開拓の礎
セントレアの通りに入ってすぐ、グラムは足を止めた。
門の外から見えていた壁の内側には、人と荷車と声が詰まっていた。商人が布を広げ、子どもが焼き菓子を持って走り、鎧を着た男たちが酒場の前で笑っている。
「おい、兄さん。そこで突っ立ってると邪魔だぞ」
荷箱を担いだ男が声をかけてきた。
グラムは一歩横へずれる。
「宿を探している」
「いきなりだな。金はあるのか?」
「少しある」
「なら西門通りの奥に行け。安い宿なら何軒かある。……その顔と剣で高い宿に入ると、たぶん嫌な顔をされるぞ」
「顔で値段が変わるのか」
「そういう話じゃねえよ」
男は呆れたように笑い、荷箱を担ぎ直した。
グラムは教えられた通り、西門通りを歩く。
最初に見つけた宿は、扉の前に花の鉢が置かれた小綺麗な建物だった。中へ入ると、帳場の女がグラムを見た瞬間に背筋を伸ばした。
「……お泊まりですか」
「ああ」
「申し訳ありません。本日は満室でして」
奥の鍵掛けには、いくつも鍵が残っている。
満室ではない。
だが、グラムはそれを指摘しなかった。断られた理由は、たぶん部屋ではなく自分の方にある。
「そうか」
外へ出ようとすると、女が小さな声で付け加えた。
「開拓の礎なら、泊めてくれると思います。通りの突き当たりです」
「助かる」
礼を言うと、女は少しだけ驚いた顔をした。
女が言っていた開拓の礎は、石造りの頑丈な建物だった。看板には、斧と寝台を組み合わせた絵が描かれている。中は騒がしい。鎧の擦れる音、木椀を置く音、低い笑い声。闘技場の控え室とは違うが、荒い人間に慣れた空気があった。
「泊まりかい」
帳場にいた大柄な女が言った。四十を過ぎたくらいだろうか。腕が太く、腰には護身用の短棍を下げている。
「宿を探している」
「見れば分かるよ。一人部屋は高い。共同部屋なら安い。飯は別。水は裏の井戸。剣を抜いたら外に放り出す。いいね?」
「剣を抜かなければ泊まれるのか」
「そういうことだよ」
「なら泊まる」
女主人は宿帳を出した。
「名前」
「グラム」
「姓は?」
「ない」
「出身は?」
「オルドレア帝国」
周りの声が少しだけ静かになった。
女主人は眉ひとつ動かさず、筆を走らせる。
「事情持ちか」
「自由民になった」
「なら、ここでは客だ。部屋代は銅貨8枚。夕飯をつけるなら10枚」
グラムは革袋から硬貨を取り出し、ひとつかみ帳場に置いた。
女主人はそれを見て、深いため息をついた。
「いったい何泊するきだい?銅貨10枚だって言ってるだろ」
「足りないのか」
「多すぎるんだよ。あんた、朝から何回そのやり取りをしてるんだい」
「2回目だ」
「正直だね」
「門にいる奴に両替所に行けと言われたのだが、忘れていた。すまない」
「構わないよ。どうせこの時間には締まってるさ」
女主人は必要な分だけ取り、残りを押し返した。
「金は見えるところで全部出さない。覚えな」
「敵に狙われるからか」
「泥棒に狙われるからだよ。まあ、あんたを狙う泥棒は少ないだろうけどね。夕飯直ぐ食べるだろ?そこの食堂でまってな」
女将が指し示す先には、2,30人が食事できるような大きな食堂があった。大小様々な机があり、そのどれもが、どこかしら直されていた。荒くれ者たちの酒場というのが似合う場所だった。
既に席は半分ほど埋まっており、グラムは隅の席に着くことにした。
夕飯は豆の煮込みと黒パンだった。
グラムが食べていると、酒の匂いをさせた男が近づいてきた。革鎧を着ている。腰の剣は手入れされているが、動きは少し鈍い。
「おい、帝国の剣士ってのはお前か」
グラムは匙を止める。
「剣闘士だった」
「だった? 今は何だよ」
「自由民だ」
「はっ。帝国で人を斬ってた奴が、自由民ねえ」
男は笑い、グラムの肩を掴んだ。
次の瞬間、男の手首は逆に取られていた。
グラムは立ち上がっていない。椅子に座ったまま、相手の指と関節を押さえている。あと少し力を入れれば折れる。
「いっ、痛え! 放せ!」
「先に掴んだ」
「だからって折るな!」
「グラム」
女主人の声が飛んだ。手には短棍を持っていた。
グラムは手を止める。
「ここは帝国じゃない。肩を掴まれたからって、相手を壊していい場所じゃないよ」
「壊してはいない」
「壊す寸前だったろうが」
女主人が短棍を帳場に置く。脅しではなく、これ以上やれば止めるという合図だった。
グラムは男の手を放した。
男は手首を押さえながら後ずさる。
「何なんだよ、こいつ……」
「酔って客に絡んだあんたも悪い。文句があるなら衛兵を呼ぶかい?」
「……いや、いい」
男は仲間の席へ戻った。
グラムは再び椀を手に取る。
「飯を続けるのかい」
「冷める」
「大物だね」
「違う。飯は食える時に食うものだ」
女主人は何か言いかけたが、やめた。
「明日はどうする」
「冒険者ギルドへ行く」
「なら朝一番がいい。昼前は混む。登録するなら身分証を忘れるんじゃないよ」
「忘れたらどうなる」
「登録できない」
「それは困る」
「分かってるならいいさ」
その夜、グラムは共同部屋の寝台に横になった。
天井は低く、隣の男のいびきが聞こえる。闘技場の牢より柔らかい寝台だったが、眠りやすいわけではなかった。
誰も鍵をかけに来ない。誰も起床の時間を告げない。
剣を手の届く場所に置き、目を閉じる。
眠る前に、グラムは思った。
自由は、やはり手間が多い。
翌朝、グラムは女主人に教えられた通り、中央通りの冒険者ギルドへ向かった。
建物は大きく、正面の扉は開け放たれている。中からは人の声があふれていた。
入って最初に目についたのは、壁一面の掲示板だった。
「薬草採取。ホーンラビット討伐。ポイズンラット駆除。ガタースライム処理。マナウルフ確認……」
グラムは札に書かれた文字を読み上げる。
聞き慣れない名が多い。
近くで若い冒険者が仲間内で話し合っている。
「薬草採取なんてちんけな仕事したくねぇぞ」
「でもよ、ポイズンラットは毒針があるから一人で行くなって、ミレーヌさんが言ってたぞ」
「ガタースライムは嫌だ。臭いし、靴が溶ける」
人獣の札も別の板にあった。赤い印が押され、通常の依頼とは分けられている。
だが、今のグラムには依頼の違いより、そもそもどれを選べばいいのかが分からなかった。
「ご用件をどうぞ」
受付から声がした。
栗色の髪を後ろで束ねた女が、書類をそろえながらこちらを見ている。年は若いが、目はよく動く。書類仕事に慣れた人間なのだとグラムは思った。奴隷の状態を確認していた奴も似た目をしていた。
「仕事を探している」
「登録済みの冒険者ですか?」
「違う」
「では新規登録ですね。身分証はありますか」
グラムは自由民の証と旅券を出した。
受付の女は受け取り、最初は事務的に目を通していた。
だが、途中で指が止まる。
「……オルドレア帝国。グランオルド闘技場」
その声が聞こえた周りの人間は、一斉にグラムの方を振り返った。
女は最後の行を読み、顔を上げる。
「百勝剣闘士、グラム……?」
その声は大きくなかった。
それでも、近くにいた冒険者たちには十分聞こえた
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この作品とは別で「スローライフってそういう事じゃなくって」という作品を書いております!
この奴隷剣闘士よりも情景描写や心理描写に焦点を当てた作品となっております。気になる方はぜひそちらも読んでください!!




