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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Theater
第三章 整いすぎた女と、即答する男

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第四話「薔薇と、名前を知らない花」


数日後、リゼットが、花を持ってきた。

赤い薔薇だった。

一本だけ、ガラスの花瓶に入っていた。

「中庭に咲いていたものです」とリゼットは、それを窓辺に置いた。「殺風景な部屋だと思いまして」

マティアスは薔薇を見た。

「綺麗だな」

リゼットが、わずかに表情を動かした。

「珍しいですね、そういう感想を言われるのは」

「事実を言っている」

「ええ。存じています」

リゼットは花瓶の位置を少し直した。光の当たり方を調整しているようだった。

薔薇は、確かに美しかった。深い赤で、花弁が一枚一枚、丁寧に重なっていた。

「マティアス様」

「なんだ」

「以前、お戻りになりたい場所がある、とおっしゃいましたね」

「言った」

「その場所には、何があるのですか」

マティアスは少し間を置いた。

今までは、答えなかった質問だった。

だが、今日は、答えた。

「白い花が咲く村だ」

リゼットが、薔薇から視線を上げた。

「白い花、ですか」

「名前を知らない花だ。毎年、春に咲く」

「名前を、知らない?」

「そうだ」

リゼットは少し考えるような顔をした。

「調べれば分かるのでは」

「調べていない」

「なぜですか」

マティアスは少し間を置いた。

「名前がなくても、毎年咲く」

リゼットは、しばらく黙った。

それから、薔薇を見た。

「この薔薇には、名前があります」とリゼットは言った。「品種名も、由来も。手入れをしないと、すぐに枯れます」

「そうか」

「あなたの村の花は、手入れをしなくても咲くのですか」

「そうだ」

「……羨ましいですね」とリゼットは、小さく言った。

それから、すぐに、表情を戻した。

「失礼しました。話が逸れました。村には、その花以外に、何がありますか」

マティアスは少し考えた。

答えるかどうか、迷う必要は、もう感じなかった。

「弟がいる。フワンという」

「弟、ですか」

「血の繋がった弟ではない。エルザの弟だ」

「エルザ」

リゼットが、その名前を、小さく繰り返した。

「待っている人物、ですか」

「そうだ」

「どのような方ですか」

マティアスは窓の外を見た。

噴水の水が、午後の光の中で揺れていた。

「明るい。うるさい。よく笑う」

リゼットは、何も言わなかった。

「フワンの犬の話を、よくする。一度始まると、三十分は終わらない」

「三十分」

「そうだ」

「……それは、長いですね」

「長い」とマティアスは言った。「だが、聞く」

リゼットは、しばらくマティアスを見た。

それから、薔薇に視線を戻した。

「シチューを作る方、ですか」

マティアスは、少し驚いた。

「誰から聞いた」

「先日、あなたが書いていた手紙の宛先が、エルザという名前だったことは、報告で知っています」とリゼットは言った。「内容までは、読んでおりません。ただ、想像しただけです」

「想像か」

「ええ。シチューの味を、何かと比較されている方が、その何かについて語る時、シチューの話をすると思いましたので」

マティアスは答えなかった。

リゼットは薔薇の花弁に、指先で軽く触れた。

「この薔薇は、美しいでしょう」

「美しい」

「でも」

リゼットは少し笑った。

自分から、その先を言った。

「名前を知らない白い花の方が、好きなのでしょう」

マティアスは少し間を置いた。

「そうだ」

リゼットの笑みが、わずかに止まった。

ほんの一瞬だった。

すぐに、表情を戻した。

「理由を伺っても」

「名前がなくても、毎年咲くからだ」

リゼットは、薔薇を見た。

赤い花弁が、午後の光を受けて、艶やかに光っていた。

「……この薔薇は」とリゼットは言った。「手入れをする人がいなくなれば、枯れます」

「そうだろうな」

「咲き続けるには、誰かが必要です」

「そうだ」

「名前を知らない花は、誰もいなくても、咲くのですね」

「そうだ」

リゼットは、しばらく薔薇を見ていた。

それから、花瓶を持ち上げた。

「下げますね。殺風景な部屋の方が、お好みかもしれません」

「好みの話ではない」

「分かっています」とリゼットは言った。

笑った顔のままだったが、その笑い方は、最初に部屋に入ってきた時の、整った笑い方とは、少し違っていた。

リゼットは花瓶を持って、扉へ向かった。

扉の前で、足を止めた。

「マティアス様」

「なんだ」

「神父様の話を、していませんでしたね」

「七人目か」

「いえ」とリゼットは言った。「今日は、しません」

「そうか」

「今日は——」

リゼットは少し言葉を切った。

「今日は、よろしいです」

それだけ言って、出て行った。

扉が閉まった。

マティアスは、窓辺を見た。

薔薇のあった場所に、何もなかった。

少しの間、その場所を見ていた。

それから、引き出しを開けた。

便箋を取り出した。

エルザに、村の花のことを、また書こうと思った。


つづく



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