第三話「カイル邸への道と、初めて会う人」
三日ほど村にいた後、マティアスは村を出た。
ヴァイス村からカイルの屋敷までは、馬で一日半だった。
今年は、その道を通った。
理由は、カイルの手紙にあった。
マティアス
父が、お前に会いたいと言っている。
理由は分からない。ただ、会いたいと言っている。
来られるなら来てくれ。
カイル
それだけだった。
短い手紙だった。
マティアスは、その手紙を引き出しに入れる前に、もう一度読んだ。
それから、ヴァイス村からの帰り道、少し遠回りをすることに決めた。
カイルの屋敷は、丘の上にあった。
石造りの、古い建物だった。
庭が広かった。手入れが行き届いていた。
門の前で、カイルが待っていた。
「来たか」
「来ると言った」
「善処するとは言っていなかったな」
「今回は最初からするつもりだった」
カイルは少し笑った。
声を出さない笑い方だった。
カイルの父は、居間にいた。
椅子に座っていた。
背筋が伸びていた。カイルに似た立ち方をしていた。
年を取っていたが、目が鋭かった。
マティアスが入ってくると、その目が少し柔らかくなった。
「マティアスくんか」
「はじめまして」
「カイルからよく聞いている」
「恐縮です」
「恐縮することはない」とカイルの父は言った。「良い話ばかりだ」
マティアスは少し間を置いた。
「カイルが良い話をするとは思えませんが」
カイルが「オッホン」と言った。
カイルの父が笑った。
カイルとは少し違う笑い方だったが、目が同じだった。
「座れ」とカイルの父は言った。
マティアスは座った。
二時間、話した。
カイルの父は、よく喋った。
若い頃の話をした。
カイルが子供の頃の話をした。
「カイルは小さい頃から、誰かの隣を歩いていた」とカイルの父は言った。「それが好きな子だったんだ」
マティアスは少し止まった。
「そうですか」
「士官学校に行ってからも、手紙によくそういう話を書いてきた。誰かと並んで歩いた話を」
「そうですか」
「マティアスくんの話も、よく書いてきた」
「どんな話を」
「雨の話だ」とカイルの父は言った。「行軍の途中で、お前が自分の外套を、倒れた兵士にかけてやった話」
マティアスは少し間を置いた。
「それは……」
「余計な話だと言うんだろう」とカイルの父は言った。「カイルが先にそう言っていたよ」
マティアスは黙った。
「お前はその後、雨の中を歩き続けて、三日、熱を出して寝込んだそうだな」
「そうです」
「その兵士は」
「先に行けと言ったので、行きました」
カイルの父は静かに笑った。
「カイルはそういう話が好きなんだ。お前が無理をした話ではなく、誰かと一緒に歩き続けた話として書いてくれていたよ」
マティアスはしばらく黙っていた。
「一緒に歩いた話として」
「そうだ」
マティアスは窓の外を見た。
春の庭が広がっていた。
「ヴァイス村の話も聞いたよ」とカイルの父は言った。
「そうですか」
「白い花が咲く村だと言っていた」
「そうです。名前を知らない花が毎年咲きます」
「名前を知らない花でも、毎年咲くか」
「そうです」
カイルの父はしばらく、庭を見た。
「それは良い話だな」
「そうかもしれません」
カイルの父はまた庭を見た。
しばらく、黙っていた。
それから言った。
「マティアスくん」
「はい」
「カイルをよろしく頼む」
マティアスは少し止まった。
「カイルに言うべきことを、私に言うのですか」
「カイルには言えない」とカイルの父は言った。「親というのは、子供にそういうことを言えないものだ。でも、友人には言える」
マティアスはしばらく黙っていた。
「……分かりました」
「ありがとう」
「いいえ」とマティアスは言った。「カイルが隣を歩いてくれた分だけ、私も歩きます」
カイルの父はそれを聞いて、少し目を細めた。
「カイルは良い友人を持ったな」
「私もそう思っています」
帰り際、カイルが門の前まで送ってきた。
二人で、少し歩いた。
庭の端に、白い小さな花が咲いていた。
マティアスはそれを見た。
近づいた。
しゃがんだ。
よく見た。
ヴァイス村に咲く、名前を知らない花だった。
形が同じだった。色も同じだった。
「カイル」
「なんだ」
「この花は」
「庭に元からあった」とカイルは言った。「父が大事にしている」
「同じ花だ」
「同じ花?」
「ヴァイス村に、これと同じ花が咲く」
カイルは少し止まった。
それから、その花を見た。
「……そうか」
「名前を知らない花が、あちこちに咲いているのかもしれない」
カイルはしばらく黙っていた。
「父に伝える」
「そうしてくれ」
カイルは少し間を置いた。
「マティアス」
「なんだ」
「アンナのことだが」
「聞いている」
「次に会う時、彼女に会わせたいと思っている」
マティアスは少し考えた。
「お前が決めることだ」
「お前の意見を聞きたい」
「私の意見は関係ない」
カイルは少し笑った。
「そう言うと思った」
「では聞くな」
「聞いた」
「答えなかった」
「答えになっている」
マティアスは少し止まった。
「どう答えになっている」
「お前が、私の選んだ人間を悪く言ったことは、十五年で一度もない」
マティアスは返事をしなかった。
しなかったが、馬に乗った。
「カイル」
「なんだ」
「来年、ヴァイス村に来い」
カイルが少し止まった。
「アンナと一緒に、か」
「お前が決めることだ」
「また同じことを言うのか」
「事実だ」
カイルは声を出さない笑い方で笑った。
「オッホン」
「何が言いたい」
「何も」
「鳴いた」
「気のせいだ」
マティアスは馬を向けた。
「カイル」
「なんだ」
「お父上に、よろしく伝えてくれ」
「伝える」
「良い話をしてくれた」
「どんな話だ」
「一緒に歩いた話だ」
カイルはしばらくマティアスを見た。
何も言わなかった。
マティアスも何も言わなかった。
それで十分だった。
馬が歩き始めた。
丘の上の屋敷が、遠ざかっていった。
つづく




