第九話「ダンスの稽古と、慣れない足運び」
翌日から、マルタとダンスの稽古が始まった。
庭に面した広間に、二人だけだった。
「まず、基本の足運びからです」
マルタが、実際に見せた。
エルザは、それを真似た。
すぐに、つまずいた。
「難しいわ」
「最初は皆そうです」
「マルタも、こういうのを習ったの」
マルタは、少し間を置いた。
「……昔、少しだけ」
「昔って、いつ」
「今は、お稽古に集中しましょう」
エルザは、それ以上聞かなかった。
何度も足を止めた。
何度も、同じ動きを繰り返した。
「殿下は、お上手なのでしょうね」
「宮廷でも、有名です」
「じゃあ、私が下手だと、恥をかかせることになるのね」
「大丈夫です。リードがお上手なので、合わせやすいはずです」
昼過ぎ、少し動きが掴めてきた頃、扉が開いた。
アルブレヒトだった。
「稽古中か」
マルタが、慌てて頭を下げた。
エルザは、姿勢を正した。
「見ていただくほどのものでは」
「見せてくれ」
マルタが、下がった。
音楽はなかった。
アルブレヒトが、手を差し出した。
「一曲、合わせてみるか」
「音楽がありません」
「私が数える」
エルザは、迷ってから、手を重ねた。
アルブレヒトが、数を数え始めた。
ゆっくりとした動きだった。
エルザは、足元を見ながら、ついていった。
「顔を上げろ」とアルブレヒトが言った。
「足元を見ないと、間違えます」
「間違えても構わない。顔を見せろ」
エルザは、仕方なく顔を上げた。
足が、一瞬、絡んだ。
アルブレヒトの手が、支えた。
「悪くない」
「今、間違えました」
「間違えても、支えれば済む」
数回、同じ動きを繰り返した。
少しずつ、体が慣れてきた。
「筋がいい」
「褒めても、何も出ません」
「褒めているわけではない。正直に言ったまでだ」
その素っ気ない言い方に、エルザは、少しだけおかしくなった。
「殿下」
「なんだ」
「本番でも、こうして支えていただけますか」
「当然だ」
「では、間違えても、安心です」
アルブレヒトは、少し、目を細めた。
「そうやって、私を利用するのか」
「利用ではありません。頼っているだけです」
「同じことだ」
「違います」
アルブレヒトは、小さく笑った。
今日は、苛立ちの混じらない笑い方だった。
稽古が終わると、アルブレヒトは、少し息を整えてから言った。
「舞踏会の夜は、私から離れるな」
「離れたら、どうなるのですか」
「お前を、値踏みする目が、たくさんある」
「値踏み、ですか」
「身元の分からない娘だ。何を言われても、おかしくない」
エルザは、少し、身構えた。
「覚悟しておきます」
「覚悟していても、傷つくことはある」
「殿下は、経験がおありなのですか」
アルブレヒトの表情が、一瞬、曇った。
「……ある」
それだけ言って、話を打ち切った。
マルタが呼ばれて、稽古は終わった。
部屋に戻る途中、マルタが小声で言った。
「殿下が、あそこまで、根気強く稽古に付き合われるのは、珍しいです」
「そうなの」
「はい。普段は、人に教えるようなことは、なさいません」
エルザは、それを聞いて、何も言わなかった。
ただ、支えられた時の手の感触だけが、少し、記憶に残っていた。
夜、部屋の窓から、庭を見た。
月明かりの下で、風鈴草が、静かに揺れていた。
音のしない花を見ながら、エルザは、数日後の舞踏会のことを考えた。
知らない世界に、また一歩、近づいていく気がした。
それが、良いことなのか、まだ分からなかった。
つづく




