36. 創世の機織りと運命を斬る刃
最北の霊峰『神座の頂』。
分厚い吹雪の雲を抜けた先には、満天の星空がすぐ手の届く位置に広がる、澄み切った神域があった。
その頂の最深部。虚空に浮かぶ巨大な祭壇に、それは鎮座していた。
無数の星の光と、人々の魂の輝きを紡ぎ合わせて作られた、天を覆うほど巨大な光のタペストリー――世界の役割を決定し、歴史を紡ぐ神話の遺物、『運命の星織り(ほしおり)』である。
『――愚かなる人の子らよ。なぜ、理の御手から逃れようとするか』
星織りの中心から、幾重にも重なった荘厳な声が響き渡った。
それは神の代行者たる『理の番人』の声。同時に、祭壇の周囲に渦巻いていた魔物災害の元凶――空席となった魔王の役割が生み出したどす黒い怨念が、番人の声に呼応して巨大な漆黒の竜へと姿を変え、4人を見下ろした。
『光の器(勇者)よ、運命に従い、美しく散れ。闇の器(魔王)よ、絶望を以て世界を壊せ。それが、この星を存続させるための絶対の秩序なり』
「神様気取りの、押し付けがましい三流の脚本ね!」
番人の神託を切り裂くように、アリアが天高く両手を掲げた。
「神聖防壁、最大出力! 『聖女』の役割なんて知ったことじゃない! 私は私の親友を守るために、神様にだって喧嘩を売るのよ!!」
国宝級の聖女の祈りから放たれた黄金の結界が、漆黒の竜が吐き出した絶望のブレスを真っ向から受け止め、弾き返す。
「アリア、よくやった! 道は俺がこじ開ける!!」
ラキシスが、使い込まれた古木の杖を眼前の『番人』へと突き出した。
彼の中に眠る、歴代最高と謳われた天才的な魔力。それを女神が定めた属性の枠に囚われることなく、純粋な彼自身の『魔法』として編み上げる。
「俺は神の舞台の裏方じゃない! 俺は『白銀の誓い』の天才魔術師、ラキシスだ! 消し飛べ、『極光星隕』!!」
天が割れ、宇宙から直接引き下ろされた極大の流星群が、漆黒の竜の巨体を貫き、祭壇を護る神聖な防壁に次々と直撃して巨大な亀裂を走らせた。
「セレスティア様、ゼノ! 今だ!!」
ラキシスの叫びと共に、二人の影が地を蹴った。
『――拒絶は許されぬ。勇者は死に、魔王は嘆け!』
理の番人が激昂し、運命の星織りから「死の運命」を束ねた白光の槍が無数に放たれる。セレスティアを貫き、強制的に役割を終わらせるための神の裁きだ。
だが、セレスは愛用の扇子を広げ、一切の迷いなくその槍の雨を弾き飛ばした。
「ええ、拒絶しますわ。私はもう、誰の記憶からも消え去る『勇者』にはならない!」
セレスティアの全身から、星の瞬きを凝縮した純白の光が迸る。
それは、魔王を討つための光ではない。彼女の愛する人たちが進む道を照らし、運命の暗闇を切り裂くための、純粋な『希望の光』。
「私の命は、世界を回すための歯車ではなく……私が共に生きたいと願う、あの人のためにあるのです!!」
セレスの極大の光が、番人の放つ死の運命を次々と浄化し、焼き切っていく。
そして、完全に開かれた一条の道を、猛き暴風が駆け抜けた。
「……ゼノ様!!」
セレスの叫びに呼応し、ゼノが祭壇の眼前にまで肉薄する。
彼の中には、712回分の絶望と悲逆、すなわち未だ発現していない『魔王の力』が眠っている。本来ならば、セレスを失った瞬間に完成し、世界を巻き戻すための規格外の魔力。
だが今、セレスティアは生きて、彼の背中を力強く押している。
ならば、この底知れない力はもう、過去を巻き戻すためのものではない。明日を切り開くための力だ。
「僕たちは、明日を生きたいと願った。ただ、それだけだ」
ゼノは、サファイアブルーの瞳を細め、両手でミスリルの剣を上段に構えた。
剣身に、彼自身の強大すぎる意志と、セレスティアの純白の光が纏い付き、神気すら帯びた巨大な光の刃へと姿を変える。
「運命でも、役割でもない。……僕はゼノ。愛する女性と添い遂げる、ただの男だ!!」
『――やめよ、人の子! 理を断てば、世界が――』
「僕たちの明日を縛るなァァッ!!!」
ゼノの裂帛の気合いと共に、限界を超えた神速の斬撃が振り下ろされた。
――パァァァァァァンッ!!!
澄み切った夜空に、巨大な水晶が砕け散るような轟音が響き渡る。
ゼノの剣閃が、番人の絶叫ごと、天を覆っていた『運命の星織り』を真っ二つに両断したのだ。
その瞬間、大陸中を覆っていた淀んだ空気が一掃された。
空席となった役割から溢れ出していた悪意の瘴気が霧散し、天空を縛っていた運命の糸が、美しい光の粉となって世界中へと降り注いでいく。
「……終わった、のね」
アリアが、へたり込んで安堵の息を吐く。
「あぁ。見ろ。神が書いた三流の舞台の、見事な幕引きだ」
ラキシスが杖を下ろし、ふっと口角を上げた。
粉々に砕け散った祭壇から、温かく、優しい朝陽が昇ってくる。
勇者という消滅の運命も、魔王という絶望の運命も、もう彼らを縛ることはない。
「ゼノ様……!」
セレスティアは、剣を下ろしたゼノの背中に走り寄り、その大きな背中に思い切り抱きついた。
「ありがとうございます。私の、いえ……私だけの、たった一人の騎士様」
「……セレスティア様」
ゼノは振り返り、自分にしがみつく彼女を、今度こそ壊れないように、宝物のように優しく抱きしめ返した。
「もう、あなたから目を離しても、魂が泣き叫ぶことはありません。……これからは、ただ純粋に、あなたを愛するために傍にいます」
「はい……っ、はい……!」
極寒の頂に、夜明けの光が差し込んでいく。
強要された役割の歴史はここで終わり、ここからは、誰も結末を知らない新しい時代が始まる。
運命に抗い、自分自身の『生』を勝ち取った彼らは、朝焼けに染まる空を見上げながら、自分たちの意志で選んだ未来への第一歩を踏み出すのであった。




