最初から
「百勝剣闘士、グラム……?」
受付の女が読み上げた声は大きくなかった。
だが、冒険者ギルドの受付周りにいた者たちには十分だった。
依頼札を眺めていた若い冒険者が振り返る。酒場側の席にいた男たちも、声を落としてこちらを見た。
「百勝って、帝国の闘技場のか?」
「嘘だろ。そんな奴が何でFランク受付に並んでるんだよ」
「元奴隷じゃねえのか」
小さな声がいくつも重なった。
グラムはそれらを聞き流した。闘技場の観客に比べれば、ずいぶん静かなものだった。
受付の女は一度だけ周囲を見てから、手元の書類を閉じた。
「失礼しました。確認を続けます」
「登録できないのか」
「いいえ。書類が本物なら登録はできます。私はミレーヌ・カルヴァ。この受付で登録と依頼管理を担当しています」
「グラムだ」
「はい。証明書に書いてあります」
ミレーヌはそう言って、薄く笑った。
グラムは笑い返さなかった。笑うべき場面なのか判断できなかったからだ。
「まず確認します。現在、あなたは奴隷ではなく自由民で間違いありませんね」
「あぁ、間違いない」
「では、この国ではあなた自身の名で登録します。主人や監督官の許可は必要ありません」
「命令する者がいなくても、仕事は受けられるのか」
「受けられます。その代わり、失敗した時の責任もあなたにあります」
「また責任か」
「自由民にはよく付いて回るものです」
ミレーヌは羽根ペンを取り、登録用紙を差し出した。
「こちらに必要事項を書いてください」
紙には、いくつもの空欄が並んでいた。
名前。年齢。出身地。現在の滞在先。職歴。希望職種。緊急連絡先。
グラムはペンを持ったまま、しばらく動かなかった。
「どうしました?」
「多い」
「登録ですから」
「字を書くのは得意ではない」
「では代筆を利用されますか?」
「代筆」
「ええ、私が代わりに書きます。」
「ならそれで頼む」
グラムは頷き、ミレーヌに紙を戻す。字は読めるが、書くことはほぼ出来ない。読むのでさえ奴隷時代に覚えた、最低限の文字だけだった。
「姓はありますか」
「ない」
「では名前のみで記録します。出身地はオルドレア帝国。滞在先は?」
「宿だ」
「宿の名前です」
グラムは昨夜の看板を思い出した。
斧と寝台を組み合わせた絵。大柄な女主人。共同部屋の低い天井。
「開拓の礎」
「西門通りの宿ですね。仮滞在先として記入します。職歴は……剣闘士でよろしいですか」
「それ以外にない」
「希望職種は?」
「仕事を選べと言われたが、何があるのか分からない」
「戦闘職、採取、護衛、荷運び、斥候、解体補助などです」
「敵を殺す仕事」
ミレーヌのペンが止まった。
「……討伐、戦闘職、と書きますね」
「同じか」
「響きが違います」
「そうか」
近くで聞いていた冒険者が小さく吹き出した。ミレーヌは視線だけで黙らせる。
「緊急連絡先は?」
「ない」
「家族、知人、所属先、誰でも構いません」
「いない」
即答だった。
ミレーヌは何かを言いかけ、やめた。代わりに空欄へ小さく印をつける。
「では、未登録扱いにします。もし今後、連絡先にしたい方ができたら申請してください」
「できるものなのか」
「普通はできます」
「そうか」
登録用紙が埋まる頃には、周囲の視線はいくらか減っていた。だが、完全には消えていない。
百勝剣闘士という言葉は、思ったより人を引き寄せるらしい。
「次に、スキル鑑定を行います」
ミレーヌは机の下から、黒い枠に収まった薄い板を出した。表面は磨かれた石のようで、文字は何もない。
「ここに手を置いてください。鑑定結果はギルド記録に残ります。犯罪歴や身分を暴く道具ではありませんが、登録上必要な確認です」
「手を置くだけでいいのか」
「はい。痛くはありません」
痛いかどうかを気にされたことに、グラムは少しだけ引っかかった。
だが言われた通り、板に手を置く。
板の奥で淡い光が走り、何行もの文字が浮かんだ。
適応。
金剛不壊。
剣術。
闘気操作。
危機察知。
殺気察知。
痛覚耐性。
毒耐性。
病耐性。
恐怖耐性。
受け身。
体幹制御。
疲労耐性。
ミレーヌの表情が、変わった。
受付の後ろにいた別の職員が、思わず身を乗り出す。
「金剛不壊……?」
「えぇ、そうありますね」
「凄い…レアスキルなのに」
ミレーヌはグラムに向き直る。
「これは、かなり珍しいスキルです」
「そうなのか」
「落ち着いていますね」
「名前を見ても分からない」
「金剛不壊は、強い耐性を得るスキルとして記録があります。高ランク冒険者の盾役が持っていることがあり、非常に重宝されるそうです」
「盾は使わない」
「そういう意味ではありません」
ミレーヌは額に手を当てた。
職員の一人が、もう一つの文字を指す。
「適応、というのは?」
「聞いたことがありません。環境順応に近いのでしょうか」
「暑さ寒さに強いとか?」
「分かりません。記録を確認します。ただ、今は金剛不壊の方が問題です」
グラムは、浮かんだ文字を見た。
適応。
その言葉には覚えがない。だが、戦いの中で相手の動きに体が慣れていく感覚は知っている。
一度目より二度目。二度目より三度目。
ただ単に相手の動きに慣れただけだと思っていたが、それが名前を持つものなのかは、考えたこともなかった。
「グラムさん」
「何だ」
「確認のため、上の者を呼びます。ここで少し待っていてください」
「逃げない」
「逃げる心配はしていません。ただ、勝手に依頼を取りに行かれると困ります」
「まだ、どれを取ればいいか分からない」
「それは、安心しました」
ミレーヌが奥へ下がると、周囲のざわめきが戻った。
少し離れた席から、大柄な男がこちらを見ている。幅のある肩、使い込まれた盾、左足にかすかな癖。酒を飲んでいるが、目は酔っていない。
「百勝剣闘士ってのは、本当にいるんだな」
その男が言った。
グラムは視線だけを向ける。
「いたから、ここにいる」
「口数は少ないが、嘘はなさそうだ」
「嘘をつく理由がない」
「冒険者には、嘘をつく理由なんざ山ほどあるぞ。報酬、手柄、女、酒、命。まあ、すぐ覚える」
男は短く笑った。
近くの若い冒険者が小声で言う。
「ちょっと!バルドさん?!」
「なんだ?有望な新人とは仲良くしておくべきだろ。危なっかしいやつは特にな」
言葉の後半は、隣の若い冒険者にしか聞こえないように小声で発された。
そのバルドという大柄な冒険者はグラムに向き合って続ける
「闘技場の剣か」
「ああ」
「よく折れなかったな」
「折れた剣もある」
「だろうな」
そこで、ミレーヌが戻ってきた。隣には初老の男がいる。ギルドの副長だと紹介された。
副長は鑑定結果を見て、グラムを見て、もう一度結果を見た。
「登録自体に問題はない。自由民証も旅券も本物。王国での犯罪記録もない」
「では、ランクはどうしますか」
「Fからだ」
周囲がまたざわついた。
グラムはミレーヌを見る。
「Fは弱いのか」
「最下位です」
「俺は弱いと判断されたのか」
「いいえ。制度上、冒険者として実績がない方はFランクから始まります」
「百勝は実績ではないのか」
「剣闘士としての実績です。冒険者の実績ではありません」
グラムは少し考えた。
闘技場で百勝した。だが、依頼書に書かれていた依頼たちはどれもグラムの全く見たこともないものだった。
そう考えると、ミレーヌの言葉はおかしくなかった。
「分かった」
ミレーヌは少し驚いた顔をした。
「納得するんですね」
「知らないことが多い」
「助かります。怒鳴る方もいますので」
「怒鳴るとランクが上がるのか」
「上がりません」
「なら無駄だ」
副長が低く笑った。
バルドも、後ろで笑っていた。
「金剛不壊持ちのFランクか。面倒な新人が来たな」
グラムはバルドを見る。
「面倒なのか」
「ああ。強い奴ほど、自分が知らねぇ事に無関心なのさ」
「なら、知ればいい」
「簡単に言うね、ルーキー」
ミレーヌが登録証を差し出した。
薄い金属プレートに、グラムの名とFランクを示す印が刻まれている。
「これで、あなたはセントレア冒険者ギルド所属のFランク冒険者です。まずは簡単な依頼から受けてもらいます」
「敵はいるのか」
「最初は、できればいない方がいいですね」
「仕事になるのか」
「なります」
ミレーヌは依頼板の一角を指した。
「薬草採取なんてどうでしょう」
グラムは木札を握り、依頼板を見る。
ここでは、自分で選ぶらしい。
自由は、やはり手間が多い。
だが、手元のプレートは首輪ではなかった。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
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この作品とは別で「スローライフってそういう事じゃなくって」という作品を書いております!
この奴隷剣闘士よりも情景描写や心理描写に焦点を当てた作品となっております。気になる方はぜひそちらも読んでください!!




