30. 硝子の森と真実の光
西の軍事国家・ガレリア領をさらに西へ越えた先。
美しい工芸品と錬金術の国として知られるヴィトリオール王国の国境付近に、その森はあった。
木々の葉や幹が、まるで本物のガラス細工のように透き通り、陽光を受けて七色に乱反射する幻想的な秘境――『硝子の森』。
しかし現在、その美しい森は、耳をつんざくような魔物の咆哮と、硝子が砕け散るような激しい破壊音に包まれていた。
「くそっ、次から次へと……! 第一防衛線を維持しろ! 絶対に街へは通すな!!」
森の出口に陣取ったヴィトリオール王国の騎士団が、血みどろになりながら絶叫する。
彼らの眼前に押し寄せているのは、通常の討伐依頼などとは次元の違う『魔物の大暴走』だった。Bランク、Aランク級の凶悪な魔獣たちが、まるで何かに怯え、逃げ惑うように森の奥から押し寄せてきているのだ。
「……ひどい有様ね。ギルドからの緊急要請で飛んできたけど、これは予想以上だわ」
騎士たちの後方、高台からその惨状を見下ろしながら、アリアが通信用の魔導具を握りしめて顔をしかめた。
「今、王都のギルド本部から追加の連絡が入ったわ。……ここだけじゃない。東の国境、北の雪山、南の砂漠……大陸中のあらゆる場所で、同時多発的に原因不明の魔物災害が起きているそうよ」
「なんだと……?」
ラキシスが魔力鏡から顔を上げ、険しい声を出した。
「世界中の魔物が、まるで一斉に発狂したかのように暴走しているって言うのか? 歴史上でも類を見ない異常事態だぞ」
「……おそらく、原因は『魔王の不在』だわ」
アリアが忌々しげに呟く。
「神話の法則通りなら、強大な勇者の光には、それを受け止める闇の器……魔王が必要よ。でも、その魔王が一向に現れないせいで、行き場を失った世界の悪意や魔力が処理しきれず、こうしてただの魔物災害となって各地で溢れ出しているんだわ」
魔王という存在が発生しない代償。
それが、現在世界中で起きている原因不明のスタンピードの正体だった。
「世界がどうなっていようと、やるべきことは変わりません」
ゼノが、チャキッと腰のミスリル剣を抜き放ち、仲間たちを庇うように一歩前へ出た。
「あの群れをこのまま街へ通すわけにはいかない。……僕が前線を押し上げます。皆はここから援護を」
ゼノが地を蹴った瞬間、ラキシスの特効魔道具が作動し、硝子の森の乱反射を利用した眩い光のエフェクトが炸裂する。
しかし、現在のゼノの強さは、そんな演出がなくとも十分に『常軌を逸して』いた。
「はぁぁッ!!」
神速の踏み込み一つで暴風を生み、鋼より硬い魔獣の外殻を紙切れのように叩き斬る。決して疲労を見せることなく、一点の曇りもない集中力で剣を振るい続ける。魔力を持たないただの剣士でありながら、その身体能力と剣技だけで、溢れ出る魔獣の群れを次々と光の粒子へと変えていった。
「おおっ! あれが噂の勇者様か!!」
「助かったぞ!!」
ゼノの加勢により、崩れかけていた騎士団の防衛線が息を吹き返す。
後方で密かに隠蔽魔法による支援を行いながら、セレスティアはゼノの頼もしい背中を見つめていた。
(ええ、素晴らしい剣筋ですわ、ゼノ様。このまま群れを押し返せば……)
セレスがそう安堵した、その直後だった。
『ギュルルルルルォォォォォォォォッ!!!』
硝子の森の奥底から、大気が震えるほどの圧倒的な咆哮が轟いた。
木々をなぎ倒して姿を現したのは、山のように巨大な四つ足の魔獣――災害指定を受けるSランク魔獣、『暴食の水晶竜』だった。
「……あれが、魔物たちが逃げていた原因か」
ゼノが油断なく剣を構え直す。
だが、水晶竜はその巨大な顎を大きく開くと、周囲の魔力と大気を一気に吸い込み始めた。その喉の奥で、街一つを容易く消し飛ばすほどの超高圧縮の『破壊のブレス』が臨界点に達しようとしている。
「まずい! あの広範囲ブレスを撃たれたら、防衛線の騎士たちも、私たちも全員巻き込まれるわ!!」
アリアが悲鳴を上げる。
避けることはできない。あの質量のブレスを、剣で斬り裂くことも不可能だ。
「……ッ!!」
ゼノは迷わず、水晶竜と仲間たちの直線上の間に立った。
(僕の肉体をすべて削ってでも、あの熱線はここで受け止める)
大切な仲間たちを、そして何より、背後にいるセレスティアを絶対に守り抜く。
ゼノは自身の命を完全に投げ打つ覚悟で、剣を盾のように構え、ブレスの直撃を待った。
(――駄目。ゼノ様!!)
その背中を見たセレスティアは、血の気が引くのを感じた。
あんなものを受ければ、いくらゼノでも灰も残らない。彼が自分を庇って死ぬ。過去のループで何度も見てきたその残酷な結末だけは、絶対に認められない。
『ギョォォォォォォッ!!』
水晶竜の顎から、すべてを焼き尽くす極太の破壊光線が放たれた。
ゼノが死を覚悟し、目をカッと見開いた、その瞬間。
「……いい加減になさいな、ただのトカゲが」
涼やかで、酷薄な声が響いた。
ゼノの背後から、彼を追い抜くようにして「白い影」が前に出る。
セレスティアだった。
彼女は、愛用の令嬢の扇子を足元に投げ捨て、無防備な姿で破壊光線の前に立ち塞がった。
「セレスティア様!? 馬鹿な、下がって――!!」
「隠蔽、全解除」
ゼノの絶叫を遮り、セレスティアが右手をスッと前に突き出す。
次の瞬間。
――カッ!!
セレスの小さな掌から、ラキシスの魔道具などとは次元の違う、星の瞬きを凝縮したような『純白の光の柱』が迸った。
「な……っ!?」
ゼノが、そしてラキシスが、目を剥いて絶句する。
放たれた純白の光は、水晶竜の破壊ブレスを正面から完全に飲み込み、相殺するどころか逆流して、巨大なSランク魔獣を一瞬にしてチリ一つ残さず光の中へ消滅させた。
森を揺るがしていた暴風がピタリと止む。
硝子の森の乱反射すらもひれ伏すほどの、静かで、圧倒的な神聖なる威圧感。
光の粉が雪のように舞い散る中、ただ一人、無傷で立つセレスティアは、ゆっくりとゼノの方を振り向いた。
「……セレスティア、様……? その、光は……」
剣を構えたまま、ゼノが震える声で問う。
「騙していて、ごめんなさい、ゼノ様」
セレスティアは、泣き出しそうな、それでいてこの上なく慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「あなたがずっと探していた本物の勇者は……私ですわ」
偽りの勇者プロデュースが終わりを告げ、ついにゼノの目の前で『真実』が暴かれた瞬間であった。




