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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Theater
第一章 牢屋と、壁と、名前を知らない花

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第十四話「十日間と、鎧と、言えなかったこと」


翌朝、目が覚めた時、天井が木だった。

石ではなかった。

白くもなかった。

節目のある、古い木の天井だった。フワンの家の、客間の天井だった。

マティアスはしばらくそれを見ていた。

悪くない天井だった。


朝食はパンと、昨夜の残りのシチューだった。

フワンが先に起きていて、すでに食べ終わっていた。

「おはようございます、マティアスさん」

「ああ」

「よく眠れましたか」

「ああ」

「昨夜、犬のルドルフがあなたの部屋に入り込んでいたんですが、気づきましたか」

「気づいた」

「追い出しましたか」

「いや」

フワンは少し驚いた顔をした。

「そのまま寝たんですか」

「足元にいたから、問題なかった」

フワンはにやにやした。

「ルドルフ、あなたのことが好きみたいです」

「そうか」

「犬に懐かれる人間は、たいてい悪い奴じゃないって、エルザが言ってました」

「私が言った言葉だ」

「あ、そうなんですか」フワンは少し考えた。「じゃあ、あなたは自分で自分のことを悪い奴じゃないと思ってるんですね」

マティアスは少し間を置いた。

「……そういう解釈もできるな」

フワンはまたにやにやした。

この少年は、よくにやにやする、とマティアスは思った。

エルザとは、笑い方が違った。エルザは声に出して笑う。フワンは、にやにやする。

でも、笑う理由が似ていた。

どちらも、マティアスが何か言うたびに笑った。


エルザが起きてきたのは、それから少し後だった。

髪がまだ整っていなかった。目が半分閉じていた。テーブルに座って、パンを一口食べて、それからようやくマティアスを見た。

「……おはよう」

「ああ」

「来てたのね、本当に」

「昨日も来ていた」

「寝てる間に夢になったのかと思った」

「なっていない」

エルザはパンをもう一口食べた。

それから、少し笑った。

寝起きの、ぼんやりした笑い方だった。

マティアスはその笑い方を、初めて見た。

牢屋では見なかった。村外れでも見なかった。

初めて見る笑い方だった。

「何を見てるの」とエルザが言った。

「別に」

「絶対何か見てた」

「初めて見る顔だと思っていた」

エルザは少し固まった。

それから、耳が赤くなった。

「……朝は勘弁してよ」

「何がだ」

「そういうことを、さらっと言うのが」

「事実を言っただけだ」

「それが問題なのよ」

フワンがにやにやしながら席を立った。

「畑を見てきます」

誰も止めなかった。

フワンは出ていった。

犬が三匹、後をついていった。

二人になった。

エルザはシチューをよそいながら、マティアスを見た。

「ねえ」

「なんだ」

「十日、いられるの?」

「そうだ」

「十日後には帰るの?」

「そうだ」

エルザはシチューをかき混ぜた。

黙っていた。

マティアスも黙っていた。

窓の外で、秋の風が吹いていた。

「……十日か」とエルザが言った。

「短いか」

「長くもないわよ」

「そうだな」

「でも」

エルザはスプーンを置いた。マティアスを見た。

「来てくれたじゃない」

「ああ」

「国境を越えて、三日かけて、迂回路を使って」

「そうだ」

「なんで来たの」

マティアスは少し間を置いた。

「手紙が届かなくなるかもしれないと書いていた」

「それだけ?」

「……それだけではない」

「じゃあ、他には」

マティアスは窓の外を見た。

秋の光が差し込んでいた。

犬が一匹、庭を横切っていた。

「引き出しが空になった、とお前が書いていた」

「書いたわね」

「私の引き出しも空だった。全部送った後、何も残らなかった」

「それで?」

「空の引き出しは、居心地が悪い」

エルザはしばらくマティアスを見た。

それから、ゆっくりと笑った。

「なにそれ」

「事実だ」

「引き出しが空だから会いに来たの?」

「そういうことになるかもしれない」

「なにそれ」とエルザはもう一度言った。でも笑っていた。

マティアスも——今日は、少し笑った。

昨日より、少しだけ、口の端が上がった。

「また笑った」とエルザが言った。

「そうか」

「だんだん増えてるわよ、笑う回数」

「そうかもしれない」

「なんで増えてるの」

マティアスは少し考えた。

「……理由があるからだろう」

エルザの耳が、また少し赤くなった。

シチューをよそう手が、少し止まった。

「……朝から勘弁してよ」

「昨日も同じことを言っていた」

「昨日も同じことをしたのよ、あなたが」

「そうか」

「そうよ」

窓の外で、フワンが犬と何か話していた。犬は答えなかったが、フワンは楽しそうだった。

シチューが、湯気を立てていた。

十日間。

短くもなく、長くもない時間。

マティアスはそれを、今日初めて、惜しいと思った。

惜しい、という感情を、久しぶりに感じた。

いつぶりだろうと考えた。

分からなかった。

それほど久しぶりだった。

「ねえ」とエルザが言った。

「なんだ」

「十日間、何をするの」

「特に決めていない」

「じゃあ、私が決めていい?」

「……好きにしろ」

エルザは笑った。

今度は、声に出して笑った。

「じゃあ、全部付き合ってもらうわよ」

「全部とは」

「村の案内とか、フワンの畑とか、犬の散歩とか、料理とか、夕日とか」

「夕日を見るのに付き合えということか」

「そう。雲の多い日に当たるといいんだけど」

「天候は制御できない」

「知ってるわよ。でも、一緒に見たいの。雲の多い日の夕日を、あなたと」

マティアスは返事をしなかった。

しなかったが——

「分かった」と言った。

エルザが笑った。

シチューが旨かった。

今日も、今まで食べた中で一番旨かった。


十日間は、あっという間だった。

一日目は、村の案内だった。十軒の家と、一つの井戸と、フワンの畑と、小川と、丘の上からの景色。それだけだったが、半日かかった。エルザがひとつひとつ説明したからだ。

二日目は、犬の散歩だった。八匹全員を連れて、小川沿いを歩いた。ルドルフがずっとマティアスの隣を歩いた。エルザがそれを見て笑った。

三日目は、雨だった。

家の中で、手紙を書いた。

エルザが隣で、フワンへの手紙を書いていた。フワンは同じ家にいたが、エルザはフワンへの手紙をよく書くらしかった。

「なぜ手紙を書く、同じ家にいるのに」

「伝えにくいことは、手紙の方が書きやすいのよ」

マティアスは少し考えた。

「そうかもしれない」

「あなたもそうでしょ」

「……そうだな」

エルザは手紙を書きながら、横目でマティアスを見た。

「今、何を書いてるの」

「報告書だ」

「休暇中に報告書を書くの?」

「書かないと溜まる」

「真面目ね」

「そうでもない」

「十分真面目よ」

マティアスは報告書を書きながら、横目でエルザを見た。

雨の音が、窓を叩いていた。

「エルザ」

「なに?」

「雨の日は、好きか嫌いか」

エルザは少し考えた。

「好きよ」

「理由は」

「音がいいから。雨の音を聞いてると、外に出なくていい気がして、安心する」

「そうか」

「あなたは?」

マティアスは少し考えた。

「……嫌いではない」

「それだけ?」

「雨の中を三日走ったことがある。その時は好きではなかった」

エルザが少し固まった。

「……それ、こっちに来た時の話?」

「そうだ」

エルザはしばらく黙った。

それから、小さく言った。

「ごめんなさい」

「なぜ謝る」

「雨の中を走らせたから」

「お前のせいではない。雨が降ったのはお前のせいではない」

「でも」

「来たのは私の判断だ。雨でも来ていた」

エルザはまた黙った。

雨の音が続いていた。

「……雨でも来てくれたの」

「そうだ」

「嫌いじゃなくなった? 雨」

マティアスは少し考えた。

「……今日は、悪くない」

エルザが笑った。

小さく、でも温かく笑った。

「よかった」


四日目から六日目は、晴れていた。

夕日は、単純な橙色だった。

「残念」とエルザは言った。

「そうか」

「雲がないと、単純な色になるのよ」

「お前が以前そう言っていた」

「覚えてるのね」

「覚えている」

「全部覚えてるの、やっぱり」

「必要なものは」

エルザはマティアスを見た。

「私との会話は、必要なの?」

マティアスは夕日を見た。

橙色の、単純な夕日だった。

「……ああ」

エルザは何も言わなかった。

ただ、隣に座って、同じ夕日を見ていた。

二人の間に、風が吹いた。

悪くなかった。

単純な夕日だったが、悪くなかった。


七日目に、雲が来た。

「来た」とエルザが言った。

「そうだな」

「今日の夕日、複雑な色になるわよ」

「そうかもしれない」

二人で丘の上に登った。

フワンも来た。犬も三匹来た。

夕日が沈み始めた。

雲が多かった。

橙色が、赤に変わった。赤が、紫に変わった。紫が、青に混じった。

複雑な色だった。

変わり続けていた。

エルザが隣で、黙って見ていた。

フワンが犬と何か話していた。

マティアスは夕日を見ていた。

見ながら、思った。

こういう時間を、惜しいと思う。

残り三日だった。

「きれいでしょ」とエルザが言った。

「ああ」

「好きになった? 雲の多い夕日」

「……もともと嫌いではなかった」

「でも今日は?」

マティアスは少し間を置いた。

「好きだ」

エルザが笑った。

夕日が、また色を変えた。


八日目と九日目は、あっという間に過ぎた。

何をしたか、後から思い出そうとしても、断片しか出てこなかった。

シチューを食べた。川沿いを歩いた。フワンの畑を見た。犬が増えそうだとフワンが言った。どこの犬だとマティアスが聞いた。村外れに迷い込んできた犬だとフワンが言った。エルザが名前を考え始めた。

そういう時間だった。

何でもない時間だった。

でも、後から思い出す時、その断片ひとつひとつが、やたらと鮮明だった。


十日目の朝が来た。

マティアスは夜明け前に目が覚めた。

空がまだ決まっていない時間だった。

木の天井を見た。

節目のある、古い木の天井だった。

今日が最後だった。

荷物は昨夜のうちにまとめてあった。馬の準備もしてあった。

朝食を食べて、出発する。

それだけだった。

起き上がった。

窓を開けた。

夜明け前の空が広がっていた。

雲が少しあった。

今日の夕日は、少し複雑な色になるかもしれなかった。

見られない夕日だった。

マティアスはしばらく空を見ていた。

それから、便箋を取り出した。

書いた。


また来る。

マティアス


短かった。

二文字だけだった。

いや、三文字だった。

でも、これ以上は書けなかった。

書けなかったのではなく、これで十分だと思った。

折って、エルザの部屋のドアの下に、差し込んだ。


朝食は、また温かいシチューだった。

エルザが作っていた。

マティアスが台所に入った時、エルザは振り返らなかった。

鍋をかき混ぜながら、言った。

「手紙、読んだ」

「そうか」

「また来るって書いてた」

「そうだ」

「本当に?」

「嘘はつかない」

エルザはしばらく鍋をかき混ぜていた。

それから、振り返った。

目が、少し赤かった。

泣いていたのか、それとも眠れなかったのか、マティアスには分からなかった。

聞かなかった。

聞く代わりに、テーブルに座った。

「シチューが冷める前に食べるぞ」

エルザは少し笑った。

泣いていたとしても、笑える人だった。

「そうね」

シチューをよそった。

二人でテーブルに座った。

フワンはまだ寝ていた。

静かな朝だった。

「ねえ、マティアス」

「なんだ」

「引き出しに、また入れるものが増えるわね」

「そうだな」

「今度は何が届くか、楽しみにしてる」

「大したことは書かない」

「大したことじゃなくていいのよ」

マティアスはシチューを食べた。

旨かった。

また、今まで食べた中で一番旨かった。

「エルザ」

「なに?」

「雨の日の話を聞かせてくれ、と手紙に書こうと思っていた」

「聞けたじゃない、直接」

「そうだな」

「他にも聞きたいことがあるなら、今のうちに聞けばいいじゃない」

マティアスは少し考えた。

「冬の景色は、好きか」

「好きよ。雪が積もると、村が静かになるから」

「春は」

「花が咲くから好き。名前を知らない花が、たくさん咲くのよ、この村」

マティアスは少し止まった。

「名前を知らない花か」

「そう。白くて小さい花。あなたは?」

「……私も、名前を知らない花の香りを、ずっと覚えている」

エルザが少し固まった。

「どこで嗅いだの」

「牢屋の窓から、ずっと漂ってきていた」

エルザはしばらく黙った。

それから、小さく笑った。

「それ、たぶん同じ花よ」

「そうか」

「この辺りに、よく咲くの」

「そうか」

「来年の春に来たら、見られるわよ」

マティアスは少し考えた。

「来年の春か」

「来られそう?」

「分からない。ただ」

「ただ?」

「また来ると書いた。それは変わらない」

エルザは笑った。

今度は声に出して笑った。

「変わらないのね、あなたって」

「そうかもしれない」

「鎧も変わらないし」

「そうだな」

「でも」

エルザはマティアスを見た。

まっすぐに、見た。

「隙間は、最初より広くなってると思う」

マティアスは返事をしなかった。

しなかったが——否定しなかった。

それが、答えだった。


出発の時、フワンが見送りに来た。

犬が八匹、全員来た。

ルドルフが、マティアスの足に頭を押しつけた。

マティアスは犬の頭を撫でた。

「またな」と言った。

犬は尻尾を振った。

フワンが、にやにやしながら言った。

「マティアスさん」

「なんだ」

「次来る時は、もう少し早く来てください」

「善処する」

「エルザが手紙を書く時、毎回顔が赤いので」

「フワン」とエルザが言った。

「事実ですよ」

「黙りなさい」

「でも事実——」

「黙れ」

フワンは黙った。

でもにやにやは止まらなかった。

マティアスは馬に乗った。

エルザが見上げていた。

秋の光の中で、栗色の髪が揺れていた。

「マティアス」

名前を呼んだ。

顔を見て、声に出して、呼んだ。

三度目だった。

一度目は村外れで。二度目は広場で。三度目は今だった。

呼ばれるたびに、鎧の隙間から、何かが入ってきた。

「ああ」とマティアスは言った。

「またね」とエルザは言った。

「ああ」とマティアスは言った。

馬を向けた。

歩き始めた。

振り返らなかった。

振り返ったら、帰れなくなる気がした。

そういうことは、初めてだった。

小川沿いの道を、南へ向かった。

しばらく行ったところで、後ろから声がした。

「来年の春、待ってるから!」

エルザの声だった。

マティアスは馬を止めなかった。

ただ、右手が、ほんの少しだけ、持ち上がった。

それだけだった。

それで十分だった。

小川の水が、秋の光を受けて、きらきらと光っていた。

鎧は、いつも通りに着ていた。

ただ——隙間から、川の光が差し込んでいた。

名前を知らない花が、来年の春に咲くまで。

その隙間は、閉じないでいようと思った。

思ったことを、誰にも言わなかった。

言う必要がなかった。

来年の春に、言えばいい。


つづく

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