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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十四章 連れ去られたエルザと、青いドレスの日々

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第六話「アルブレヒトの苛立ちと、初めての強い言葉」


翌朝、アルブレヒトが珍しく朝食の席にやってきた。

これまで、朝食は別々に取っていた。

「今日は、一緒か」

「そのようです」

エルザは、パンを手に取った。

アルブレヒトは、しばらく、無言でエルザを見ていた。

「昨日、庭で、見張りと話していたそうだな」

「クルトのことですか」

「名前まで知ったのか」

「はい」

アルブレヒトの表情が、わずかに硬くなった。

「厨房にも、出入りしていると聞いた」

エルザは、少し止まった。

グスタフとミアの顔が浮かんだ。

「叱らないでください」

「叱るとは言っていない」

「口調が、そう聞こえます」

アルブレヒトは、しばらく黙った。

それから、静かに言った。

「なぜ、そう、誰にでも懐に入っていける」

「懐に入っているつもりはありません」

「では、何をしている」

「話しているだけです」

「話す必要のない相手にまで、話しかけているように見える」

エルザは、アルブレヒトを見た。

「話す必要のある相手だけと話す生き方を、私は知りません」

沈黙が落ちた。

アルブレヒトは、カップを手に取ったが、口をつけなかった。

「エルザ」

「はい」

「お前は、ここにいる者たちのことを、いずれ全員、置いていく身だ」

「まだ、何も決まっていません」

「決まっている」

アルブレヒトの声が、少し強くなった。

「お前は、私の妻になる。それ以外の道はない」

エルザは、その言葉を、しばらく見つめるように聞いていた。

それから、静かに言った。

「何度も申し上げましたが、お断りしております」

「分かっている。それでも、変わらない」

「殿下のお気持ちは、変わらないのですね」

「変わらない」

「私の気持ちも、変わりません」

アルブレヒトは、テーブルを、指で軽く叩いた。

苛立ちを抑えているような仕草だった。

「なぜ、そこまで、頑ななのだ」

「頑ななのではありません」

「では、何だ」

エルザは、少し間を置いてから答えた。

「私には、村があります。フワンがいます。帰る場所が、決まっています」

「ここも、帰る場所になり得る」

「なりません」

「なぜ、そう言い切れる」

「殿下が、私を、望んでいるものとして扱おうとするからです」

アルブレヒトの目が、細くなった。

「望んでいるもの、とは」

「私を、私として見ていないということです」

その一言で、部屋の空気が変わった。

アルブレヒトは、しばらく、何も言わなかった。


やがて、静かに立ち上がった。

「今日は、これで失礼する」

「殿下」

「なんだ」

「気を悪くされたなら、申し訳ありません」

「気は、悪くしていない」

その声は、明らかに、本心とは違って聞こえた。

アルブレヒトは、部屋を出て行った。

扉が、少し強く閉められた。

一人残されたエルザは、しばらく、パンを見つめていた。

食欲は、失せていた。


昼過ぎ、マルタが様子を見に来た。

「エルザ様、お加減が優れないと聞きましたが」

「大丈夫よ」

「殿下と、何か」

「言い合いになったの」

マルタは、心配そうな顔をした。

「殿下を、怒らせるのは」

「知ってるわ、危ないことくらい」

「それでも、おっしゃったのですね」

「言わなきゃいけないことだったから」

マルタは、しばらく、エルザを見ていた。

それから、小さく言った。

「エルザ様のような方に、初めて、お会いしました」

「どんな方」

「殿下に、はっきりと、物を申せる方です」

「怖くないわけじゃないわ」

「それでも、おっしゃる」

「言わずにいると、自分が、自分でなくなる気がするの」

マルタは、その言葉を、しばらく噛みしめるように聞いていた。


夕方、庭に出ることを許されなかった。

初めてのことだった。

理由は伝えられなかった。

エルザは、窓から、風鈴草を見るだけで我慢した。

クルトの姿は、いつもの場所になかった。

別の見張りが、代わりに立っていた。

「クルトは」とエルザが聞くと、新しい見張りは、短く答えた。

「配置替えになりました」

「なぜ」

「存じません」

エルザは、それ以上、聞かなかった。

理由は、聞かなくても、分かる気がした。


夜、寝台に横になっても、なかなか眠れなかった。

アルブレヒトの声が、耳に残っていた。

「お前は、私の妻になる。それ以外の道はない」

決まっているのは、自分の意志ではなく、相手の意志だけだった。

それが、たまらなく、息苦しかった。


窓の外で、風鈴草が揺れていた。

音のしない花が、今夜は、やけに寂しく見えた。

エルザは、そっと目を閉じた。

フワンの顔を、思い浮かべた。

村の白い花のことを、思い浮かべた。

それだけが、今夜、唯一の慰めだった。


つづく


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