第八話「乳母の休暇」
十歳の夏、グレーテが、初めて長期の休暇を取った。
実家の母が病に伏せった、という報せが届いたためだった。
「一月ほど、留守にいたします」
「そうか」
「代わりの者を、伯爵様が手配してくださいます」
「分かった」
マティアスは、あっさりと頷いた。
グレーテは、少し複雑な気持ちになった。
もっと寂しがってくれてもいいのに、と、心のどこかで思った。
グレーテが屋敷を出る朝、マティアスは玄関先まで見送りに来た。
「母上の具合が、良くなるといい」
グレーテは、少し驚いた。
マティアスが、こういう言葉を自分から口にすることは、珍しかった。
「ありがとうございます、マティアス様」
「……行ってこい」
「はい」
グレーテは、馬車に乗り込んだ。
窓から、マティアスを見た。
玄関先に立ったまま、動かなかった。
手を振ることも、しなかった。
それでも、馬車が見えなくなるまで、そこに立っていた。
一月後、グレーテが戻った時、マティアスは変わらず、玄関先で待っていた。
「戻りました、マティアス様」
「……そうか」
「母は、快復いたしました」
「よかった」
それだけだった。
それでも、グレーテには分かった。
この一月の間、マティアスが毎日、この時間にここへ来ていたことを、他の使用人から聞いていた。
「誰も呼んでいないのに、玄関先に立っておられました」と、女中の一人が言った。
グレーテは、それを聞いて、少し泣いた。
マティアスの前では、泣かなかった。
つづく




