第十話「舞踏会の夜」
その夜、エルザは、鏡の前に立たされていた。
侍女が三人がかりで、髪を結い上げていた。
コルセットは、息苦しいほどきつく締められていた。
青いドレスだった。
「よくお似合いです」と侍女の一人が言った。
エルザは、鏡の中の自分を見た。
知らない女が、そこに立っていた。
扉が開いた。
アルブレヒトだった。
正装していた。
エルザを見て、しばらく、動かなかった。
「……よく似合う」
「ありがとうございます」
声は、平坦だった。
「腕を」とアルブレヒトが言った。
エルザは、腕を差し出した。
舞踏の間は、光で満ちていた。
シャンデリアが、いくつも下がっていた。
音楽が鳴っていた。
知らない旋律だった。
「アルブレヒト殿下」
「ご婚約者様ですか」
声が、次々と飛んできた。
エルザは、笑顔を作った。
稽古で覚えた足運びを、なぞった。
間違えかけると、アルブレヒトの手が、支えた。
「筋がいい」と、踊りながら、アルブレヒトが言った。
「殿下のリードが、上手いだけです」
「両方だ」
遠くで、貴族たちが囁いていた。
「どこの家の娘だ」
「東の、名も無い村の娘だとか」
声は、届いていた。
聞こえていないふりを、続けた。
曲が終わると、庭に連れ出された。
夜風が、コルセットの上から、冷たく当たった。
「エルザ」
「はい」
「今夜のことを、後悔させないでほしい」
「殿下が、後悔なさらないよう、努めることは、できません」
「なぜだ」
「私は、私のままでいることしか、できませんので」
アルブレヒトは、それ以上、何も言わなかった。
それから、舞踏会は終わった。
屋敷への馬車ではなく、別の馬車が用意されていた。
エルザは、何も聞かされないまま、乗せられた。
馬車が止まったのは、屋敷ではなかった。
拘留所だった。
「殿下」
「今夜は、ここまでだ」とアルブレヒトは言った。
声は、疲れていた。
「明日、また来る」
侍女たちが、エルザを部屋に連れて行った。
青いドレスを、脱がされた。
代わりに渡されたのは、粗末な、村娘の服だった。
牢屋の扉が、開いた。
石の壁。
硬い寝台。
小さな窓。
「入れ」と看守が言った。
エルザは、素直に、入った。
扉が閉まった。
寝台に、座った。
コルセットの跡が、まだ、痛かった。
息は、さっきよりも、ずっと楽だった。
窓から、夜風が入ってきた。
花の香りは、しなかった。
「……これで、いいのよ」
誰にも聞こえないところで、そう呟いた。
つづく




