第一話「カイル・フォン・シュトラール現る」
春から夏になった。
マティアスの引き出しには、手紙が三通あった。エルザからが二通、フワンからが一通。フワンの手紙には「ミミがまた太った」と書いてあった。理由は不明だとも書いてあった。
マティアスは報告書を書いていた。
ドアが叩かれた。
「入れ」
入ってきたのは、部下ではなかった。
背が高かった。肩幅が広かった。軍服の襟元が、この暑さの中でも一分の乱れもなかった。そして何より——見るからに面倒くさそうな顔をした男だった。いや、正確には、面倒くさいのはこちらの方であって、その男自身は至極満足そうな顔をしていた。
男は部屋に入るなり、大きく息を吸い込んだ。
「オッホン」
マティアスはペンを止めた。
止めたが、顔は上げなかった。
「……カイル」
「久しいな、マティアス」
カイル・フォン・シュトラール。階級は中佐。マティアスとは士官学校時代からの知己であり、おそらくこの世界で最も厄介な部類の人間だった。
カイルは部屋を見回した。整頓された机。窓の外の夏空。そして引き出し。
引き出しを見た。
少し長く見た。
「オッホン」
「何が言いたい」
「何も」
「二回鳴いた」
「気のせいだ」
マティアスはペンを置いた。ようやく顔を上げた。カイルは椅子を引いて、誰に断るでもなく腰を下ろした。足を組んだ。袖を直した。その一連の動作が、舞台の上の俳優のように様になっていた。
「用件を言え」
「用件」とカイルは繰り返した。「友人の顔を見に来るのに、用件が必要か」
「お前が用件なしに人を訪ねたことは一度もない」
「それは偏見だ」
「事実だ」
カイルはしばらくマティアスを見た。それから、口の端を上げた。
「お前、少し変わったな」
マティアスは返事をしなかった。
「目が、前より柔らかい」
「そんなことはない」
「ある。私の目は確かだ」
「お前の目は余計なものを見すぎる」
「それが私の美点だ」とカイルは言った。まるで褒め言葉を受け取るように。「それで——」
カイルは引き出しを顎でしゃくった。
「誰だ」
マティアスは少し間を置いた。
「何の話だ」
「引き出しの中に手紙がある。お前が引き出しを持つようになったのは、いつからだ」
「引き出しは昔からある」
「中身が入るようになったのは、いつからだ」
マティアスはカイルを見た。カイルは澄ました顔で返した。
長い沈黙だった。
窓の外で、夏の風が木の葉を揺らした。
「……エルザという」
カイルは動かなかった。
動かなかったが——目が、わずかに輝いた。
「エルザ」
「そうだ」
「どこの」
「王国の東、ヴァイス村という小さな村だ」
「どうやって知り合った」
マティアスは少し間を置いた。
「……穴に落ちた」
カイルが固まった。
「……穴」
「そうだ」
「お前が」
「そうだ」
カイルはしばらく黙った。それから、ゆっくりと、腹の底から笑い始めた。声を上げて笑った。士官学校以来、マティアスが一度も見たことのない種類の笑い方で笑った。
「オッホン、オッホン——失礼、しかし——お前が——穴に——」
「笑うな」
「笑わずにいられるか——お前が穴に落ちて——敵国で——」
「笑うな」
カイルは笑い続けた。一分ほど笑い続けた。
やがて落ち着いて、目の端を拭いた。
「……それで、今はどういう状況だ」
「手紙のやり取りをしている。年に一度、会いに行く」
「年に一度」
「そうだ」
「それだけか」
「それだけだ」
カイルはしばらくマティアスを見た。それから、深くため息をついた。芝居がかったため息だった。
「マティアス」
「なんだ」
「お前は本当に、昔から」
「なんだ」
「鎧が厚すぎる」
マティアスは返事をしなかった。
カイルは立ち上がった。窓の外を見た。夏の空が広がっていた。
「私が行こうか」
「どこへ」
「ヴァイス村とやらに」
「なぜお前が行く」
「様子を見てくる。エルザという人物が、本当にお前の引き出しを埋めるに値する人間かどうか」
「余計なことをするな」
「余計ではない。友人の幸福を確認するのは、友人の義務だ」
「そんな義務はない」
「ある」とカイルは言った。「私が今決めた」
マティアスはカイルを見た。
カイルは満足そうな顔をしていた。
「……行くな」
「行く」
「命令だ」
「私はお前の部下ではない」
「そうだったな」
カイルは踵を返した。ドアに向かった。
「オッホン。では近いうちに」
「待て」
カイルが振り返った。
マティアスは少し間を置いた。
「……フワンという弟がいる。犬が九匹いる」
カイルは目を細めた。
「それは警告か」
「情報だ」
「犬が九匹」
「懐かれると面倒だ。覚悟しておけ」
カイルはしばらくマティアスを見た。
それから、また口の端を上げた。
「お前、本当に変わったな」
「そんなことはない」
「ある」
ドアが閉まった。
廊下に、足音が遠ざかった。
マティアスはしばらく、閉まったドアを見ていた。
それから引き出しを開けた。
手紙が三通あった。
四通目が、近いうちに来るかもしれなかった。
カイルからの手紙が。
それは——少し、面倒だと思った。
少しだけ、だが。
つづく




