三話「羅針盤の話」
カイルは、しばらく、その場に立っていた。
蝋燭の火が、揺れていた。
「士官学校で、初めて会った時」とカイルは言った。「なぜ、あいつの隣を歩きたいと思ったのか、自分でも分からなかった」
「それは」
「理由がなかった。ただ、隣を歩きたかった」
父は、静かに、カイルを見ていた。
「羅針盤を逆に読んで、三時間、正反対の方向を歩いた夜があった」とカイルは続けた。「私は、最初から気づいていた。だが、何も言わなかった」
「なぜだ」
「あいつが、自分で気づく必要があると思ったからだ、と、あの時は答えた」
カイルは、少し笑った。
自分でも、驚くような笑い方だった。
「今、同じ言葉を、あなたから聞くとは思わなかった」
父は、何も言わなかった。
「血が、繋がっていたのか」とカイルは言った。「だから、あの時、隣を歩きたいと思ったのか」
「分からない」と父は言った。「血の話をするには、私は、あまりに何も知らない。ただ——」
「ただ」
「お前が、あいつのために、ここまでする男に育ったことは、誇りに思っている。血が繋がっていようがいまいが、それは変わらない」
カイルは、窓の外を見た。
夜だった。
星が出ていた。
「マティアスは、知っているのか」
「知らないだろう」と父は言った。「伯爵は、母の身分までは話したかもしれない。だが、双子だったとまでは、話していないはずだ」
「なぜ分かる」
「話していれば、お前を見る目が変わっているはずだ」
カイルは、少し考えた。
確かに、マティアスの目は、いつも通りだった。
「話すべきか」
父は、しばらく黙っていた。
「それは、お前が決めることだ」
「あなたは、どう思う」
「私は、もう長くない」と父は静かに言った。「知っていることを、墓場まで持っていくつもりはなかった。だから、お前に話した。その先は——お前の判断だ」
カイルは、しばらく、星を見ていた。
それから、小さく、息を吐いた。
「オッホン」
父が、わずかに笑った。
「その癖は、母親からもらったものではないと思うが」
「違う」とカイルは言った。「これは、私が自分で見つけた癖だ」
「そうか」
「そうだ」
つづく




