プロローグ
「本山さん、カウンセリング室にお入りください」
スマホを出して、昨日の野球の試合の結果を調べようとしていたところなのに、思いの外、早くに呼び出しがかかって、僕はむっと顔をしかめる。どうせ中に入れば、僕の日頃の食生活がどうかとか、体重が減るどころか逆に増えていることを、あの保健師とやらに指摘されるのだろうなと、心の中で毒づきながらも、気持ちをグッと押さえて部屋の中へと入る。
「こんにちは。本山さん。人間ドックを受けられてから、その後どうですか?」
入るなりそう訊いてきたのは、まだ二十代、いや、もしかしたら三十代かも知れない保健師の女性。確か、前回初めて会ったときに、『武山』と名乗っていたっけ。紫のトップスに黒のパンツ、最近の流行りなのかはわからないけれど、やけに魅力的なボディラインを強調したナース服に身を包んでいるのは、ここが人間ドックの保健指導を行う部屋であることを、暗に示しているつもりなのかも知れない。
「相変わらずです。毎日、会社と家とを往復するだけの日々なので……」
とっさにそう答えたのは、前回ここに来たときに設定した目標通りに体重が減っていないことを、それとなくほのめかすため。
「ここにおかけ下さい。提出して頂いたデータと、本日の身体測定結果を照らし合わせてみたのですが、本山さんの場合は……」
武山さんが、パソコンのデータを目を細めて眺めながら、感情の籠らない声で話し出したのを、僕は「あぁ、また始まったか」と、心頃の中で悲鳴を上げながら聞いていた。
前回、初めてこの部屋に呼ばれたときもそうだった。「簡単な話だけですから」と言われて安易な気持ちで入ったのだが、僕の体重が平均よりも十五キログラムもオーバーしているとか、腹囲がどうとか、酒の量が多い、煙草をやめろだの、僕をつるし上げの刑に処するかのように、僕の生活の乱れを指摘し始める。挙句の果てに、このままでは生活習慣病にまっしぐら、今すぐ改善の必要性ありとかで、三か月後の面談までに半ば強制的に目標を設定された。
そのときは、言われるがままに、「はい、わかりました」と頷いていたけど、いざやってみると禁煙はたった一日で落第し、腹立ち紛れから酒の量が増えた。暴飲暴食の日々を送った結果、体重は前回よりも三キロも増えていて、半ば呆れたように武山さんは、日頃の食生活や運動習慣を見直すことをこんこんと説きはじめる。いわゆる生活習慣の改善というものを。
聞いていて腹が立ってきた。四十代も折り返し地点を迎えると、誰かに指図されたり自分の行いを指摘されたりするのは、不愉快極まりない。この人、違う仕事に就いていれば、さぞやモテるだろうなと思いつつ、そんな邪念を必死に振り払う。
結局、ほとんど僕の方から話をする暇なく、面談は武山さんが一方的に説教をするだけで終わった。そして最後には、
「では、次回は、三か月後にお待ちしていますね」
と、営業的なスマイルを浮かべた。
ご丁寧にも、このクリニックでは独自のサービスとして、一度保健指導に引っかかった人には、目標を達成するまで一年間のアフターサービスがもれなくついてくるらしい。
僕は、怒りや悔しさ、虚しさや後味の悪さなど諸々の感情を抑えつつ、
「わかりました。次回までに頑張ってみます」
とだけ言い残して、カウンセリング室を後にしたのだった。
「はぁ~」
部屋を出た瞬間、色々な意味で、大きなため息が漏れた。




