第13話
王都大聖堂のステンドグラスから差し込む七色の光が、白大理石のバージンロードを神聖に染め上げていた。
パイプオルガンの重厚で華やかな調べが、ドーム状の高い天井に反響する。
参列席を埋め尽くしているのは、王族をはじめとする高位貴族たち、各国の使節、そして近衛騎士団の重鎮たちだ。社交界の頂点に君臨する人々が、息を呑んで一人の女性の入場を見つめていた。
「綺麗だ、エディス」
私の腕を支える父――ペンデルトン伯爵の声が、微かに震えていた。
見上げると、普段は冷静な父の目元が、今にも溢れそうな涙で真っ赤になっていた。
「お前がこんなにも美しく笑える日が来て……儂は、儂は本当に嬉しいよ」
「お父様、泣かないでくださいませ。私まで泣いたら、お化粧が崩れてしまいますわ」
私が微笑みかけると、父は鼻をすすりながら、誇らしげに胸を張って歩調を合わせた。
身に纏っているのは、王室御用達の職人たちが縫い上げた、純白のシルクドレスだ。裾には繊細な銀糸のレースが雲海のように広がり、動くたびに星屑のようなダイヤモンドが瞬く。
レースを選ぶ時、私は何度も迷った。最後には閣下が待ちくたびれてしまうかと心配したけれど、彼は二つの見本を掲げたまま「急がなくていい」と言った。あの日決めた模様が、今、足元に広がっている。
バージンロードの先、祭壇の前には、漆黒の最高礼装に身を包んだマティアス閣下が立っていた。
社交界で『冷酷無比の氷の軍監』と恐れられるその男が、今、私だけを見つめている。
その紫水晶の瞳に宿る、隠しようもない熱情と深い愛しさに、胸の奥が甘く痺れた。
父の手から、マティアス閣下の手へ。
閣下の大きく温かい掌が私の指先を包み込んだ瞬間、パイプオルガンの音が一段と高く鳴り響いた。
「息が止まるかと思った」
大司教の前へ進み出る刹那、閣下が私にだけ聞こえるような囁き声で零した。
「世界中のどんな宝石も、今日の君の前では色褪せて見えるな、エディス」
「閣下ったら……皆様が見ておられますわ」
「見ていればいい。私の妻が世界で一番美しいと、国中に見せつけてやるのが今日の目的だ」
不敵に笑う彼の横顔が、眩しいほどに凛々しい。
大司教による厳かな誓いの祈祷が終わり、指輪の交換の儀へと移る。
マティアス閣下が、私の右手を両手で包み込んだ。
そして――何の前触れもなく、彼はその場に片膝をついた。
ざわり、と大聖堂がどよめいた。
王国屈指の権力者であり、国王陛下の信も厚いハルデンベルク伯爵が、公衆の面前で一人の女性の足元に跪いたのだ。
「閣下……!?」
「エディス・ペンデルトン」
マティアス閣下は私の手を掲げ、私の薬指に嵌まる家宝のサファイアに、恭しく唇を落とした。
そして、静かに、だが大聖堂の隅々にまで通る澄んだ声で告げた。
「エディス。嬉しいことも、困ったことも、最初に君へ話したい。君が私に言いにくいことを話してくれた時には、最後まで聞く。今日ここで取った手を、生涯、大切にすると誓う」
声はよく通っていたのに、私の手を握る指には少し力が入りすぎていた。
この人も緊張している。そう気づいたら、胸がいっぱいになった。いつも頼もしく見える彼が、今日、私の返事を待っている。
「私も誓います。嬉しい日も、困った日も、貴方のそばにいたいです。黙って我慢する前に、ちゃんとお話しします」
閣下が笑った。あのテラスで見た、ほっとした笑顔だった。
「それから、私も貴方を幸せにしたいです。マティアス様」
マティアス様が立ち上がる。私は侍祭が差し出した盆から、結婚指輪を取った。私は彼の左手に金の輪を通し、彼も私の左の薬指へ揃いの指輪を嵌めた。右手のサファイアとは違う、飾りのない細い輪だった。
並べた二人の手を見て、こらえていた涙がこぼれた。
マティアス様が私の腰を引き寄せ、抱きしめた。
大きな指先が私の頬の涙を優しく拭い、そのまま、愛おしげに唇が重ねられる。
ワッと、割れんばかりの拍手と歓声が大聖堂を揺るがした。
パイプオルガンの祝福のファンファーレが鳴り響き、天井から純白と黄金の花びらが降り注ぐ。
大聖堂の外へ出ると、王都の目抜き通りを埋め尽くした市民たちから、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
純白の四頭立ての馬車に乗り込み、マティアス様と並んで手を振ると、色とりどりの花束が投げ込まれる。
「ハルデンベルク閣下万歳! エディス様万歳!」
「なんてお美しい花嫁様だ!」
「お二人とも、お幸せに!」
「閣下、花嫁様ばかり見ていないで、こっちも向いてくださいよ!」
市民たちの口々にする言葉が、風に乗って耳に届いた。
私は隣に座るマティアス様を見上げた。
マティアス様は悪戯っぽく片眉を上げ、私の腰に回した腕をぎゅっと強めた。
「困ったな。よそ見をしているのが、ばれてしまった」
「ふふ、少し気恥ずかしいですわ。……でも、嬉しい」
「これから毎日、これ以上の愛を囁いてやるから覚悟しておけ」
爽やかな青空の下、大聖堂の鐘の音が、どこまでも遠く響き渡っていた。
膝の上で、そっと彼の指に自分の指を絡めた。
「私も、よそ見をしてしまいそうです」
マティアス様がこちらを向く。私たちは目を合わせ、子どものように笑った。




