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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Theater
第二章 古い友人は、だいたい最悪のタイミングで現れる

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第九話「言えなかった言葉と、言えた夜」


その日の午後は、何もなかった。

特別なことは、何もなかった。

フワンが畑の準備をした。カイルがそれを手伝った。マティアスとエルザは小川沿いを歩いた。犬が何匹かついてきた。ルドルフとミミと、名前を知らない茶色い犬が一匹。

歩きながら、エルザが言った。

「カイルさんって、昔からああいう人なの?」

「ああいう人とは」

「なんか、全部分かってるみたいな顔をしてる人」

マティアスは少し考えた。

「昔からそうだ」

「嫌じゃなかったの」

「嫌だった」

エルザが笑った。

「正直ね」

「嘘をつく必要がない」

「今は?」

「今は——嫌ではない」

「なんで」

「分かっていることを、押しつけてこない。ただ、分かっている」

エルザはしばらく歩きながら考えていた。

「羅針盤の話、今朝カイルさんから聞いたわ」

「何を聞いた」

「マティアスが言葉にした後の世界が怖いって話」

マティアスは少し止まった。

「……全部話したのか、あの男は」

「全部じゃないと思う。でも、少し」

「余計なことを」

「余計じゃないわよ」とエルザは言った。「私には話してくれないこと、カイルさんが教えてくれることがある。それは余計じゃない」

マティアスは返事をしなかった。

小川の水が、春の光を受けて流れていた。

「ねえ、マティアス」

「なんだ」

「言葉にした後の世界が怖いって——どの言葉のこと?」

マティアスは少し間を置いた。

「一つだけ、まだ言えていないものがある」

「どんな言葉」

「……今はまだ言えない」

エルザは少し黙った。

歩きながら、小川を見ていた。

「いつか言える?」

「言えると思っている」

「今日じゃないの?」

「今日かもしれない。今日じゃないかもしれない」

「どっちなの」

「分からない」

エルザはしばらく黙った。

それから、マティアスの手を取った。

歩きながら、取った。

「急がなくていいわよ」

「そうか」

「でも」

「なんだ」

「言える時に言って。私は逃げないから」

マティアスは返事をしなかった。

しなかったが、握り返した。

ルドルフが、二人の前を走り回った。

ミミが小川の端を歩いた。

名前を知らない茶色い犬が、花の匂いを嗅いでいた。

春の午後が、静かに続いていた。


夕方、丘の上で四人で夕日を見た。

雲が多かった。

複雑な色の夕日だった。

橙色が赤に変わって、赤が紫に変わって、紫が青に混じった。

エルザが言った。

「きれいでしょ、カイルさん」

「そうだな」とカイルは言った。

「好きになりましたか、雲の多い夕日」

カイルは少し考えた。

「……なったかもしれない」

「マティアスも、最初は単純な夕日の方を見てたの」

「そうか」とカイルは言った。それからマティアスを見た。「今は?」

「今はこちらの方が好きだ」

「いつから」

「エルザが教えてくれてから」

カイルが「オッホン」と言った。

フワンがにやにやした。

エルザは夕日を見たまま、耳だけが少し赤くなった。

マティアスは夕日を見ていた。

複雑な色が、また変わっていった。


夜になった。

フワンが早めに寝た。

カイルが「少し外の空気を吸ってくる」と言って出ていった。

台所に、マティアスとエルザが残った。

エルザがお茶を淹れた。

二人でテーブルに座った。

しばらく、黙っていた。

窓の外で、春の夜風が吹いていた。

白い花の香りが、薄く漂っていた。

「ねえ」とエルザが言った。

「なんだ」

「今日の午後、言えない言葉があるって言ってたわね」

「そうだ」

「今は」

「今も、まだ言えるかどうか分からない」

エルザはお茶を一口飲んだ。

「無理に言わなくていいわよ」

「分かっている」

「でも」

「なんだ」

エルザはカップを置いた。

マティアスを見た。

まっすぐに、見た。

「私から言ってもいい?」

マティアスは少し止まった。

「何をだ」

「私が言いたいことを」

「……言ってくれ」

エルザは少し間を置いた。

春の夜風が、また吹いた。

「一緒にいたい」とエルザは言った。

静かな声だった。

大きくもなく、小さくもなく、ただそこにある声だった。

「年に何度も来てくれて、冬に雪道を三日半かけてきてくれて、引き出しに手紙をしまってくれて——それで十分なの。でも、もっとそばにいてほしい。それが正直なところ」

マティアスは何も言わなかった。

エルザは続けた。

「言えなかったのは、私も同じだった。言ったら何かが変わる気がして。でも——」

「でも?」

「カイルさんが今朝言ってたの。変わった後の世界が良いかどうか確信が持てないのは当然だって」

「聞いていたのか」

「聞いてたわよ、少し」

マティアスは少し間を置いた。

「どこから」

「窓の外から」

「……どのくらい」

「ほとんど全部」

マティアスはエルザを見た。

エルザは澄ました顔をしていた。

耳だけが、少し赤かった。

「……それは」

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら聞くな」

「だって気になったんだもの」

マティアスはしばらく黙った。

それから、静かに言った。

「エルザ」

「なに」

「お前が言ってくれた」

「そうね」

「私が言えなかったものを」

「そうよ」

マティアスは少し考えた。

言葉の形を、もう一度確かめた。

何度確かめても、同じ言葉だった。

「一緒にいたい」と、マティアスは言った。

エルザが止まった。

「……今言えたじゃない」

「お前が先に言ったから」

「それでも言えたわよ」

「そうかもしれない」

エルザはしばらくマティアスを見ていた。

それから、テーブルの上の手を、少し動かした。

マティアスの手に、触れた。

「何年分言えた?」

「一年分くらいかもしれない」

「まだあるの」

「まだある」

「全部言い終わるのに、何年かかるかしら」

「分からない」

「じゃあ」とエルザは言った。

「なんだ」

「ずっとそばにいてよ」

マティアスは返事をしなかった。

しなかったが、テーブルの上の手を、今度は自分から握った。

力を込めすぎないように。

でも、確かに。

去年より、確かに。

エルザは何も言わなかった。

ただ、笑っていた。

声を出さずに、笑っていた。

春の夜風が、また吹いた。

白い花の香りが、二人を包んだ。


しばらくして、カイルが戻ってきた。

台所を見た。

二人がテーブルに座っていた。

手が、繋がれていた。

カイルは一秒だけ見た。

それから、「オッホン」と言った。

「何が言いたい」とマティアスが言った。

「何も」とカイルは言った。

「三回鳴いた」

「気のせいだ」

カイルは棚からカップを取った。

お茶を自分で淹れた。

椅子を引いた。

座った。

三人で、しばらく黙ってお茶を飲んだ。

窓の外で、春の夜が続いていた。

「カイル」とマティアスが言った。

「なんだ」

「今朝の話を、窓の外から聞かれていた」

カイルは少し止まった。

それからエルザを見た。

エルザは澄ました顔でお茶を飲んでいた。

カイルはマティアスを見た。

マティアスは前を向いていた。

「……どのくらい聞いていた」とカイルは言った。

「ほとんど全部だそうだ」

カイルはしばらく黙った。

それから、深くため息をついた。

「エルザ」

「なんですか」

「聞いたことは、胸にしまっておいてくれ」

「もうしまいました」

「そうか」

「カイルさんが一人で夜明け前の台所にいた話も、一緒にしまいました」

カイルがまた止まった。

「……それも聞いていたのか」

「早起きなんです、私」

カイルはしばらく黙った。

それから、また深くため息をついた。

今度は、最初のため息より少し短かった。

「……ありがとう」と、カイルは静かに言った。

エルザは笑った。

「どういたしまして」

マティアスは返事をしなかった。

しなかったが——カイルを一度だけ、横目で見た。

カイルも横目で見た。

何も言わなかった。

それで十分だった。

十五年来、それで十分だった。


その夜遅く、マティアスは引き出しに手紙を書いた。

誰にも送らない手紙だった。

一行だけ書いた。

言えた。

折って、引き出しに入れた。

閉めた。

窓の外では、春の夜が続いていた。

白い花が、夜風に揺れていた。

鎧は、今夜も着ていた。

ただ——隙間から入ってくるものが、今夜は今まで一番温かかった。

言えなかった言葉が、言えた夜だった。

それは、今まで一度もなかったことだった。

つづく


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