第十二話「一月と、戻された朝」
村での日々は、あっという間に過ぎた。
エルザは、畑仕事に戻った。
鶏の世話も、水やりも、何も変わっていなかった。
体が、覚えていた。
「エルザ、痩せた?」とフワンが聞いた。
「そんなことないわよ」
「なんか、違う気がする」
「気のせいよ」
フワンは、それ以上聞かなかった。
ただ、以前より、エルザのそばを離れなかった。
夜、フワンが寝入った後、エルザは、一人で丘に登った。
白い花が、満開だった。
座って、しばらく、花を見ていた。
村長が、様子を見に来た。
「エルザ」
「村長さん」
「向こうでは、辛い思いをしたか」
エルザは、少し考えた。
「辛いことも、そうでないことも、ありました」
村長は、それ以上聞かなかった。
「一月後、また来る、と言っていたな」
「はい」
「その後は、どうなる」
「分かりません」
村長は、静かに頷いた。
「お前の好きにすればいい。村は、お前の帰る場所であり続ける」
エルザは、その言葉に、少しだけ、涙ぐんだ。
行商人が、その頃、村に立ち寄った。
「王都は、物々しいままだぞ」と行商人は言った。
「知ってます」
「殿下の噂も、色々流れとる」
「どんな噂ですか」
「ある娘に、ずいぶん執心だとか。宮廷でも、変わったお方だと、専らの噂だ」
エルザは、何も言わなかった。
行商人は、それ以上、深く聞かなかった。
一月は、早かった。
最後の夜、エルザは、フワンと二人で、丘に座った。
「エルザ」
「なに」
「また、行っちゃうの」
「約束だから」
「約束、破ったら駄目なの」
「破ったら、村が危なくなるかもしれない」
フワンは、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「早く、帰ってきてね」
「うん」
エルザは、フワンの頭を撫でた。
何も、確かなことは言えなかった。
フワンはにやにやしなかった。
翌朝、馬車の音がした。
アルブレヒトだった。
一人ではなかった。
兵を、数人連れていた。
前回とは、様子が違った。
「殿下」
「支度はできているか」
「はい」
アルブレヒトの表情は、以前より硬かった。
「今回は、拘留所へ、直接向かう」
「屋敷では、ないのですか」
「事情が、変わった」
「どのような」
アルブレヒトは、答えなかった。
ただ、目を逸らした。
その様子に、エルザは、何かを察した。
「殿下に、何か、あったのですか」
「お前が、気にすることではない」
「気になります」
アルブレヒトは、しばらく、エルザを見ていた。
それから、静かに言った。
「私にも、時間がなくなった。それだけだ」
フワンが、エルザの服の裾を、強く握った。
放さなかった。
「フワン」
フワンは、何も言わなかった。
ただ、裾を握る手に、力がこもった。
「フワン」
「……もし」
「もし?」
「もし、今度は、帰ってこられなかったら」
エルザは、しばらく、何も言えなかった。
「帰ってくるわ」
「約束、できるの」
「……できない」
エルザは、初めて、それを認めた。
フワンの目が、揺れた。
「だから」とエルザは言った。「今、言っておく」
「なに」
「フワンは、ここにいて、いいの。私がいなくても、ちゃんと、生きていける子よ」
「そんなの——」
「知ってるわ、聞きたい言葉じゃないこと」
「聞きたいのは、そんなことじゃない」
フワンの声が、震えた。
「一緒にいてほしいだけだよ」
エルザは、フワンを、強く抱きしめた。
「ごめんね」
「謝らないでよ」
「それでも、ごめんね」
フワンは、しばらく、声を殺して泣いた。
エルザの服が、涙で濡れた。
「エルザ」
「なに」
「歌、覚えてる」
「ええ」
「もし、もう会えなくても」
フワンは、言葉を、しばらく探した。
「あの歌だけは、忘れないで」
エルザは、フワンの背を、静かに撫でた。
「忘れないわ」
「約束」
「約束する。それは、できる」
フワンは、ようやく、少しだけ、裾を握る手を緩めた。
エルザは、馬車に乗った。
振り返ると、フワンが、村長に支えられながら、こちらを見ていた。
白い花が、丘の上で、風に揺れていた。
馬車が走り出した。
アルブレヒトは、隣に座ったまま、何も言わなかった。
エルザも、何も言わなかった。
車輪の音だけが、続いていた。
「殿下」
「なんだ」
「今度は、いつまでですか」
アルブレヒトは、しばらく、答えなかった。
「分からない」
「また、それですか」
「今度は、本当に、分からない」
その声には、これまでにない、何かがあった。
焦りとも、諦めとも、つかない響きだった。
王都が、近づいてきた。
拘留所の建物が、見えてきた。
石造りの、無愛想な建物だった。
「殿下」
「なんだ」
「私は、何度でも、お断りします」
アルブレヒトは、エルザを見た。
それから、小さく笑った。
疲れた笑い方だった。
「知っている」
「それでも」
「それでも、お前が、欲しい」
その言葉には、もう、余裕がなかった。
馬車が、止まった。
兵が、扉を開けた。
エルザは、降りた。
石の建物が、目の前にあった。
「連れて行け」とアルブレヒトが、兵に言った。
声が、少し震えていた気がした。
エルザは、それを、聞かなかったふりをした。
牢屋の扉が、開いた。
石の壁。
硬い寝台。
小さな窓。
「入れ」と看守が言った。
エルザは、素直に、入った。
扉が閉まった。
鍵の音が、響いた。
寝台に、座った。
窓から、夜風が入ってきた。
花の香りは、まだ、しなかった。
隣の牢屋に、いつか、誰かが入ってくるのだろうか。
エルザには、まだ、知る由もなかった。
窓の外で、夜が、静かに更けていった。
つづく




