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自由を手に入れた奴隷剣闘士の成り上がり冒険譚  作者: 寛太郎


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ヴォイスエイプ

 グラムとミラは、声のする森へ入った。

 背後ではセイルが少し遅れて続いている。ガドとユーリは荷車の周囲に残った。馬がまた怯えないよう、御者には声を出させず、商人たちは荷台の陰に座らされている。


「ヴォイスエイプ……」

「それが名前か」

「恐らくね、人の声を模倣する人獣。ここの辺りで目撃された事例はほぼ無かったはずだけど。……止まって」


そう思い出すように言ったミラが、グラムを制止し、立ち止まった。


「足跡、右へ曲がってる」


 彼女は弓を構えたまま、落ち葉の上に膝をつく。枝は折れ、地面に残った爪の跡は右へ続いていた。

 森の奥から、荷運びの声がまた聞こえる。


「こっちだ……早く……」

「声は左だな」

「足跡は右だ」


 グラムが答えると、ミラは口の端を上げた。


「じゃあ右だね。声の方に行ってたら、たぶん泥に突っ込んでたね」


 左手の草むらの先には、黒く湿ったくぼみがあった。落ち葉で隠されているが、踏めば膝まで沈むだろう。

 グラムは声を聞かず、足跡だけを追った。

 ヴォイスエイプは速い。木の根を蹴り、倒木の上を越え、ところどころで足跡を消している。だが、完全ではない。爪で土を掻いた跡、低い枝に引っかかった布切れ、草の倒れ方が残っていた。


「さっきのやつ、人間の足じゃなかった」

「見れば分かる」

「だよね。獣人でもない。あんな手の曲がり方、気持ち悪い」


 ミラは短く言い、すぐに前を見る。

 森の奥で、今度は別の声がした。


「ミラ、こっちだ!」

 セイルの声だった。

 ミラの足が止まる。

 グラムは首を振った。


「違う」

「分かってる。分かってるけど、不愉快ね」


 ミラは矢をつがえ、声のした枝の下へ一本放った。矢は幹に刺さり、木の上で何かが跳ねた。

 黒い影が落ちるように移動する。


「いた!」


 ミラが走る。グラムも続いた。

 ヴォイスエイプは木の間を使って逃げる。足音は軽いが、隠す気はなくなっていた。代わりに、あちこちから声が降ってくる。


「助けてくれ」

「撃たないでくれ」

「足が、足が……」


 全部、同じ声だ。

 弱々しい。哀れに聞こえる。だが、同じ間で、同じ高さで、何度も繰り返される。


「うるさいな、もう」


 ミラが吐き捨てた直後、右の茂みが揺れた。

 グラムはミラの肩を押した。彼女が一歩ずれた場所へ、細い爪が突き抜ける。ヴォイスエイプの腕だった。

 グラムが剣を振る。腕を斬り落とすには浅い。だが、爪の先を弾き、木の皮へ叩きつけた。

 ヴォイスエイプが猿のように跳ね、今度は上から襲ってくる。


「危ない!」


 ミラが短く言う。グラムは半歩だけ前に出た。

 爪は首を狙っていた。人間のふりをしていた時と同じだ。噛むか、裂くか。狙いは最初からそこしかない。

 グラムは身を沈め、剣の背で顎を打ち上げる。ヴォイスエイプの体が浮く。そこへミラの矢が腿に刺さった。


「ギャァァ!」


 だが、ヴォイスエイプは止まらない。悲鳴を上げ、荷運びの声で泣いた。


「殺さないでくれ……お願いだ……」


 その声に、遅れて追いついたセイルが眉をひそめる。


「悪趣味だな」

「近づくな。まだ動ける」


 グラムが言うと、セイルはすぐ足を止めた。

 ヴォイスエイプは倒木の前にうずくまり、片手で腿の矢を押さえている。頭巾はもうない。人間に似た顔も、崩れかけていた。耳は尖り、口の端には牙が覗いている。誰が見ても、人間ではない。


「助けて……殺さないで……」


 声だけが人間だった。

 ミラの弓がわずかに下がる。ほんの一瞬だ。人を撃つ時のためらいではない。聞こえてくる声と、目の前の姿が噛み合わなかっただけだ。

 ヴォイスエイプの目が、その隙を拾った。

 怯えていない。

セイルの喉をじっとりと見据えている。

 

「命乞いの目じゃない」


 グラムは前へ出た。


「隙を探す目だ」


 ヴォイスエイプが跳ぶ。

 セイルへ向かったように見せて、途中で軌道を変える。狙いは弓を下げかけたミラだった。

 グラムはその横腹へ剣振った。

 刃は脇腹に当たり、ヴォイスエイプの体を地面へ叩き落とした。しかし、致命傷には至らず、まだ動けるようだった。腕が伸び、爪が土を掻く。

 セイルが踏み込み、脚でその腕を押さえた。


「グラム」

「ああ」


 グラムは首筋へ刃を入れた。

 声が止まった。

 森が急に静かになる。

 ミラは息を吐き、弓を下ろした。


「……ごめん。一瞬、やられた」

「声が悪い」


 グラムが言うと、ミラは苦笑した。


「慰めてはくれるのね」


 セイルはヴォイスエイプの死体を確認し、布を取り出した。


「魔石を回収する。割ってないよな」

「その感覚は無かった」

「それは良かった。人獣は赤札だ。証拠が荒れると、ギルドに睨まれる」

「そうか」


 グラムは刃を入れる位置を選んだ。マナウルフより胸の骨が細く、ガタースライムの核より嫌な手応えがある。だが、力任せにはしない。

 魔石は黒ずんでいた。通常の魔獣より濁りが強い。

 セイルはそれを布に包む。


「よし。死体も持てる分は持つ。耳と爪、それから魔石。全部ギルドへ出す」

「本物の荷運びは」


 グラムが言うと、ミラがはっと顔を上げた。


「そうだ、エド!」


 ヴォイスエイプが隠れていた倒木の奥に、細い獣道が続いていた。三人で進むと、少し開けた場所に出た。そこには古いマナウルフの巣穴らしきくぼみがあり、その横の木に人が縛られていた。

 若い男だった。口には布を詰められ、両手は頭上で枝にくくられている。意識はある。目だけが必死に動いていた。


「生きてる!」


 ミラが駆け寄る。


「罠は」


 グラムが周囲を見る。足元に張られた細い蔓が一本。踏めば、上に吊った石が落ちるだけの粗い仕掛けだった。


「右足、そこ跨いで」


 ミラは蔓を避け、男の口の布を外した。

 男は咳き込みながら空気を吸う。


「た、助かった……あいつ、俺の声で……」

「君がエドだね」


 セイルが聞く。


「はい。西の小荷隊の荷運びです。最初は、人間に見えたんです。怪我をしてるみたいで、近づいたら……」


 そこまで言って、エドは震えた。

 グラムは縄を切る。男の体が崩れかけ、セイルが支えた。


「歩けるか」

「少しなら……」

「よし、肩を貸す」


 ミラが言うと、エドは泣きそうな顔で頷いた。

 休憩場へ戻ると、ガドが大きく手を振った。


「おい、生きてたか!」

「生きてる。ついでに人獣も狩れたよ」


 ミラが返すと、ガドは露骨にほっとした顔をした。


「よし。荷車も無事だ。こっちは一回だけ声がしたが、ユーリが矢を向けたら黙った」

「声?」


 ユーリが首を振る。


「近くにはいませんでした。森の奥から響かせただけでしょう」

 商人たちはエドを見て、口々に安堵の声を漏らした。だが、ヴォイスエイプの耳と爪を包んだ布を見ると、すぐに黙る。


「人間だと思ったのに……」


 誰かが小さく呟いた。


「人間に見せていたんだ」


 グラムはそう言った。

 セイルが布包みを荷台の隅に置き、御者に合図する。


「予定変更だ。今日はここで進まない。セントレアへ戻る」

「依頼は失敗か」


 グラムが聞くと、セイルは苦い顔で笑った。


「荷は無事、人も生きてる。失敗にするには働きすぎたさ。だが、これは普通の護衛報告じゃ済まない」

「赤札か」

「そう。人獣が出た。荷運びをさらい、声を真似た。ギルドが嫌な顔をするやつだ」

「ミレーヌがか」

「そうかもね」


 ミラが笑った。


 グラムは森を振り返った。

 助けを求める声はもう聞こえない。

 聞こえないのに、耳の奥にはまだ残っている。


 エドを乗せた荷車が、ゆっくりと向きを変える。遠望の刃は、それぞれの位置についた。ミラは前、ユーリは後ろ、ガドは荷車の横。セイルはグラムの隣を歩く。


「グラム」

「何だ」

「さっきの判断、助かった」

「違うと思っただけだ」

「その“だけ”で、一人死なずに済んだ」


 グラムは答えなかった。

 ただ、剣の柄から手を離し、荷車の中で震えている荷運びを見た。


 それは確かに、救った命だった。


最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

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誤字脱字の指摘も歓迎です!

よろしくお願いいたします!


この作品とは別で「スローライフってそういう事じゃなくって」という作品を書いております!

この奴隷剣闘士よりも情景描写や心理描写に焦点を当てた作品となっております。気になる方はぜひそちらも読んでください!!

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