第四話「泣かない子」
六歳のある日、マティアスは馬から落ちた。
乗馬の練習中だった。
教師が目を離した一瞬に、馬が驚いて跳ね、マティアスは地面に投げ出された。
腕を強く打った。
教師が慌てて駆け寄った時、マティアスは、地面に座ったまま、腕を見ていた。
「マティアス様、大丈夫ですか」
「……大丈夫だ」
「痛みますか」
「少し」
教師は、腕を確認した。
骨には異常がなかったが、大きな青あざができていた。
「痛いなら、痛いと、おっしゃってください」
マティアスは、少し不思議そうな顔をした。
「言った」
「もっと、大きな声で。泣いてもいいのですよ」
マティアスは、その言葉の意味が、よく分からないようだった。
「泣くと、何か変わるのか」
教師は、答えに詰まった。
六歳の子供が言う言葉としては、あまりにも実務的だった。
その日の晩、教師は伯爵に報告した。
「落馬されました。大事はありませんが」
「そうか」
「マティアス様は、痛がる様子を、あまりお見せになりません」
伯爵は、少し間を置いた。
「昔から、そうだ」
「幼い頃から、ですか」
「泣くところを、あまり見た記憶がない」
教師は、少し戸惑った顔をした。
「それは、良いことなのでしょうか」
伯爵は、答えなかった。
窓の外を見た。
庭の木が、風に揺れていた。
「様子を見よう」とだけ言った。
グレーテは、この会話を後で伝え聞いた時、あの五歳の夜のことを思い出した。
諦めるのが早い子供。
痛みを表に出さない子供。
それが、成長と共に、当たり前のことになっていった。
つづく




