第六話「密偵と、庭師の目」
八歳の春、屋敷の庭に、見慣れない男が現れた。
行商人を装っていたが、庭師のヨーゼフは、すぐに何かがおかしいと気づいた。
その男は、商品を売るふりをしながら、屋敷の使用人たちに、さりげなく質問を重ねていた。
「こちらのお屋敷には、ご子息がいらっしゃるとか」
「ええ、まあ」
「歳の頃は」
「さあ、存じませんね」
使用人たちは、事前に言い含められていた通り、はぐらかした。
それでも、男は諦めなかった。
その日の午後、マティアスは庭で、一人で本を読んでいた。
男が、近づいてきた。
「坊ちゃん」
マティアスは顔を上げた。
「あなたは」
「行商人です。お屋敷の庭は、見事ですね」
「そうか」
「坊ちゃんは、こちらのお屋敷の方で」
「そうだ」
「お名前を、伺っても」
マティアスは、少し間を置いた。
何かが、おかしいと感じた。
理由は、はっきりしなかった。
ただ、この男の目つきが、以前、屋敷に来た客の目つきと、似ていた。
「マティアスだ」
「マティアス様。ご家族は」
「伯爵が、家族だ」
「他には」
「いない」
男は、少し笑った。
「お母上は」
マティアスは、答えなかった。
その代わりに、立ち上がった。
「屋敷に戻る」
「まだお話が」
「戻る」
マティアスは、屋敷に戻り、執事に伝えた。
「庭に、見知らぬ男がいる。行商人のふりをして、質問をしてくる」
執事は、すぐに人を集めた。
男は、既に立ち去った後だった。
だが、その日から、屋敷の警備は目に見えて厳しくなった。
伯爵は、マティアスを呼んだ。
「男に、何を話した」
「名前だけだ」
「それだけか」
「それだけだ」
伯爵は、少し安堵した顔をした。
「よく、気づいたな」
「目が、似ていた」
「誰に」
「前に来た客に」
伯爵は、しばらくマティアスを見た。
「……覚えていたのか」
「覚えていた」
八歳のマティアスは、その時初めて、自分が何かの「対象」であることを、はっきりと自覚した。
理由は、まだ分からなかった。
だが、狙われている、という事実だけは、疑いようがなかった。
つづく




