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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第六章 にやにやしているフワンと、カボチャの種

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第五話「春と、カボチャの種と、フワンが渡したかったもの」


春になった。

白い花が咲いた。

名前を知らない花が、今年も咲いた。


丘の上に、三人で立った。

エルザとフワンとマティアス。

風が吹いた。

花の香りが、三人を包んだ。


フワンが畑に向かったのは、昼過ぎだった。

種を植えるらしかった。

マティアスもついていった。

理由は特になかった。


フワンは畑に膝をついた。

土を掘った。

丁寧に掘った。

「マティアスさん」

「なんだ」

「今年も十個以上実らせます」

「去年は十一個だったな」

「今年は十二個にします」

「難しいかもしれない」

「難しくてもやります」

「そうか」

フワンは種を三粒、土に入れた。

丁寧に埋め戻した。

それから、ポケットから何かを取り出した。

種だった。

カボチャの種だった。

「マティアスさん」

「なんだ」

「これ、一粒、持っていってもらえませんか」

マティアスは種を見た。

小さかった。

平たかった。

「去年も渡してくれたな」

「はい。また渡したいです」

「なぜだ」

フワンはしばらく土を見た。

それから、にやにやした。

「なんとなくです。マティアスさんの引き出しに入れてもらいたくて」

「去年の種は、まだある」

「じゃあ、二粒になりますね」

「二粒になるな」

「良いですか」

マティアスは種を受け取った。

「良い」

フワンがにやにやした。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

フワンは畑の土を、手で軽く叩いた。

立ち上がった。

土を払った。

それから、少し遠くを見た。

「マティアスさん」

「なんだ」

「一つだけ聞いていいですか」

「なんだ」

フワンは遠くを見たまま言った。

「ヴェルタの、歌を歌う人のことを、エルザに話しましたか」

「話した。手紙に書いた」

「エルザ、何て言ってましたか」

「いつかその歌が聞こえるかもしれない、と言っていた」

フワンはしばらく黙っていた。

「そうですか」

それだけ言った。

春の風が吹いた。

花の香りがした。

「フワン」

「なんですか」

「お前は、その歌を知っているか」

フワンは少し止まった。

長く止まった。

それから、静かに言った。

「知っています」

「どこで聞いた」

「……母が、歌っていました」

マティアスは返事をしなかった。

フワンも、それ以上は言わなかった。

しばらく、二人で畑の前に立っていた。

春の風が、また吹いた。


その夜、引き出しを開けた。

去年の種の隣に、今年の種を入れた。

二粒になった。

閉めた。

また開けた。

二粒あった。

閉めた。

窓の外では、春の夜が続いていた。

名前を知らない花の香りが、どこかからした。

フワンの母が歌っていた歌を、マティアスも知っていた。

防波堤で聞いた歌だった。

でも今夜は、それだけではない何かが、引き出しの奥にある気がした。

形のないままで、そこにあった。

名前を知らない花と、同じかもしれなかった。

毎年咲く。

名前がなくても、毎年咲く。

それで十分だった。


第六章 完


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