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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十四章 連れ去られたエルザと、青いドレスの日々

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第五話「見張りの男と、賭け事」


雨が上がった翌日、エルザは庭に出た。

見張りが、いつもの位置に立っていた。

若い男だった。

これまで、あまり顔を見たことがなかった。

無表情で、動かない見張りだった。

「あなた、いつも同じ場所に立ってるのね」とエルザは声をかけた。

男は、少し驚いたようだった。

「……仕事ですので」

「名前は」

「答える立場にありません」

「意地悪ね」

男は、それには答えなかった。

ただ、姿勢を正した。

エルザは、諦めずに、花壇のそばに座った。

男は、少し離れた場所で、こちらを見ていた。

見ているというより、監視していた。

「退屈じゃない」

「仕事です」

「毎日、ここに立って」

「はい」

「一日中」

「交代があります」

「何時間」

「四時間ごとです」

「答えてくれるのね」

男は、しまった、という顔をした。

それを見て、エルザは、少し笑った。

しばらく、沈黙が続いた。

エルザは、花壇の風鈴草を見ていた。

「賭けをしない」とエルザは言った。

「賭け、ですか」

「私が、今日中に、あなたの名前を聞き出せるかどうか」

男は、警戒した顔をした。

「なぜ、そんなことを」

「暇だから」

「私は、暇ではありません」

「暇そうに見えるわ」

男の口元が、わずかに動いた。

笑いをこらえているように見えた。


昼過ぎ、庭師の老人が通りかかった。

「エルザ様、今日は機嫌がよろしいようで」

「風鈴草が、綺麗だから」

庭師は、頷いた。

それから、見張りの男を見て、少し笑った。

「クルトも、大変だな」

エルザは、それを聞き逃さなかった。

「クルト」

男が、はっとした顔をした。

「……庭師殿」

「ん」

「余計なことを」

庭師は、素知らぬ顔で、垣根の手入れに戻った。

エルザは、男を見た。

「クルトね」

男は、諦めたような、それでいて少し気を抜いたような顔をした。

「……そうです」

「聞けたわ」

「ずるいです、今のは」

「ずるくないわ。私が聞き出したわけじゃないもの」

クルトは、何か言い返そうとして、うまい言葉が見つからないような顔をした。

エルザは、少し得意な気分になった。

「クルト」

「なんでしょう」

「あなた、笑わないの、いつも」

「仕事中ですので」

「今、少し笑ったわよ」

「気のせいです」

「気のせいじゃないわ」

クルトは、それ以上答えなかった。

ただ、目を逸らした。

逸らした先に、風鈴草が咲いていた。


夕方近く、マルタが庭に呼びに来た。

「エルザ様、お戻りの時間です」

「もう少しだけ」

「殿下がお待ちです」

エルザは、仕方なく立ち上がった。

クルトに向かって、小さく手を振った。

クルトは、戸惑った顔をしながらも、わずかに頭を下げた。

部屋に戻る道すがら、マルタが小声で言った。

「クルトと、話しておられましたね」

「名前、聞き出したわ」

マルタは、驚いた顔をした。

「あの方が、名乗るなんて」

「無口な人なの」

「屋敷で一番、口数が少ないと有名です」

「そうなの」

「なのに、エルザ様には」

マルタは、そこで言葉を止めた。

それから、少し考えるように言った。

「エルザ様は、不思議な力をお持ちです」

「力なんて、ないわ」

「いえ」とマルタは言った。「皆、気づけば、エルザ様に、心を許してしまいます」

エルザは、それを聞いて、少し黙った。

村でも、よく似たことを言われたことがあった。

けれど、ここでそれを言われると、少し違う響きに聞こえた。

部屋に戻ると、窓の外に、夕暮れの庭が見えた。

クルトは、まだ、同じ場所に立っていた。

交代の時間が来るまで、そこを動かないのだろう。

エルザは、しばらく、その背中を見ていた。

「マルタ」

「はい」

「ここにいる人たち、皆、いい人ばかりね」

マルタは、少し間を置いた。

「……そう思っていただけるなら、良かったです」

その声には、何か、複雑な響きがあった。

エルザは、それに気づいたが、聞かなかった。

聞けば、また、答えられない顔をさせてしまう気がした。


夜、寝台に横になりながら、エルザは、今日出会った名前を、指折り数えてみた。

マルタ。

グスタフ。

ミア。

ヨナス。

庭師の老人。

そして、クルト。

知らない屋敷が、少しずつ、知っている場所に変わっていく。

それが、良いことなのか、悪いことなのか、まだ分からなかった。

それでも、悪い気はしなかった。


窓の外で、夜風が吹いた。

風鈴草の香りが、かすかに漂ってきた。

名前を覚えるたびに、村が少し遠くなる気がした。

それでも、フワンの顔だけは、はっきりと思い出せた。

それだけで、まだ大丈夫だと思えた。


つづく


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