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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十一章 乳母と、クロイツァー伯と、旅立ちの日

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第九話「読めなかった手紙」


十一歳の冬、書斎の掃除をしていたマティアスは、伯爵の机の引き出しの奥に、一通の古い手紙を見つけた。

封は、既に切られていた。

差出人の名前はなかった。

文字は、見たことのない書体だった。


マティアスは、それを手に取った。

読もうとしたが、読めなかった。

知らない言葉で書かれていた。

楯の国の言葉でも、礎の国の言葉でもなかった。


その時、伯爵が書斎に入ってきた。

「何をしている」

「掃除だ」

「その手紙は」

「見つけた。読めない」

伯爵は、少し表情を強張らせた。

それから、マティアスの手から、静かに手紙を取り上げた。

「これは」

「誰が、書いたものだ」

伯爵は、しばらく黙っていた。

「……古い、知人の手紙だ」

「知人とは」

「もういない」

「亡くなったのか」

「……分からない」

マティアスは、その答えに、何かを感じ取った。

「知らない、ということか」

伯爵は、答えなかった。

それが、答えだった。


伯爵は、手紙を引き出しに戻し、鍵をかけた。

「この部屋には、もう入らなくていい」

「掃除は」

「他の者にやらせる」

マティアスは、頷いた。

それ以上、何も聞かなかった。

だが、この夜のことを、マティアスは長く忘れなかった。

伯爵にも、「分からない」ことがある。

それまで、伯爵は全てを知っている存在だと、どこかで思い込んでいた。

その前提が、静かに崩れた夜だった。


つづく


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