第十八話「屋敷を出る朝」
士官学校への出発の朝、屋敷の玄関前に、少数の使用人が並んでいた。
グレーテ、ヨーゼフ、執事、女中頭。
それだけだった。
大げさな見送りは、伯爵の意向で行われなかった。
伯爵が、玄関先に立っていた。
「行くか」
「行く」
「体に気をつけろ」
「ああ」
伯爵は、少し間を置いた。
それから、静かに言った。
「クロイツァーの名を、名乗り続けろ」
マティアスは、伯爵を見た。
「他の名は」
「忘れていい。お前は、クロイツァーだ。それ以外は、まだ、必要ない」
マティアスは、その言葉を、しばらく考えていた。
それから、頷いた。
「分かった」
グレーテが、涙をこらえた顔で、一礼した。
「お元気で」
「ああ」
ヨーゼフが、頭を下げた。
「達者で」
「達者でな」
マティアスは、馬に乗った。
懐には、グレーテの布切れと、名前のない花の種があった。
それ以上、持っていくものはなかった。
門を出る時、一度だけ、振り返った。
屋敷が、朝の光の中に立っていた。
石造りの、大きな屋敷だった。
十三年間、育った場所だった。
温かかったとも、冷たかったとも、はっきりとは言えない場所だった。
それでも、確かに、そこに何かはあった。
馬を進めた。
振り返らなかった。
道の先に、士官学校があった。
そこから先のことを、マティアスはまだ、何も知らなかった。
ただ、懐の種が、小さく音を立てた。
からから、と。
乾いた、軽い音だった。
それが、何かの始まりのように、聞こえた。
気のせいかもしれなかった。
それでも、今日だけは、気のせいだと思わないことにした。
第十一章 完




