32. 真実と反逆
硝子の森の野営地。真夜中。
静まり返った泉のほとりで、アリアは祭壇に見立てた平らな岩の前に正座し、深く祈りを捧げていた。
親友の運命を捻じ曲げるため、国宝級の聖女が行う最高位の神聖儀式――通称『女神様への直談判』である。
やがて、アリアを包んでいた淡い後光がスッと消え、彼女はゆっくりと目を開けた。
振り返ったアリアの表情は、ひどく蒼白で、そして深い悲逆と怒りに満ちていた。
「……アリア?」
セレスが震える声で呼びかける。
「……女神様から、告げられたわ。この狂った世界の理も、魔王の正体も」
アリアは重い足取りで3人の元へ戻ると、焚き火の前に座り込み、乾いた唇を開いた。
「いい? この世界は『役割』という枠組みで回っているの。712回のループ……その度に、誰かが『勇者』になり、死ぬか魔王を倒してループを進行させた。そして誰かが『魔王』になり、時間を巻き戻して死ぬか、世界を壊してループを進行させた」
「……なるほど。 勇者や魔王の『中身』はループごとに変わるのが世界の理か」
ラキシスが腕を組み、重々しく頷く。
「ええ。セレスちゃんもゼノさんも、これまでの712回は勇者でも魔王でもなかった。ただの人間として、違う立場で魂を惹かれ合いながら生きてきたはずよ。……でも」
アリアは、痛ましげに二人を交互に見つめた。
「713回目の、今回のループ。……世界の理は、よりにもよってセレスちゃんを『勇者』に選び……ゼノさんを、未来の『魔王』に選んでしまったのよ」
「っ……!」
ゼノが息を呑む。
勇者は一度きりの存在。役割を終えた瞬間、次のループからは『存在そのもの』が永遠に消滅する。
「……私は、嫌だったのです」
セレスが、膝の上で両手を強く握りしめ、ポロポロと涙を溢れさせた。
「712回も、魂が惹かれ合ってきたのに。……勇者の役割に従えば、私は次の世界から完全に消え去り、あなたの記憶にも残らない。ループしている世界を知ったら、あなたを残して消えるなんて、絶対に嫌だった! だから私は、あなたを『偽勇者』に仕立て上げ、世界の理を騙そうとしたのですわ……!」
「セレスティア様……」
ゼノは目を見開いた。
辺境のギルドで初めて出会った時、絶対に彼女から目を離してはいけないと魂が叫んだ理由。それは712回分の魂の記憶であり、同時に、彼の中に宿った『魔王の証』が、対となる勇者(運命)に引かれた結果だったのだ。
「……それが、現在の理の綻び(バグ)の原因か」
ラキシスが、すべてを悟ったように天を仰いだ。
「本来なら、勇者であるセレスが死に、それを目の当たりにしたゼノが絶望して『魔王』の証を完成させる。そして世界が壊れ、次のループへと進む。……だが、セレスが運命に抗って生きているせいで、ゼノは絶望せず、魔王という役割が『未完成』のまま空席になっているんだ」
光の器が2つ存在し、闇の器が空っぽのまま。
世界は役割を処理しきれずエラーを起こし、行き場を失った悪意が魔物災害となって世界中で暴走している。
「……なぁ、聖女。世界を壊さないための、最適解はなんだ?」
ラキシスが、ギリッと奥歯を噛み鳴らして問う。
アリアは、痛みを堪えるように目を伏せ、そして残酷な事実を口にした。
「……今からでも、セレスちゃんが死ぬことよ」
絶望的な沈黙が、野営地に落ちた。
セレスが死ねば、ゼノの絶望によって『魔王』が完成する。魔王が生まれれば役割の空席が埋まり、魔物の暴走は止まり、世界の理は正しく処理されてループは進行する。
ループは残酷な仕組みだが、それが世界を存続させるための秩序なのだ。
「……私が、死ねば」
セレスは震える手で涙を拭い、立ち上がろうとした。
自分が意地を張ったせいで、多くの命が奪われ、世界が崩壊しようとしている。ならば自分が役割を受け入れれば。
これは、正しいか正しくないかの道徳ではない。
「……セレスティア様」
しかし。世界を救うための決意を固めようとした彼女の細い腕を、力強い温もりが引き留めた。
ゼノだった。
彼はサファイアブルーの瞳に一切の迷いを持たず、ただ真っ直ぐにセレスを見つめていた。
「僕が魔王になる運命だったとしても。あなたが次の世界から消える運命だったとしても。……僕は、あなたを失ってまで続く『次の世界』など、微塵も欲しくはありません」
「ゼノ様……でも、このままでは世界が……っ!」
「世界が強要する役割など、知ったことではありません」
ゼノは腰のミスリル剣を抜き放ち、その白刃を夜空へと掲げた。
「これは、正しいか正しくないかの話じゃない。世界を救うか壊すかの話でもない。……『役割に生きるか、自分として生きるか』だ」
ゼノの言葉に、セレスはハッと息を呑んだ。
「勇者として死ぬことも、魔王として生きることも拒絶します。……僕はただのゼノ。あなたを守り、あなたと共に生きるためだけに剣を振るう、ただの男だ。……あなたはどうですか、セレスティア様」
その言葉に、セレスの目から再び涙が溢れた。
そうだ。自分はどうしたい?
人々の記憶から消え去る『勇者の枠組み』に入り、大人しく消え去りたいのか? 違う。
「……私も、嫌ですわ」
セレスは涙を拭い、令嬢としての凛とした微笑みを浮かべ、ゼノの手を強く握り返した。
「誰かの記憶から消え去る役割なんて、もうごめんです。私は、セレスティアとして、あなたと共に明日を生きたい」
「ええ。ならば、何も迷うことはありません」
ゼノが不敵に笑う。
「世界が僕たちに『役割通りに死ね』と災害を差し向けてくるなら。……僕たちが、自分自身として生きるために、この世界の理ごと、すべての不条理を斬り伏せるだけです」
「……言ってくれるじゃないの!」
アリアが泣き笑いのような表情で立ち上がった。
「上等よ! 私も親友のために、神様と世界のルールに喧嘩を売る覚悟はできてるわ!」
「フン……狂っているな。だが、神が書いた三流の脚本など、俺の天才的な演出でぶち壊してやる」
ラキシスは不敵な笑みを浮かべた。
世界の残酷な最適解を前にしても、彼らは屈しなかった。
『役割』を捨て、ただ『自分』として生きることを選んだ4人の反逆者たちは、世界崩壊の足音が迫る中、理不尽な運命との最終決戦へと、その確かな一歩を踏み出したのであった。
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