第一話「カイルの手紙に、知らない名前があった」
春になった。
雪が解けて、村への道がまた使えるようになった。
マティアスは引き出しを開けた。
中には、今までの手紙が入っていた。エルザから。フワンから。カイルから。
地図が一枚あった。
小川沿いの道を、もう一度指でなぞった。
それから、今朝届いた手紙を取り出した。
鷹の封蝋だった。カイルからだった。
マティアス
春だ。
一つ報告する。
アンナという女性と知り合った。
父の知人の紹介だった。最初は、ただの紹介だと思っていた。
三度会った。三度目に、彼女が「あなたは隣を歩くのが好きな人ですね」と言った。
誰かにそう言われたのは、初めてだった。
それで、少し驚いた。
今後も会うことになると思う。
報告しておく。
オッホン。
カイル
追伸 お前のことも話した。雨の話だ。彼女は、少し黙っていた。それから「立派な人ですね」と言った。良い言い方だった。
マティアスは手紙を読んだ。
もう一度読んだ。
「あなたは隣を歩くのが好きな人ですね」という一行のところで、少し止まった。
カイルが、隣を歩く人間だということを、マティアスは十五年前から知っていた。
それを、初めて会った人間が、三度目で言った。
便箋を出した。
カイル
報告、受け取った。
アンナという人物について、それだけしか書いていない。
もう少し書け。
マティアス
追伸 良い笑い方とのこと。それは分かった。
封をした。
行商人に渡した。
それから、エルザへの手紙を書いた。
エルザ
春になった。
雪解けの道を、もう一度通れるようになった。
今年も行く。
カイルから手紙が来た。アンナという女性と知り合ったらしい。
詳しくはまだ書いてこない。
カイルらしい。
マティアス
追伸 馬で行く。今年の馬は、少し気が荒いと厩番が言っていた。
封をした。
引き出しを開けた。
カイルの手紙を入れた。
閉めた。
返事は十日後だった。
カイルからだった。
今回は少し長かった。
マティアス
もう少し書け、とのことだった。
書く。
アンナという。父の知人の娘だ。
花が好きだと言っていた。名前のついた花も、名前のない花も、どちらも好きだと。
名前のない花、というところで、少し止まった。
お前のことを思い出したからだ。
それだけだ。
オッホン。
カイル
追伸 次に会う約束をした。報告は、それからにする。
マティアスは手紙を読んだ。
「名前のない花、というところで、少し止まった」という一行のところで、ごく小さく、口の端が上がった。
カイルが、人の言葉を理由に何かを思い出すのは、珍しかった。
それから、引き出しを閉めた。
窓の外では、春の風が吹いていた。
雪が、少しずつ消えていた。
道が見えるようになっていた。
今年も、その道を行く。
それで十分だった。
つづく




