35. 決戦前夜のただ一つの誓い
世界の理の根源、『創世の機織り』が待つ最北の霊峰・神座の頂。
そこへ至る道程は、魔物の襲撃こそ減ったものの、生命を拒絶するような極寒の吹雪に閉ざされていた。
氷点下の雪原。岩陰に張られた天幕のすぐ外で、セレスティアは燃え盛る焚き火の前に一人座っていた。
ラキシスの張った強力な防寒結界と、アリアの治癒魔法のおかげで凍えることはない。疲労した二人には天幕で深く眠ってもらい、セレスは静かに、火の粉が舞い上がる夜空を見上げていた。
「……冷えますよ、セレスティア様」
雪を踏む静かな足音と共に、ゼノが背後から現れた。
彼は自身の分厚い外套をセレスの華奢な肩にふわりとかけ、当然のように彼女の隣に腰を下ろす。
「ごめんなさい、ゼノ様。起こしてしまいましたか?」
「いいえ。あなたが起きているのに、僕が眠るわけがないでしょう」
相変わらずの過保護な言葉に、セレスはふっと微笑んだ。
「いよいよ、明日ですね。……あの山の頂にある自動装置を壊せば、もう世界が魔物を生み出すことも、私たちに役割を強要することもなくなる」
「はい。僕の剣が、あなたの明日を縛る糸をすべて断ち切ります」
ゼノは焚き火の炎を見つめたまま、自身の手のひらをそっと見開いた。
数え切れないほどの剣ダコが刻まれた、無骨で大きな手。
「……712回」
ゼノが、ぽつりと呟いた。
「僕の頭には、過去のループの明確な記憶はありません。前の世界で僕たちがどんな立場で、どうやって出会い、そして……僕がどうやってあなたを失ったのか。詳しいことは、何も覚えていないんです」
「……ゼノ様」
「でも、魂は覚えている。……あなたから目を離した瞬間に訪れる、あの張り裂けるような喪失感と、世界を呪い尽くしたくなるほどの真っ黒な絶望だけは。僕の魂の底に、こびりついて離れないんです」
ゼノは、自らの手を強く握りしめた。
その絶望こそが、彼の中に眠る『魔王の証』。愛する者を失った悲逆が限界を突破し、時間を強制的に巻き戻すほどの規格外の執着。
「僕は、あなたを救うためとはいえ、712回も世界を壊し、巻き戻してきた。……本当の化け物は、僕の方だったのかもしれない」
自嘲するように目を伏せたゼノの頬を。
温かく、柔らかい両手が、そっと包み込んだ。
「……化け物なんかじゃありませんわ」
セレスティアは、真っ直ぐにゼノのサファイアブルーの瞳を覗き込んでいた。
彼女の瞳には、愛おしさと、深い慈愛の涙が滲んでいる。
「712回。形や立場が変わっても、あなたは必ず私を見つけ出し、そして、不器用なまでに私を守り抜こうとしてくれた。……あなたが絶望に呑まれてしまったのは、私がいつも、あなたを置いて先に逝ってしまったからですわ」
セレスは、ゼノのゴツゴツとした手に自身の手を重ね、ぎゅっと握りしめた。
「もう、あんな哀しい時間を巻き戻す力(魔王の証)なんて、使わせません。……勇者の役割に従って、誰かの記憶から綺麗に消え去るなんて、二度と考えませんわ」
「セレスティア様……」
「私は生きます。この713回目の世界で、世界中の誰に忘れられようとも、あなたの隣で、あなたと共に明日を迎える。……だから」
セレスは、ゼノの胸にそっと額を押し当てた。
「明日、すべてが終わったら……私と、結婚してくださる?」
それは、世界を救う勇者としてでも、侯爵家の令嬢としてでもない。
ただの一人の女性としての、もっとも純粋で、切実な願いだった。
ゼノは大きく目を見開き、そして、ゆっくりと、壊れ物を扱うように優しく彼女の背中に腕を回した。
「……僕のような男でいいのなら。この命に代えても、あなたを永遠に愛し、守り抜くことを誓います」
氷点下の雪山で、二人は静かに身を寄せ合った。
勇者でも魔王でもない。ただのセレスティアと、ゼノとして。
世界の理がどれほど理不尽な運命を押し付けてこようと、この魂の結びつきだけは、誰にも引き裂くことはできない。
「……やれやれ。あそこまで甘い空気を見せつけられると、こっちが風邪を引きそうだな」
「もうっ、ラキシスさん静かにして! せっかくの最高にエモいシーンなんだから、空気を読みなさいよ!」
背後の天幕の隙間から、実はバッチリ起きていて覗き見をしていたラキシスとアリアが、ヒソヒソと小競り合いをしている声が微かに聞こえてきた。
「ふふっ……」
「……まったく、あの二人は」
セレスとゼノは顔を見合わせ、小さく吹き出した。
こんな騒がしくて、温かい仲間たちがいる。彼らと共に生きる未来を、絶対に勝ち取ってみせる。
吹雪の夜が明けようとしていた。
いよいよ4人は、世界の理不尽のすべてを終わらせるため、『神座の頂』へと最後の歩みを進めるのであった。




