選ばれた副流
木道の軋む音が、朝の湿り気を含んだ空気に重く響く。
前夜から続く荷車の列は、一向に解消される気配がない。重檜の材や石材といった重量物を積んだ荷車が通過するたび、杭打ちで固めたはずの地盤に、微かな、だが不穏な振動が伝わってくる。
26話で露呈した「木道の容量限界」は、単なる混雑の問題ではなかった。
すれ違いができない、重量に耐えきれない、物流が滞る。この「陸の物流」の限界は、間もなく、この巨大な人工高地の成長を止めてしまう。
フリドは、泥にまみれた木道の端に立ち、視線をその「外側」へと向けた。
既に調整池へと導かれ、制御下に置かれた本流の濁流。あれはもう、この都市の脅威ではない。安定した「排水の骨格」だ。
だが、その制御された流れの傍らには、まだ手つかいの「野生」が残っている。
「……本流はもう、排水路として機能している。問題は、ここだ」
フリドは、指を差した。
本流から分岐し、まだ制御を受けずに湿地を彷徨う、無数の細い水脈。副流。
「……ああ。……石の荷車が通るたびに、あちこちで嫌な音がしてるな。……ただでさえ、この湿地で新しい道を作るってのは骨が折れるんだ。これ以上、手間を増やされるのは御免だぜ」
背後から、投げやりな、けれど手際よく荷車の荷受けを手伝っているアイヴィーの声がした。彼女は額の汗を拭い、泥のついた手で水筒を口に運ぶ。
「道を変えるんじゃない、アイヴィー。道を増やすんだ。……陸路の限界を、水路で補完する」
「……は? 水路? 冗談じゃねえよ。あんな泥水に、荷物を浮かせるつもりかよ」
彼女の言葉は、極めて合理的で、かつ、現場主義な拒絶だった。
「荷重の一部を水へ逃がせるだけでも、木道へかかる負担は大きく減る。……特に石材や重檜のような重量物ほどな」
フリドは簡潔に答える。その後、自身の感覚を、その未開の流路へと浸透させていく。
《水脈探知》
視界が、青白く、透き通った情報の奔流へと塗り替えられる。
地中の水分量、水路の深さ、そして、目に見える水面の動きの裏に潜む「力のベクトル」。
フリドの脳内に、情報の地図が展開される。
本流は、既に調整池へと受け入れられ、制御の範囲内にある。しかし、この副流たちは、まだ地形の隙間を縫うように、予測不能な動きを見せていた。
「……ここだ」
フリドが指し示したのは、ある細い青い線。
「……あの、フリド様。……まさか、あの枝流に手をつけるつもり、なんですか……?」
背後から、おずおずとした、けれど不安を隠せない声が響いた。
木材加工の責任者兼運搬役、ラグンだ。彼は泥にまみれた足を引きずりながら、忌々しげにその水路を見つめている。
「あのへんの流れも、雨が降れば毎年暴れるんです。……僕たちが昔使っていた道も、あそこが溢れたときは、めちゃくちゃになってしまいますから。あんな不安定な流れをいじって、本当に大丈夫なんですか……?」
ラグンの言葉は、日々の重労働の中で、その危険を肌で感じてきた者としての、切実な危惧だった。
制御された本流とは違い、この副流はまだ、設計図の外にある「野生の力」なのだ。
だが、フリドの思考は、その「経験則」を、新たな設計の「制略条件」へと書き換えていく。
「ラグンさん。……その流れが『暴れる』のは、逃げ場のない圧力に、流れが制御されていないからです」
フリドは、静かに、しかし確信を持って続けた。
「私は、あの流れを止めようとしているのではありません。……あの流れから、安全な分だけを、『選んで』引き込む。……都市の血管として使える、制御可能な分だけを」
「……選ぶ、……ですか?」
「はい。本流のように完全に隔離するのではなく、副流のうち、流速が安定しており、かつ地形的に制御しやすいルートだけを、選別して、新しい水路へと接続する。……陸路の渋滞を、水運という『新たなレイヤー』で解消するんです」
木道の拡張(肉体的な拡張)ではなく、水路という「新たな動脈」を構築する。
それは、物流のボトルネックを、構造そのものを多層化することで打破する、壮大なインフラ再編の始まりだった。
「……ちっ、また面倒なことを。……理屈はいいから、さっさと動けよ、領主様。あんたの計算が間違ってたら、次は私の仕事が増えるんだからな」
アイヴィーは、不機嫌そうに肩をすくめながらも、すでに次の工程のための道具を手に取り始めていた。
巨大な人工の基盤に、新しい、静かな、人工の脈動が生まれようとしていた。
それは、自然の猛威を、都市の機能へと書き換える、最初の試みだった。
湿地帯なら水の都みたいに水路作りたいよね~
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