第五話「見張りの男と、賭け事」
雨が上がった翌日、エルザは庭に出た。
見張りが、いつもの位置に立っていた。
若い男だった。
これまで、あまり顔を見たことがなかった。
無表情で、動かない見張りだった。
「あなた、いつも同じ場所に立ってるのね」とエルザは声をかけた。
男は、少し驚いたようだった。
「……仕事ですので」
「名前は」
「答える立場にありません」
「意地悪ね」
男は、それには答えなかった。
ただ、姿勢を正した。
エルザは、諦めずに、花壇のそばに座った。
男は、少し離れた場所で、こちらを見ていた。
見ているというより、監視していた。
「退屈じゃない」
「仕事です」
「毎日、ここに立って」
「はい」
「一日中」
「交代があります」
「何時間」
「四時間ごとです」
「答えてくれるのね」
男は、しまった、という顔をした。
それを見て、エルザは、少し笑った。
しばらく、沈黙が続いた。
エルザは、花壇の風鈴草を見ていた。
「賭けをしない」とエルザは言った。
「賭け、ですか」
「私が、今日中に、あなたの名前を聞き出せるかどうか」
男は、警戒した顔をした。
「なぜ、そんなことを」
「暇だから」
「私は、暇ではありません」
「暇そうに見えるわ」
男の口元が、わずかに動いた。
笑いをこらえているように見えた。
昼過ぎ、庭師の老人が通りかかった。
「エルザ様、今日は機嫌がよろしいようで」
「風鈴草が、綺麗だから」
庭師は、頷いた。
それから、見張りの男を見て、少し笑った。
「クルトも、大変だな」
エルザは、それを聞き逃さなかった。
「クルト」
男が、はっとした顔をした。
「……庭師殿」
「ん」
「余計なことを」
庭師は、素知らぬ顔で、垣根の手入れに戻った。
エルザは、男を見た。
「クルトね」
男は、諦めたような、それでいて少し気を抜いたような顔をした。
「……そうです」
「聞けたわ」
「ずるいです、今のは」
「ずるくないわ。私が聞き出したわけじゃないもの」
クルトは、何か言い返そうとして、うまい言葉が見つからないような顔をした。
エルザは、少し得意な気分になった。
「クルト」
「なんでしょう」
「あなた、笑わないの、いつも」
「仕事中ですので」
「今、少し笑ったわよ」
「気のせいです」
「気のせいじゃないわ」
クルトは、それ以上答えなかった。
ただ、目を逸らした。
逸らした先に、風鈴草が咲いていた。
夕方近く、マルタが庭に呼びに来た。
「エルザ様、お戻りの時間です」
「もう少しだけ」
「殿下がお待ちです」
エルザは、仕方なく立ち上がった。
クルトに向かって、小さく手を振った。
クルトは、戸惑った顔をしながらも、わずかに頭を下げた。
部屋に戻る道すがら、マルタが小声で言った。
「クルトと、話しておられましたね」
「名前、聞き出したわ」
マルタは、驚いた顔をした。
「あの方が、名乗るなんて」
「無口な人なの」
「屋敷で一番、口数が少ないと有名です」
「そうなの」
「なのに、エルザ様には」
マルタは、そこで言葉を止めた。
それから、少し考えるように言った。
「エルザ様は、不思議な力をお持ちです」
「力なんて、ないわ」
「いえ」とマルタは言った。「皆、気づけば、エルザ様に、心を許してしまいます」
エルザは、それを聞いて、少し黙った。
村でも、よく似たことを言われたことがあった。
けれど、ここでそれを言われると、少し違う響きに聞こえた。
部屋に戻ると、窓の外に、夕暮れの庭が見えた。
クルトは、まだ、同じ場所に立っていた。
交代の時間が来るまで、そこを動かないのだろう。
エルザは、しばらく、その背中を見ていた。
「マルタ」
「はい」
「ここにいる人たち、皆、いい人ばかりね」
マルタは、少し間を置いた。
「……そう思っていただけるなら、良かったです」
その声には、何か、複雑な響きがあった。
エルザは、それに気づいたが、聞かなかった。
聞けば、また、答えられない顔をさせてしまう気がした。
夜、寝台に横になりながら、エルザは、今日出会った名前を、指折り数えてみた。
マルタ。
グスタフ。
ミア。
ヨナス。
庭師の老人。
そして、クルト。
知らない屋敷が、少しずつ、知っている場所に変わっていく。
それが、良いことなのか、悪いことなのか、まだ分からなかった。
それでも、悪い気はしなかった。
窓の外で、夜風が吹いた。
風鈴草の香りが、かすかに漂ってきた。
名前を覚えるたびに、村が少し遠くなる気がした。
それでも、フワンの顔だけは、はっきりと思い出せた。
それだけで、まだ大丈夫だと思えた。
つづく




