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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十二章 エルザと、双子と、約束の夜

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第一話「その夜のこと」


夜だった。

いつの夜かは、もう誰も覚えていなかった。


一軒家に、二つの揺り籠があった。

どちらにも、赤子が眠っていた。

よく似た、小さな寝顔だった。


イレーネは、その夜も、いつものように、二つの揺り籠を見比べていた。

どちらがどちらか、迷うことはなかった。

それでも、見比べずにはいられなかった。


物音がしたのは、月が高く昇った頃だった。

外で、何かが動いた。

風ではなかった。


イレーネは、灯りを消した。

息を潜めた。

戸の隙間から、外を見た。

何も見えなかった。

気のせいだと、思おうとした。


もう一度、物音がした。

今度は、はっきりと。

戸の方ではなかった。

裏手だった。


イレーネは、揺り籠に駆け寄った。

一つを、抱き上げた。

もう一つに、手を伸ばした。


間に合わなかった。


裏の窓が、外から開けられていた。

そこに、誰かがいた。

顔は見えなかった。

影だけだった。


「だれ——」


声にならなかった。

影は、もう一つの揺り籠に、手をかけていた。

イレーネは、抱いていた赤子を、揺り籠に戻した。

影に、駆け寄った。

腕を掴んだ。

爪が、何かに食い込んだ。


振り払われた。

床に、倒れた。


顔を上げた時には、もう、窓は開いたままで、風だけが吹き込んでいた。

揺り籠は、一つになっていた。


イレーネは、しばらく、動けなかった。

それから、残された赤子を、強く、強く、抱きしめた。

声を上げなかった。

上げれば、何かが、決定的に壊れる気がした。


朝まで、そうしていた。


誰にも、言わなかった。

言えば、残された子も、危うくなる気がした。

それに——誰に言えば、いいのか、分からなかった。

王に言えば、王はどう動くか、分からなかった。

王の動きが、また、何かを呼び寄せるかもしれなかった。


イレーネは、一人で、それを抱えた。

墓場まで持っていくつもりの荷物が、また一つ、増えた。


つづく


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