第4話
王宮夜会の翌日、エディスが招待状を投函していったその日の夕方、ルパート・カークランドは上機嫌でアパートの階段を上がっていた。
「ったく、昨日の夜会のアネットは最高に可愛かったな」
鼻歌交じりに鍵を取り出し、ふと郵便受けに目をやる。
普段なら請求書が無造作に突っ込まれている隙間に、見慣れないものが挟まっていた。
青いベルベットの小箱。
法務院の刻印がある公的な控え。
そして、目を疑うほど上等な、金箔で縁取られた分厚い封筒だ。
「あ?」
ポストから引き抜くと、小箱は拍子抜けするほど軽く、蓋を開けるまでもなく中身が分かった。
エディスが十八歳の時、露店の安売りで買い与えたあの指輪だ。
「指輪を返してきた……? あいつ、昨日の夜会のことでヘソ曲げてんのか」
ルパートは鼻で笑った。
エディスが怒ることなど、過去に何度もあった。だが、いつも二、三日も放置して「悪かったよ、今度美味いもん食わせるから」と頭を撫でてやれば、すぐに許してくれたのだ。今回もその類だろうと高を括る。法務院の紙など、ただの脅し文句の書類だとまともに読みもしない。
だが、問題はもう一通の封筒だった。
紙の手触りからして異常だ。王室御用達の工房で作られた厚手の上質紙。封蝋には、王都の貴族なら誰もが震え上がる『黒鷲』の紋章が刻印されている。
「ハルデンベルク家の紋章……? なんで俺んちに軍監閣下の封筒が……」
昇進祝いの挨拶状か何かかと思い、ルパートはペーパーナイフで乱暴に封を切った。
中から現れた豪奢なカードを開いた瞬間、彼の目は点になった。
『ハルデンベルク伯爵マティアス ならびに ペンデルトン伯爵令嬢エディス 結婚式ならびに披露宴のご案内』
「……は?」
声が裏返った。
何度も瞬きをして、文字を凝視する。
マティアス・ハルデンベルク。
エディス・ペンデルトン。
二人の名前が、これ見よがしに並んでいた。宛名は、力のある整った筆跡で手書きされている。
一秒、二秒、三秒。
静まり返った廊下に、ルパートの甲高い爆笑が木霊した。
「ぶっ……! あっははははは! なんだこれ、傑作だな!」
腹を抱えて笑い転げる。
涙が出そうだった。
「エディスのやつ……! ここまでやるか普通!? 俺がアネットに構いすぎたからって、当てつけのために偽造招待状を作らせやがったのか!?」
ルパートの頭の中で、すべての辻褄が都合よく組み合わさった。
エディスは昔から真面目で頑丈だが、根は自分にベタ惚れの女だ。三年間も大人しく待ち続け、手料理を振る舞い、自分の軍服のほつれを繕ってきた女が、自分を捨てるはずがない。
夜会でアネットをエスコートしたことに嫉妬し、わざわざ印刷屋に金を払って『偽の婚約通知』をポストに放り込み、自分を焦らせようとしているのだ。
「あの地味女が、あの『氷の軍監』に相手にされるわけねえだろ! ハルデンベルク閣下がどれだけ女嫌いで有名か知らねえのかよ。嘘をつくにしても、もっと現実味のある相手を選べっての」
ルパートは招待状をパチンと指で弾き、ポケットに突っ込んだ。
「可愛い真似しやがって。まあ、三日もすれば『ごめんなさい、嫉妬して嘘をつきました』って泣きついてくるに決まってる」
そう確信したルパートは、指輪の小箱を部屋の隅のゴミ箱へ放り投げると、身支度を整えて騎士団の詰所へと向かった。
翌日の昼下がり、近衛騎士団の休憩室。
ルパートは同僚の騎士たちを前に、得意げにテーブルの上へ例の招待状を広げていた。
「見ろよこれ。俺の婚約者のエディスがよ、俺に構ってほしくてこんな手の込んだもん作ってきやがったんだよ」
「はあ? ハルデンベルク閣下との結婚式……?」
騎士たちが集まってきて、招待状を覗き込む。
そのうち、古株の一人が顔色を変えて招待状を手に取った。
「おい、カークランド……これ、ハルデンベルク家の本物の透かしが入ってるぞ。封蝋の印も、俺が前に見たものと同じだ。……おい、これ本物なんじゃないのか?」
「んなわけあるか!」
ルパートは鼻で笑い、同僚の手から招待状をひったくった。
「金さえ払えば、裏通りの印刷屋が似たような紙くらい用意するだろ。だいたい、お前らもエディスを見たことあるだろ? 化粧っ気もねえ、色気もねえ、ただの地味な女だぞ? あのハルデンベルク閣下が、あんな行き遅れを嫁にすると思うか?」
「いや……でも、ペンデルトン伯爵令嬢は気品があって綺麗な方じゃないか。実務も完璧だし」
「男を知らねえ堅物なだけだっつの! 女ってのはな、こうやってわざと大物男の名前を出して、男の気を引こうとする生き物なんだよ」
数人は釣られて笑ったが、招待状を確かめた古株の騎士は首を振った。
「俺なら先方に確認する。勝手に偽物だと決めつけて、後で知らんぞ」
ルパートは聞こえないふりをして、胸を張った。その時、休憩室の扉が開き、甘えた声が飛び込んできた。
「ルパート様ぁ! 探しましたよぉ」
入ってきたのは、ピンクのリボンで髪を結んだアネットだった。
男たちの視線が集まるのを自覚しながら、アネットは小走りでルパートの元へ駆け寄り、その逞しい腕に自分の胸を押し付けるようにして絡みついた。
「アネット。足はもういいのか?」
「はいっ、ルパート様が優しく湿布を貼ってくださったおかげで、すっかり良くなりましたぁ! ……あ、あの、今日のお昼、まだですよね? ルパート様と一緒に行きたいな、なんて……ダメですか?」
上目遣いで潤んだ瞳に見つめられ、ルパートの鼻の下は限界まで伸びた。
同僚たちの羨望の眼差しが、たまらなく心地いい。
「ダメなわけないだろ。よし、広場の高級レストランに行こう。美味い肉でも奢ってやるよ」
「きゃあ、嬉しい! ルパート様って本当に頼りになるぅ!」
はしゃぐアネットの腰に手を回し、ルパートは意気揚々と休憩室を出ていく。
財布の中には、先月小隊長に昇進した祝いとして実家から送られてきた金貨がたっぷり入っている。本来なら、エディスとの新居の家具を買うはずだった金だ。だが、そんなことはルパートの頭から綺麗さっぱり抜け落ちていた。
(エディスのやつ、今頃部屋で一人で爪を噛んでるだろうな)
歩きながら、ルパートは歪んだ優越感に浸っていた。
(俺を焦らせようとしたって無駄だ。お前から頭を下げてくるまで、絶対に連絡してやるもんか。……泣いて縋り付いてきたら、アネットを第二夫人にするのを認める条件で、許してやってもいいがな)
その夜、実家の使いが父からの呼び出し状を届けに来た。仮誓約の解除について、すぐ説明に来いとある。
ルパートは、エディスが父親まで巻き込んだのかと舌打ちした。明日は忙しいと使いを追い返し、返事も書かずに寝床へ倒れ込んだ。




