第十話「庭と、白い花と、言わなかったこと」
その夜、カイルの父は、庭の隅に、もらった種を埋めた。
翌年の春、白い花が咲いた。
名前は、分からなかった。
分からないまま、毎年、咲き続けた。
それから、長い年月が経った。
息子のカイルが、士官学校に入った。
友人を連れてくるようになった。
その友人が、ヴァイス村という、地図にない村の話をした。
その村に、同じ白い花が咲いている、と。
カイルの父は、その話を聞いた時、何も言わなかった。
ただ、庭の花を見た。
やがて、その友人――マティアスが、家を訪れた。
そしてその後、ヴァイス村へと招待された。
村にはエルザという若い娘がいた。
さらに、その弟だという少年、フワンも。
二人の顔を、カイルの父は、じっと見た。
どこかで見たような、面影があった。
どこで見たのか、思い出そうとして、思い出さないことにした。
縁側で、マティアスが、小さく歌を口ずさんだ。
言葉のない歌だった。
旋律だけの歌だった。
カイルの父の手が、止まった。
あの夜、女が歌っていた歌だった。
間違いなかった。
その夜、書斎で、古い帳面を開いた。
あの空欄のページを、また見た。
ペンを取った。
何かを書こうとした。
しばらく、ペンは、紙の上で止まったままだった。
ペンを置いた。
帳面を閉じた。
庭に出た。
白い花が、月明かりの中で、揺れていた。
「見なかった」
小さく、そう呟いた。
それが、あの夜からずっと、守り続けている約束だった。
これから先も、守り続けるつもりだった。
息子にも、誰にも、話すつもりはなかった。
ただ、庭に水をやり続けるだけだった。
花が、毎年咲くように。
第十章 完




