第九話「読めなかった手紙」
十一歳の冬、書斎の掃除をしていたマティアスは、伯爵の机の引き出しの奥に、一通の古い手紙を見つけた。
封は、既に切られていた。
差出人の名前はなかった。
文字は、見たことのない書体だった。
マティアスは、それを手に取った。
読もうとしたが、読めなかった。
知らない言葉で書かれていた。
楯の国の言葉でも、礎の国の言葉でもなかった。
その時、伯爵が書斎に入ってきた。
「何をしている」
「掃除だ」
「その手紙は」
「見つけた。読めない」
伯爵は、少し表情を強張らせた。
それから、マティアスの手から、静かに手紙を取り上げた。
「これは」
「誰が、書いたものだ」
伯爵は、しばらく黙っていた。
「……古い、知人の手紙だ」
「知人とは」
「もういない」
「亡くなったのか」
「……分からない」
マティアスは、その答えに、何かを感じ取った。
「知らない、ということか」
伯爵は、答えなかった。
それが、答えだった。
伯爵は、手紙を引き出しに戻し、鍵をかけた。
「この部屋には、もう入らなくていい」
「掃除は」
「他の者にやらせる」
マティアスは、頷いた。
それ以上、何も聞かなかった。
だが、この夜のことを、マティアスは長く忘れなかった。
伯爵にも、「分からない」ことがある。
それまで、伯爵は全てを知っている存在だと、どこかで思い込んでいた。
その前提が、静かに崩れた夜だった。
つづく




