残滓を見つめた。出力制御に多少の集中力は使ったが、余力はまだ無限に近い。
(……ふぅ。……これで、とりあえず『住める環境』の構築は完了だ)
僕は、乾燥して少しだけ軽くなった空気の中で、小さく呟いた。
3話にして、やっと魔法が出てきました。
「こんな乾燥させかたして木材が曲がらないの?大丈夫?」といった声が聞こえてきそうですが、大丈夫です。魔法なので。
うぎぎ……もっとはやく無双させたい……。
よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




