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マティアス・クロイツァーその人。  作者: Kentarou Tou
第十四章 連れ去られたエルザと、青いドレスの日々

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第一話「馬車の窓と、知らない天井」


馬車に乗せられてから、どれくらい経ったか分からなかった。

村の外の道は初めて見るものばかりだった。

畑ではない土地。

木でできていない橋。

石で舗装された道。

エルザはその全てを窓の隙間から見ていた。

見るたびに行商人の話を思い出した。

「王都には馬車が何十台も走ってる」

「橋の下を船が通る」

話に聞いていたことが目の前にある。

それだけで少しだけ胸が高鳴った。

高鳴ったことに自分で戸惑った。

こんな時に、なぜ。

兵は無言だった。

話しかけても短い答えしか返さなかった。

エルザはそれ以上聞くのをやめた。

かわりに窓の外を見続けた。


夜になると宿場に泊まった。

兵に囲まれた部屋だった。

鍵はかかっていなかった。

外に見張りが立っていた。

布団は村のものより柔らかかった。

柔らかい布団の上でエルザは眠れなかった。

フワンの顔が浮かんだ。

村長の顔が浮かんだ。

ルドルフの鳴き声が耳の奥に残っていた。

それから、まだ咲いていない白い花の蕾のことを思った。

今年あの花が咲く頃、自分はどこにいるのだろう。

答えは出なかった。

出ないまま朝が来た。


三日目の昼、大きな門が見えた。

王都だった。

門の向こうに石造りの建物がいくつも並んでいた。

どれも村の家より、はるかに大きかった。

人の数も桁が違った。

エルザはその光景に、しばらく声を失った。

「これが」

呟いた声は誰にも届かなかった。

馬車は王都の中心を通らず外れの道を進んだ。


やがて高い塀に囲まれた屋敷の前で止まった。

アルブレヒトの屋敷だった。

村の家が何十軒も入りそうな広さだった。

門の前に使用人が並んで待っていた。

「殿下がお待ちです」と、先頭にいた執事らしき男が言った。

エルザは馬車を降りた。

足が少しふらついた。

三日間、まともに歩いていなかったせいだった。


屋敷の中に入ると天井の高さに驚いた。

村のどの家より高かった。

壁には見たことのない絵が飾られていた。

床は石ではなく磨かれた木だった。

歩くたびに音が響いた。

「お疲れでしょう」と案内する侍女が言った。

若い女だった。

エルザと、そう年が変わらないように見えた。

「お部屋にご案内します」


通された部屋は村の家全体より広かった。

寝台には天蓋がついていた。

窓には格子がなかった。

かわりに外に見張りが立っているのが見えた。

「何かご入用の際は鈴を鳴らしてください」と侍女は言った。

「あなたのお名前は」とエルザは聞いた。

侍女は少し驚いた顔をした。

「……マルタと申します」

「マルタ」

「はい」

「よろしくね」

マルタは、それ以上何と答えていいか分からないような顔をした。

それから小さく頭を下げて部屋を出て行った。

一人になるとエルザは寝台に座った。

柔らかすぎて落ち着かなかった。

窓の外を見た。

庭が見えた。

見たことのない白い花が咲いていた。

名前も知らない蔓性の花が、壁に沿って伸びていた。

村では見たことのない花ばかりだった。

薔薇は少し離れた一角にまとめて植えられていた。


夕方近く、扉が叩かれた。

返事をする前に開いた。

アルブレヒトだった。

旅装ではなく屋敷用の落ち着いた服を着ていた。

「着いたか」

「はい」

「疲れただろう」

「多少は」

アルブレヒトは部屋の中を見回した。

それからエルザを見た。

「気に入らないところがあれば言ってくれ」

「気に入るも何も」

エルザは少し間を置いた。

「私は望んで来たわけではありません」

アルブレヒトの表情は変わらなかった。

「分かっている」

「分かっていて」

「時間をかければ変わるものもある」

「変わらないものもあります」

アルブレヒトはそれを聞いて小さく笑った。

苛立った笑いではなかった。

むしろ面白がっているような笑いだった。

「今夜はゆっくり休め」

それだけ言ってアルブレヒトは部屋を出て行った。

扉が閉まった。

足音が遠ざかった。

エルザはしばらく閉まった扉を見ていた。

それから窓の外の庭を見た。

夕方の光の中で、見たことのない白い花が揺れていた。

名前を知っている花はほとんどなかった。

知らない花ばかりの庭でエルザはふと白い花のことを思い出した。

ここにはあの花は咲いていない。

当たり前のことなのに、それがやけに寂しく感じられた。


夜、マルタが夕食を運んできた。

見たことのない料理が並んでいた。

「これは何」とエルザが聞くと、マルタは一つ一つ丁寧に説明した。

説明を聞きながらエルザは少しずつ興味が湧いてくるのを感じた。

怖さと好奇心が同時にあった。

どちらが強いのか自分でもまだ分からなかった。


その夜、エルザは慣れない寝台の上で長く天井を見ていた。

知らない天井だった。

知らない街の、知らない屋敷の、知らない天井。

それでもいつか、この天井にも慣れる日が来るのだろうか。

慣れたくないという気持ちと、慣れてしまいそうな自分への戸惑いが同時にあった。


窓の外で風が吹いた。

名前を知らない花の香りが、かすかに部屋の中まで届いた。

知らない香りだった。

それでも香りだけは村の夜と少しだけ似ていた。

それだけが、その夜エルザにとっての救いだった。


つづく


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