第三話「シチューと、比較」
オットーが来たのは、その翌日だった。
ノックの音がした。
入ってきたのは、見覚えのある、腹の出た中年男だった。
「……オットー」
「牢屋の…!!!あんただったのか……いやはやお久しぶりというかなんというか」
オットーは少し緊張した顔をしていた。
両手で、何かを持っていた。鍋だった。
「リゼット様より、配膳の任を頂いたのですが…」とオットーは言った。「まさか、あんただったとは……」
「お前、まだここで働いていたのか」
「ええ、まあ。あの後、色々ありまして」とオットーは言葉を濁した。「気絶させられた件は、もう気にしてねぇから心配しないで欲しい。むしろ、感謝してるくらいでさ」
「感謝か」
「あの後、エルザさんが脱出に成功したと聞いて。いや、よかった、本当に」
マティアスは少し間を置いた。
「お前は、どうなった」
「あっしすか? 一応、お咎めはありました。が、まあ、軽いものでして。今はこちらの厨房に異動となっております」
「そうか」
「それで、今日は」とオットーは鍋を持ち上げた。「リゼット様から、ご一緒に召し上がっていただきたいと」
「断る」
「いえ、その……今日はリゼット様もご一緒に、ここに来られます」
ノックの音がした。
返事を待たずに、リゼットが入ってきた。
「お邪魔します」
「断ると言った」
「夕食ではありません」とリゼットは言った。「昼食です。場所も、ここです。私の部屋ではありません」
マティアスは少し考えた。
理屈としては、確かに、最初に断った条件とは違っていた。
「……屁理屈だ」
「実用的な妥協、と申し上げております」
オットーが鍋を机に置いた。蓋を開けた。
湯気が立った。
シチューだった。
リゼットが言った。
「私が作りました。お口に合うかは分かりませんが」
マティアスはシチューを見た。
具材は、丁寧に切られていた。色も整っていた。見た目だけなら、悪くなかった。
オットーが皿に盛った。
マティアスの前に置いた。
マティアスは、スプーンを取った。
一口、食べた。
味は、悪くなかった。
丁寧な味だった。素材の味を活かした、整った味だった。
しかし。
マティアスは、もう一口食べた。
リゼットが見ていた。
「……いかがですか」
マティアスは少し間を置いた。
「悪くない」
「それだけですか」
「それだけだ」
リゼットはしばらくマティアスを見た。
それから、わずかに目を細めた。
「何かと、比較されていますね」
マティアスは答えなかった。
オットーが、少し離れた場所で、気づかれないように、小さく身を縮めた。
「……そうですか」とリゼットは言った。
それ以上は、聞かなかった。
シチューは、最後まで食べた。
丁寧な味だった。
ただ、温かさが、少し違った。
何が違うのか、マティアスは考えなかった。
考える必要がなかった。
すでに、知っていたからだ。
オットーが鍋を下げる時、小声で言った。
「クロイツァー殿」
「なんだ」
「あの馬は、お元気ですか」
「馬?」
「エルザさんが、私の名前を馬につけたと、風の噂で聞きまして」
マティアスは少し考えた。
「元気だろう」
「……そうですか」とオットーは、嬉しそうな顔をした。「光栄です」
オットーは一礼して、出て行った。
リゼットが残った。
「あの馬の話、私も伺いたいですね」
「いつか話す」
「いつか、ですか」
「帰ってからなら、いくらでも話せる」
リゼットは少し黙った。
それから、扉へ向かった。
「クロイツァー殿」
「なんだ」
「次は、神父様の話の続きを」
「五人目か」
「六人目です」とリゼットは言った。「早いですね」
「六人とも間違っている」
リゼットは、扉の前で、また小さく笑った。
「即答ですね」
「迷う理由がない、と言った」
「覚えています」
リゼットは出て行った。
マティアスは窓の外を見た。
噴水の水が、午後の光を受けて、揺れていた。
シチューの皿が、まだ机の上にあった。
少し冷めていた。
冷めても、エルザのシチューは旨かった。
これは、冷めると、少し味が薄くなった。
その違いを、マティアスは便箋に書こうと思った。
書いてから、やめた。
比較のために書く手紙ではない。
ただ、エルザは聞きたがるだろう、と思った。
それで、結局、書いた。
つづく




