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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第八章 王様の甥と、エルザと、囚われた朝

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第二話「噂と、不思議な訪問者」


エルザが十歳になった頃、村に、初めて、よそ者が長く滞在することがあった。

行商人だった。

年に一度か二度、村に立ち寄る男だった。

それまでは、品物を売って、すぐに帰っていった。

その年は、珍しく、三日ほど村に留まった。


「今年は、長くいるのね」とエルザは言った。

「ああ。少し、体の具合が悪くてな」と行商人は言った。

「大丈夫?」

「心配いらん。少し休めば、すぐ良くなる」

行商人は、村の宿屋のような場所(実際には、村長の家の離れだった)に泊まった。

エルザは、毎日、様子を見に行った。

フワンも、一緒についてきた。

「お前さんたち、優しいな」と行商人は言った。

「だって、心配だもの」とエルザは言った。


行商人は、しばらく、エルザとフワンを見ていた。

それから、ぽつりと言った。

「この村は、不思議な村だな」

「不思議?」

「儂は、長年、あちこち回ってる。でも、この村ほど、平和な場所は、なかなかない」

「平和、ですか」

「争いがない。貧しいが、誰も飢えていない。よそ者にも、優しい」

エルザは、それを聞いて、少し誇らしい気持ちになった。

「でも」と行商人は、声を少し落とした。「不思議なことも、ある」

「何が不思議なの」

「この村のことを、儂は、よその誰にも、話したことがない」

「なんで?」

「なんとなく、話してはいけない気がしてな」

エルザは、その言葉に、少し首を傾げた。

意味が、よく分からなかった。

「お前さんたちは、この村が、特別な場所だと、聞いたことはあるか」

「特別?」

「いや」と行商人は、すぐに、言葉を打ち消した。「忘れてくれ。年寄りの戯言だ」

エルザは、その時は、それ以上、深く考えなかった。

子供だったから。


三日後、行商人は、村を去った。

去り際、エルザに、小さな飴を一つ、くれた。

「ありがとう」とエルザは言った。

「達者でな、嬢ちゃん」

行商人は、フワンの頭も、軽く撫でた。

「お前さんも、達者でな」


行商人が去った後、エルザは、村長に聞いてみた。

「この村って、特別なの?」

村長は、少し驚いた顔をした。

「誰が、そんなことを言った」

「行商人さんが」

村長は、しばらく、考えるような顔をした。

「特別かどうかは、儂には分からん」と村長は言った。「ただ、この村は、ずっと前から、誰にも邪魔されずに、ここにある」

「邪魔されない、って」

「分からんでいい」と村長は言った。「お前は、ただ、ここで、元気に育てばいい」

エルザは、それ以上、聞かなかった。

子供心に、これ以上聞いてはいけない、という空気を、感じ取っていた。

それでも、その日から、村のことが、少しだけ、不思議に思えるようになった。


ある夜、フワンが、寝床で、聞いてきた。

「エルザ、この村って、変なの?」

「変じゃないわよ」

「行商人のおじさん、変なこと言ってたよね」

「聞いてたの」

「うん。聞こえちゃった」

エルザは、しばらく考えた。

「分からないけど」とエルザは言った。「変じゃなくていいの。私たちには、ここしかないんだから」

「うん」

「ここが、私たちの村よ」

フワンは、小さく頷いた。

それから、すぐに眠ってしまった。

エルザは、しばらく、暗い天井を見ていた。


行商人の言葉が、頭の片隅に、引っかかっていた。

話してはいけない気がする。

特別な場所。

誰にも邪魔されない。

エルザには、その意味は、まだ分からなかった。

それでも、いつか、その言葉の意味を、知る日が来るような、漠然とした予感が、あった。

窓の外で、白い花の香りが、風に運ばれてきた。

名前を知らない花の香りだった。

それで十分だった。

今は、まだ、それで十分だった。


つづく



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