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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第八章 王様の甥と、エルザと、囚われた朝

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第一話「小さな村と、二人の子供」


ヴァイス村は、地図に載っていない小さな村だった。

石造りの家が十軒ほど。

広場に井戸が一つ。

それだけの村だった。

エルザは、その村で生まれ育った。


物心ついた頃から、村の外を知らなかった。

両親は、エルザがまだ幼い頃に、相次いで亡くなったと聞かされた。

父はある日いなくなった。

母はその少し後に、後を追うように。

エルザの記憶の中の母は、いつも窓辺に座って、空を見ていた姿だった。


「お母さん、何見てるの」

「空」

「空に何かあるの」

母は、しばらく答えなかった。

それから、静かに笑った。

「ないわ。だから見てるの」

幼いエルザには、その意味が分からなかった。

今でも、本当には分かっていない気がした。


弟のフワンは、母が亡くなる少し前に生まれた。

エルザより、五つ下だった。

両親を失ってから、村の人々が、二人を育ててくれた。

誰か一人の家に引き取られたわけではなかった。

村全体が、ゆるやかに、二人の面倒を見た。

ある家で夕食を食べ、別の家で寝かせてもらい、また別の家で着替えを用意してもらう。

そういう暮らしだった。

不安定なようでいて、エルザにとっては、それが当たり前だった。


「エルザ、フワンの手を離さないでね」

村の女たちは、よくそう言った。

エルザは、フワンの手を、いつも握っていた。

フワンは、まだ歩くのもおぼつかない頃から、エルザの後ろを、よちよちとついて回った。

「えーじゃ」

フワンが、初めて覚えた言葉だった。

まだ「エルザ」と、うまく言えなかった。


村の周りには、白い花が咲いていた。

名前を知らない花だった。

誰が植えたのかも、分からなかった。

物心ついた時には、もう、村のあちこちに咲いていた。

「この花、誰が植えたの」と、エルザは、村の老人に聞いたことがあった。

老人は、しばらく考えた。

「分からんな。気づいたら咲いていた」

「不思議ね」

「不思議なことなんて、世の中にはいくらでもある」

老人は、それ以上、深く考えなかった。

エルザも、それ以上は聞かなかった。


村には、不思議なことが、もう一つあった。

村の外から、めったに人が来なかった。

来ても、すぐに帰っていった。

長く滞在する者は、誰もいなかった。


「この村って、誰も知らないのかな」とエルザは、ある日、フワンに聞いた。

フワンは、まだ五歳だった。

「知らないんじゃない」とフワンは言った。「だって、誰も来ないもん」

「来ないと、知られてないってこと?」

「分からない」とフワンは言った。「でも、来ないなら、誰かが来ないようにしてるんじゃない」

エルザは、その言葉に、少し驚いた。

五歳の弟にしては、妙に的を射ていた。

「フワン、頭いいのね」

「エルザの方が、頭いいよ」

「そんなことないわよ」

フワンは、にやにやした。

その頃から、フワンは、にやにやする子供だった。


村には、犬が何匹もいた。

誰の犬とも決まっていなかった。

村全体の犬だった。

エルザとフワンは、その犬たちと、毎日のように遊んだ。


「ルドルフ、待て」

エルザが言うと、一匹の犬が、ぴたりと止まった。

「すごい、エルザ」

「簡単よ」

「ぼくにもやらせて」

フワンは、必死に犬に向かって「待て」と言った。

犬は、まったく言うことを聞かなかった。

「なんでだろう」

「フワンの言い方が弱いのよ」

「強く言ってみる」

フワンは、もう一度、大きな声で言った。

犬は、それでも動かなかった。

たまたま、別の方向を見ていただけだった。

「待ててる!」とフワンは喜んだ。

「待ててないわよ、勝手に止まってるだけよ」

「待ててる!」

エルザは、笑った。

フワンも、にやにやしながら笑った。


夕方になると、村の広場に、子供たちが集まった。

エルザは、年上の子供たちにも、物怖じせずに話しかけた。

明るく、よく笑う子供だった。

「エルザは、いつも元気だね」と、村の女たちは、よく言った。

「元気じゃないとね」とエルザは答えた。「フワンの分も、元気でいないと」

それは、誰かに言われた言葉ではなかった。

エルザが、自分で、自然に、そう思うようになった言葉だった。

両親がいない分、自分が、フワンの分まで、強くいなければならない。

幼いながらに、そう感じていた。


夜、二人で眠る前、フワンが、よく聞いてきた。

「エルザ、お父さんとお母さんって、どんな人だったの」

エルザは、覚えている限りのことを、フワンに話した。

母が窓辺で空を見ていたこと。

父が、よく笑う人だったこと。

「会いたかったな」とフワンは言った。

「会えなかったわね」

「エルザは、覚えてるからいいね」

「フワンも、お母さんのお腹の中にいた時は、一緒にいたのよ」

「覚えてないよ、そんなの」

「そうね」

エルザは、フワンの頭を撫でた。

フワンは、すぐに眠ってしまった。

エルザは、しばらく、その寝顔を見ていた。


村は、小さくて、貧しくて、それでも、温かかった。

誰かが、いつも、二人を見守っていた。

白い花が、季節ごとに、変わらず咲いていた。

エルザは、その村で、自分の人生が、ずっとこのまま続くと、思っていた。


つづく


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