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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十四章 連れ去られたエルザと、青いドレスの日々

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第十二話「一月と、戻された朝」


村での日々は、あっという間に過ぎた。

エルザは、畑仕事に戻った。

鶏の世話も、水やりも、何も変わっていなかった。

体が、覚えていた。

「エルザ、痩せた?」とフワンが聞いた。

「そんなことないわよ」

「なんか、違う気がする」

「気のせいよ」

フワンは、それ以上聞かなかった。

ただ、以前より、エルザのそばを離れなかった。


夜、フワンが寝入った後、エルザは、一人で丘に登った。

白い花が、満開だった。

座って、しばらく、花を見ていた。

村長が、様子を見に来た。

「エルザ」

「村長さん」

「向こうでは、辛い思いをしたか」

エルザは、少し考えた。

「辛いことも、そうでないことも、ありました」

村長は、それ以上聞かなかった。

「一月後、また来る、と言っていたな」

「はい」

「その後は、どうなる」

「分かりません」

村長は、静かに頷いた。

「お前の好きにすればいい。村は、お前の帰る場所であり続ける」

エルザは、その言葉に、少しだけ、涙ぐんだ。

行商人が、その頃、村に立ち寄った。

「王都は、物々しいままだぞ」と行商人は言った。

「知ってます」

「殿下の噂も、色々流れとる」

「どんな噂ですか」

「ある娘に、ずいぶん執心だとか。宮廷でも、変わったお方だと、専らの噂だ」

エルザは、何も言わなかった。

行商人は、それ以上、深く聞かなかった。

一月は、早かった。

最後の夜、エルザは、フワンと二人で、丘に座った。

「エルザ」

「なに」

「また、行っちゃうの」

「約束だから」

「約束、破ったら駄目なの」

「破ったら、村が危なくなるかもしれない」

フワンは、しばらく黙っていた。

それから、小さく言った。

「早く、帰ってきてね」

「うん」

エルザは、フワンの頭を撫でた。

何も、確かなことは言えなかった。

フワンはにやにやしなかった。


翌朝、馬車の音がした。

アルブレヒトだった。

一人ではなかった。

兵を、数人連れていた。

前回とは、様子が違った。

「殿下」

「支度はできているか」

「はい」

アルブレヒトの表情は、以前より硬かった。

「今回は、拘留所へ、直接向かう」

「屋敷では、ないのですか」

「事情が、変わった」

「どのような」

アルブレヒトは、答えなかった。

ただ、目を逸らした。

その様子に、エルザは、何かを察した。

「殿下に、何か、あったのですか」

「お前が、気にすることではない」

「気になります」

アルブレヒトは、しばらく、エルザを見ていた。

それから、静かに言った。

「私にも、時間がなくなった。それだけだ」

フワンが、エルザの服の裾を、強く握った。

放さなかった。

「フワン」

フワンは、何も言わなかった。

ただ、裾を握る手に、力がこもった。

「フワン」

「……もし」

「もし?」

「もし、今度は、帰ってこられなかったら」

エルザは、しばらく、何も言えなかった。

「帰ってくるわ」

「約束、できるの」

「……できない」

エルザは、初めて、それを認めた。

フワンの目が、揺れた。

「だから」とエルザは言った。「今、言っておく」

「なに」

「フワンは、ここにいて、いいの。私がいなくても、ちゃんと、生きていける子よ」

「そんなの——」

「知ってるわ、聞きたい言葉じゃないこと」

「聞きたいのは、そんなことじゃない」

フワンの声が、震えた。

「一緒にいてほしいだけだよ」

エルザは、フワンを、強く抱きしめた。

「ごめんね」

「謝らないでよ」

「それでも、ごめんね」

フワンは、しばらく、声を殺して泣いた。

エルザの服が、涙で濡れた。

「エルザ」

「なに」

「歌、覚えてる」

「ええ」

「もし、もう会えなくても」

フワンは、言葉を、しばらく探した。

「あの歌だけは、忘れないで」

エルザは、フワンの背を、静かに撫でた。

「忘れないわ」

「約束」

「約束する。それは、できる」

フワンは、ようやく、少しだけ、裾を握る手を緩めた。

エルザは、馬車に乗った。

振り返ると、フワンが、村長に支えられながら、こちらを見ていた。

白い花が、丘の上で、風に揺れていた。


馬車が走り出した。

アルブレヒトは、隣に座ったまま、何も言わなかった。

エルザも、何も言わなかった。

車輪の音だけが、続いていた。

「殿下」

「なんだ」

「今度は、いつまでですか」

アルブレヒトは、しばらく、答えなかった。

「分からない」

「また、それですか」

「今度は、本当に、分からない」

その声には、これまでにない、何かがあった。

焦りとも、諦めとも、つかない響きだった。

王都が、近づいてきた。

拘留所の建物が、見えてきた。

石造りの、無愛想な建物だった。

「殿下」

「なんだ」

「私は、何度でも、お断りします」

アルブレヒトは、エルザを見た。

それから、小さく笑った。

疲れた笑い方だった。

「知っている」

「それでも」

「それでも、お前が、欲しい」

その言葉には、もう、余裕がなかった。

馬車が、止まった。

兵が、扉を開けた。

エルザは、降りた。

石の建物が、目の前にあった。

「連れて行け」とアルブレヒトが、兵に言った。

声が、少し震えていた気がした。

エルザは、それを、聞かなかったふりをした。

牢屋の扉が、開いた。

石の壁。

硬い寝台。

小さな窓。

「入れ」と看守が言った。

エルザは、素直に、入った。

扉が閉まった。

鍵の音が、響いた。

寝台に、座った。

窓から、夜風が入ってきた。

花の香りは、まだ、しなかった。

隣の牢屋に、いつか、誰かが入ってくるのだろうか。

エルザには、まだ、知る由もなかった。


窓の外で、夜が、静かに更けていった。


つづく


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