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幕間 労働後、村への帰還中


 耳の奥で、かすかな残響が鳴っていた。

 膨大な魔力を一気に練り、地形という巨大な質量を書き換えた代償だ。視界の端には、使い果たした魔力の余熱のような、淡い光の粒子がまだ漂っている。


 眼下には、完成したばかりの調整池が広がっていた。

 かつて、あふれ出し、すべてを泥濘へと変えていた暴力的な濁流は、今や設計図通りの「道」を辿り、静かに、規律正しく、淀みなく流れている。地形の歪みが矯正され、水が「制御された量」としてそこに留まっている。その光景は、魔法の残滓を伴って、どこか現実離れした美しさを湛えていた。


「……凄まじいな、マジで」


 すぐ傍らで、風属性の補助魔法《浮遊レヴィテート》によって高度を保っているアイヴィーが、吐息を漏らした。

 彼女の視線は、熱を帯びたままの調整池の境界線に向けられている。魔法使いとしての彼女にとって、今目の前にあるものは単なる「土木工事の成果」ではない。それは、物理法則への強引な介入であり、既存の地形に対する、魔法による「再定義」だった。


「あれは、単なる『排水路』の延長じゃない。……あれは、あらかじめ『街』を作るための、巨大な土台だ」


 アイヴィーの声には、戦慄に近い感銘が混じっていた。彼女の瞳には、完成した池の向こう側に、未来の巨大なインフラが透けて見えているようだった。


「ついに公爵家が、この湿地を『資源地帯』として、本気で開発に乗り出したってわけか。……ドナール家も、随分と面白い賭けに出たもんだ。あんたみたいな規格外の力を、使い捨ての役職に押し付けるなんて、強引すぎる。……でも、いいんじゃない? だったら、私はその開発を支える『道具』として、もっと面白いものを見せてやるよ」


 彼女の言葉は、確信に満ちていた。

 彼女の目には、この泥濘の地が、ドナール家の新たな戦略的拠点へと変貌していく、輝かしい未来図が描かれている。


 ――けれど。


「…………」


 フリドは、何も答えなかった。

 ただ、夕闇に沈みゆく湿地の広大さを、黙って見下ろす。


 アイヴィーが語る「公爵家の戦略」という言葉が、鋭い楔のように、フリドの胸の奥に突き刺さる。

 彼女が見ているのは、栄光ある一族の、壮大な拡大計画だ。

 だが、フリドが立っているのは、その栄光から切り離された、泥の中の断絶された世界である。


 自分は、先鋒ではない。

 拡大の旗手でも、開拓の英雄でもない。

 ただ、すべてを失い、名さえも剥奪され、この泥の海に捨てられた、端役の端役なのだ。


「……ただ、水が溢れるのを止めたかっただけだ」


 絞り出した声は、低く、自分自身に言い聞かせるように響いた。

 アイヴィーの「政治的な解釈」に対し、フリドの言葉は、あまりにも「生存的」で、あまりにも矮小だった。


「……ただ、ここをやり直すための、場所が必要だったんだ」


 それ以上、言葉を重ねることはできなかった。

 これ以上語れば、彼女の描く「輝かしい未来図」に、拭い去れない泥を塗ることになってしまうから。


 アイヴィーは、フリドの答えに、わずかな違和感を覚えたようだった。だが、彼女はそれを「過酷な現場による疲労」だと解釈したのだろう。彼女は乱暴に髪をかき上げ、前を向いた。


「……まあ、いいや。政治の理由は知らないけどさ」


 彼女は、遠くに見える、村の小さな灯火を指差した。


「少なくとも、この『穴』を埋めるのには、もっと面白い『何か』が必要になりそうだな。次は、もっと派手なやつ、期待してるぜ?」


 アイヴィーの軽口に、フリドは小さく、呼吸を整える。

 彼女の期待は、的外れで、しかし、この場所において唯一の「熱」だった。


 (次は……高地だ)


 フリドの思考は、すでに次の工程へと、淡々と、しかし着実に移行していた。

 調整池さえあれば、次は、この水を支えるための、強固な「基盤」を作れる。

 いつか、この泥濘を、誰にも侵させない、自分だけの、そして、捨てられた者たちのための、揺るぎない大地へと作り変えるために。


 暮れなずむ湿地の空に、静かな決意が、夜の霧へと溶けていった。


幕間です、開発に直接は関わらない場面になります。


楽しんでいただければ幸いです。

よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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