第四話「約束の丘で」
数週間後、マティアスはヴァイス村に向かった。
予定より早い訪問だった。
理由は書かなかった。
「話したいことがある」とだけ、手紙に書いた。
丘の上で、エルザが待っていた。
白い花が、風に揺れていた。
「早いじゃない」とエルザは言った。「手紙にも、あんまり書いてなかったし」
「話がある」
「怖い顔してる」
「怖くはない」
「してるわよ」
マティアスは、押し花を、懐から出した。
エルザに見せた。
エルザの表情が、少し変わった。
「これ——」
「お前の村の花だ」
「知ってる。でも、なんで、あなたが持ってるの」
マティアスは、話し始めた。
グレーテの手紙のこと。
イレーネが失った、本当の双子のこと。
エルザ自身が、拾われた子供である可能性のこと。
エルザは、長い間、何も言わなかった。
白い花が、揺れ続けていた。
「……そう」とエルザは、ようやく言った。「そういうこと」
「すまない。もっと、うまく話す方法があったかもしれない」
「ううん」とエルザは言った。「あなたは、いつも、まっすぐ話してくれる。それでいい」
エルザは、丘の下を見た。
村が見えた。
小川が光っていた。
「妹を探して、十九年、生きてきたの」とエルザは言った。「顔も知らない、声も知らない、いるかどうかも分からない誰かを」
「知っている」
「それが、最初からいなかったって言われて——」
エルザは、言葉を切った。
しばらく、黙っていた。
「悲しい?」とマティアスは聞いた。
エルザは、少し考えた。
「分からない」と言った。「悲しいのか、安心したのか、自分でも、まだ整理できてない」
「時間がかかっても、いい」
「うん」
エルザは、白い花を、一輪、摘んだ。
それを見つめた。
「お母さんは」とエルザは言った。「嘘をついたんじゃない。守ろうとしたんだと思う」
「そうだろうな」
「自分の失った子供の分まで、私に、何かを持たせたかったんだと思う」
マティアスは、頷いた。
「一つ、聞いていい」とエルザは言った。
「なんだ」
「あなたのお母さんと、私のお母さんが、同じ人だったら——」
「血は繋がらない」とマティアスは言った。「お前は、拾われた子だ。血の繋がりの話をするなら、私たちの間には、何もない」
エルザは、しばらくマティアスを見た。
それから、小さく笑った。
安堵の混じった笑い方だった。
「よかった」
「そうか」
「うん」
エルザは、摘んだ花を、マティアスに差し出した。
「これでも、血は繋がってないんでしょ」
「繋がっていない」
「じゃあ、大丈夫ね」
マティアスは、花を受け取った。
白くて、小さな花だった。
名前を知らない花だった。
丘の上に、風が吹いた。
花が、二人の周りで揺れていた。
鎧は、今日も着ていた。
ただ——今日の隙間からは、これまでで一番、静かな安堵が満ちていた。
「ねえ」とエルザが言った。
「なんだ」
「妹のこと、今度から、どう思って生きればいいのかな」
マティアスは、少し考えた。
「いなかった妹ではなく」と言った。「お前を、一人にしたくなかった母親の気持ちがあった、と思えばいい」
エルザは、しばらく、その言葉を、考えていた。
それから、頷いた。
「うん。そう思う」
つづく




