第六話「アルブレヒトの苛立ちと、初めての強い言葉」
翌朝、アルブレヒトが珍しく朝食の席にやってきた。
これまで、朝食は別々に取っていた。
「今日は、一緒か」
「そのようです」
エルザは、パンを手に取った。
アルブレヒトは、しばらく、無言でエルザを見ていた。
「昨日、庭で、見張りと話していたそうだな」
「クルトのことですか」
「名前まで知ったのか」
「はい」
アルブレヒトの表情が、わずかに硬くなった。
「厨房にも、出入りしていると聞いた」
エルザは、少し止まった。
グスタフとミアの顔が浮かんだ。
「叱らないでください」
「叱るとは言っていない」
「口調が、そう聞こえます」
アルブレヒトは、しばらく黙った。
それから、静かに言った。
「なぜ、そう、誰にでも懐に入っていける」
「懐に入っているつもりはありません」
「では、何をしている」
「話しているだけです」
「話す必要のない相手にまで、話しかけているように見える」
エルザは、アルブレヒトを見た。
「話す必要のある相手だけと話す生き方を、私は知りません」
沈黙が落ちた。
アルブレヒトは、カップを手に取ったが、口をつけなかった。
「エルザ」
「はい」
「お前は、ここにいる者たちのことを、いずれ全員、置いていく身だ」
「まだ、何も決まっていません」
「決まっている」
アルブレヒトの声が、少し強くなった。
「お前は、私の妻になる。それ以外の道はない」
エルザは、その言葉を、しばらく見つめるように聞いていた。
それから、静かに言った。
「何度も申し上げましたが、お断りしております」
「分かっている。それでも、変わらない」
「殿下のお気持ちは、変わらないのですね」
「変わらない」
「私の気持ちも、変わりません」
アルブレヒトは、テーブルを、指で軽く叩いた。
苛立ちを抑えているような仕草だった。
「なぜ、そこまで、頑ななのだ」
「頑ななのではありません」
「では、何だ」
エルザは、少し間を置いてから答えた。
「私には、村があります。フワンがいます。帰る場所が、決まっています」
「ここも、帰る場所になり得る」
「なりません」
「なぜ、そう言い切れる」
「殿下が、私を、望んでいるものとして扱おうとするからです」
アルブレヒトの目が、細くなった。
「望んでいるもの、とは」
「私を、私として見ていないということです」
その一言で、部屋の空気が変わった。
アルブレヒトは、しばらく、何も言わなかった。
やがて、静かに立ち上がった。
「今日は、これで失礼する」
「殿下」
「なんだ」
「気を悪くされたなら、申し訳ありません」
「気は、悪くしていない」
その声は、明らかに、本心とは違って聞こえた。
アルブレヒトは、部屋を出て行った。
扉が、少し強く閉められた。
一人残されたエルザは、しばらく、パンを見つめていた。
食欲は、失せていた。
昼過ぎ、マルタが様子を見に来た。
「エルザ様、お加減が優れないと聞きましたが」
「大丈夫よ」
「殿下と、何か」
「言い合いになったの」
マルタは、心配そうな顔をした。
「殿下を、怒らせるのは」
「知ってるわ、危ないことくらい」
「それでも、おっしゃったのですね」
「言わなきゃいけないことだったから」
マルタは、しばらく、エルザを見ていた。
それから、小さく言った。
「エルザ様のような方に、初めて、お会いしました」
「どんな方」
「殿下に、はっきりと、物を申せる方です」
「怖くないわけじゃないわ」
「それでも、おっしゃる」
「言わずにいると、自分が、自分でなくなる気がするの」
マルタは、その言葉を、しばらく噛みしめるように聞いていた。
夕方、庭に出ることを許されなかった。
初めてのことだった。
理由は伝えられなかった。
エルザは、窓から、風鈴草を見るだけで我慢した。
クルトの姿は、いつもの場所になかった。
別の見張りが、代わりに立っていた。
「クルトは」とエルザが聞くと、新しい見張りは、短く答えた。
「配置替えになりました」
「なぜ」
「存じません」
エルザは、それ以上、聞かなかった。
理由は、聞かなくても、分かる気がした。
夜、寝台に横になっても、なかなか眠れなかった。
アルブレヒトの声が、耳に残っていた。
「お前は、私の妻になる。それ以外の道はない」
決まっているのは、自分の意志ではなく、相手の意志だけだった。
それが、たまらなく、息苦しかった。
窓の外で、風鈴草が揺れていた。
音のしない花が、今夜は、やけに寂しく見えた。
エルザは、そっと目を閉じた。
フワンの顔を、思い浮かべた。
村の白い花のことを、思い浮かべた。
それだけが、今夜、唯一の慰めだった。
つづく




