第二話「五歳の夜」
エルザは、五歳だった。
その夜、イレーネは、エルザだけを、外に連れ出した。
フワンは、もう眠っていた。
月が出ていた。
白い花が、月明かりの中で、揺れていた。
「エルザ」
「なあに、お母さん」
「大事な話をします」
イレーネの声は、いつもと違った。
低く、静かで、でも、震えていた。
「エルザには、妹が、いました」
エルザは、しばらく、母を見ていた。
意味が、よく分からなかった。
「いた、って」
「双子だったの。エルザと、同じ日に生まれた」
「今は」
イレーネは、少し、目を伏せた。
「いなくなったの。誰かに、連れて行かれた」
エルザは、何も言えなかった。
五歳の頭では、うまく飲み込めなかった。
それでも、母の声の震えが、これがどれほど重い話か、教えていた。
「誰が、連れて行ったの」
「分からない。今も、分からない」
「生きてる?」
「分からない」
イレーネは、それだけ言って、しばらく、黙っていた。
それから、エルザの両手を、自分の両手で包んだ。
「エルザ。お母さんは、これから、村を出ます」
「どこに行くの」
「東の、遠い町。ヴェルタという町」
「なんで」
「エルザとフワンを、守るため」
イレーネの目に、光るものがあった。
それでも、声は、揺れなかった。
「フワンには、お母さんは、病気で死んだと、思わせてください」
「うそをつくの?」
「お願い。フワンを守るための、うそです」
「じゃあ、私には」
「エルザにだけ、本当のことを、言っておきたかった。エルザは、覚えていてほしいの」
「なにを」
「お母さんは、生きています。どこかで、必ず。それだけ、忘れないで」
エルザは、母の顔を、じっと見た。
泣いていなかった。
泣けなかった。
何かを、失う前に、もう、何かを、抱えてしまった気がした。
「誰にも、言わないで。フワンにも。村の誰にも」
「なんで」
「言えば、危険になるから。エルザも、フワンも、村も」
「わかった」
「約束できる?」
エルザは、頷いた。
声は、出なかった。
かわりに、母の手を、強く、握り返した。
イレーネは、その手を見て、少しだけ、笑った。
悲しい笑い方だった。
それでも、笑おうとしていた。
「エルザ。強い子ね」
「強くないよ」
「強いわ。今、こうして、話を聞いてくれている。それだけで、十分に強い」
白い花が、風に揺れていた。
名前のない花だった。
その香りだけが、あの夜、変わらずそこにあった。
つづく




