第一話「拘留所の扉と、鎧のない男」
王都に着いた頃には、馬は疲れ切っていた。
マティアスも同じだった。
それでも、足を止めなかった。
拘留所の場所は、宿の主人から聞いていた。石造りの、無愛想な建物だった。
門の前に、見張りが二人立っていた。
「何の用だ」と一人が言った。
「中に、囚われている娘に会いたい」
「名は」
「エルザ」
見張りは顔を見合わせた。
「殿下のお許しがなければ、通せん」
「殿下はどこにいる」
「知らん」
マティアスは、しばらく建物を見上げた。
石の壁。小さな窓。
かつて自分が入っていた牢屋と、よく似た造りだった。
違うのは——今度は、自分が外にいることだった。
「待て」
声がした。
見張りの一人ではなかった。
建物の陰から、若い男が出てきた。無表情で、姿勢の良い男だった。
「クルトと申します」と男は言った。「エルザ様の見張りを、務めております」
マティアスは男を見た。
「エルザは、中にいるのか」
「はい」
「会わせてくれ」
クルトはしばらくマティアスを見た。
それから、静かに言った。
「あなたが、マティアス殿ですか」
マティアスは少し止まった。
「なぜ、その名を知っている」
「エルザ様から、伺いました。手紙を書く相手がいる、と」
「……そうか」
クルトは、門の見張りたちに、何か合図をした。
見張りたちは、戸惑った顔をしたが、道を空けた。
「なぜ、通す」とマティアスが聞いた。
クルトは、少し間を置いた。
「エルザ様は、この屋敷に来てから、誰にでも、心を許される方でした」
「それで」
「ただ、一度も、ご自分から、誰かの名を、そんな風には、呼ばれませんでした」
クルトは、扉を開けた。
「あなたの名だけは、別でした」
石の階段を下りた。
廊下の奥に、牢屋があった。
小さな窓から、夕方の光が差し込んでいた。
マティアスは、足を止めた。
そこに、エルザがいた。
寝台に座って、窓の外を見ていた。
栗色の髪。大きな目。
三日間、壁越しに話した頃と、変わらない横顔だった。
「エルザ」
声が、震えていた。
自分でも、驚くほど。
エルザが、振り返った。
一瞬、時間が止まった。
「……マティアス?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
エルザは、立ち上がった。
それから、鉄格子に駆け寄った。
両手で、格子を掴んだ。
「本当に、マティアスなの」
「そうだ」
エルザの目に、涙が浮かんだ。
「なんで、ここが分かったの」
「港町で、噂を聞いた」
「噂?」
「お前が、また捕まっていると」
エルザは、しばらく、マティアスを見ていた。
それから、泣きながら、笑った。
「バカね。港にいるはずだったんじゃないの」
「そうだった」
「なんで、来たの」
マティアスは、少し間を置いた。
「言えていない言葉が、まだあった」
エルザが、止まった。
「今、それを言いに来たの」
「そうだ」
「今この状況で?」
「今しか、言えない気がした」
エルザは、格子を握ったまま、しばらく黙った。
それから、静かに言った。
「言って」
マティアスは、鉄格子越しに、エルザを見た。
初めて出会った夜と、同じ格子だった。
違うのは——今度は、鎧を脱いだまま、そこに立っていることだった。
「エルザ」
「なに」
「一緒にいたい、はもう言った」
「言ったわね」
「その先の言葉が、まだ残っていた」
「どんな言葉」
マティアスは、大きく息を吸った。
「私の妻になってくれ」
牢屋の中が、静かになった。
虫の音も、風の音も、聞こえなくなった気がした。
エルザは、しばらく、何も言わなかった。
それから、格子越しに、手を伸ばした。
マティアスも、手を伸ばした。
指先が、触れた。
「……返事は」
「うん」とエルザは言った。「うん、うん」
「それは、いいという意味か」
「いいに決まってるでしょう、バカ」
エルザは、泣きながら、笑っていた。
声を出して、笑っていた。
牢屋の壁に、その声が響いた。
かつて、シチューの匂いと一緒に響いた声と、同じ声だった。
つづく




