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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十四章 連れ去られたエルザと、青いドレスの日々

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第九話「ダンスの稽古と、慣れない足運び」


翌日から、マルタとダンスの稽古が始まった。

庭に面した広間に、二人だけだった。

「まず、基本の足運びからです」

マルタが、実際に見せた。

エルザは、それを真似た。

すぐに、つまずいた。

「難しいわ」

「最初は皆そうです」

「マルタも、こういうのを習ったの」

マルタは、少し間を置いた。

「……昔、少しだけ」

「昔って、いつ」

「今は、お稽古に集中しましょう」

エルザは、それ以上聞かなかった。

何度も足を止めた。

何度も、同じ動きを繰り返した。

「殿下は、お上手なのでしょうね」

「宮廷でも、有名です」

「じゃあ、私が下手だと、恥をかかせることになるのね」

「大丈夫です。リードがお上手なので、合わせやすいはずです」


昼過ぎ、少し動きが掴めてきた頃、扉が開いた。

アルブレヒトだった。

「稽古中か」

マルタが、慌てて頭を下げた。

エルザは、姿勢を正した。

「見ていただくほどのものでは」

「見せてくれ」

マルタが、下がった。

音楽はなかった。

アルブレヒトが、手を差し出した。

「一曲、合わせてみるか」

「音楽がありません」

「私が数える」

エルザは、迷ってから、手を重ねた。

アルブレヒトが、数を数え始めた。

ゆっくりとした動きだった。

エルザは、足元を見ながら、ついていった。

「顔を上げろ」とアルブレヒトが言った。

「足元を見ないと、間違えます」

「間違えても構わない。顔を見せろ」

エルザは、仕方なく顔を上げた。

足が、一瞬、絡んだ。

アルブレヒトの手が、支えた。

「悪くない」

「今、間違えました」

「間違えても、支えれば済む」

数回、同じ動きを繰り返した。

少しずつ、体が慣れてきた。

「筋がいい」

「褒めても、何も出ません」

「褒めているわけではない。正直に言ったまでだ」

その素っ気ない言い方に、エルザは、少しだけおかしくなった。

「殿下」

「なんだ」

「本番でも、こうして支えていただけますか」

「当然だ」

「では、間違えても、安心です」

アルブレヒトは、少し、目を細めた。

「そうやって、私を利用するのか」

「利用ではありません。頼っているだけです」

「同じことだ」

「違います」

アルブレヒトは、小さく笑った。

今日は、苛立ちの混じらない笑い方だった。

稽古が終わると、アルブレヒトは、少し息を整えてから言った。

「舞踏会の夜は、私から離れるな」

「離れたら、どうなるのですか」

「お前を、値踏みする目が、たくさんある」

「値踏み、ですか」

「身元の分からない娘だ。何を言われても、おかしくない」

エルザは、少し、身構えた。

「覚悟しておきます」

「覚悟していても、傷つくことはある」

「殿下は、経験がおありなのですか」

アルブレヒトの表情が、一瞬、曇った。

「……ある」

それだけ言って、話を打ち切った。

マルタが呼ばれて、稽古は終わった。

部屋に戻る途中、マルタが小声で言った。

「殿下が、あそこまで、根気強く稽古に付き合われるのは、珍しいです」

「そうなの」

「はい。普段は、人に教えるようなことは、なさいません」

エルザは、それを聞いて、何も言わなかった。

ただ、支えられた時の手の感触だけが、少し、記憶に残っていた。


夜、部屋の窓から、庭を見た。

月明かりの下で、風鈴草が、静かに揺れていた。

音のしない花を見ながら、エルザは、数日後の舞踏会のことを考えた。

知らない世界に、また一歩、近づいていく気がした。

それが、良いことなのか、まだ分からなかった。


つづく


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