8
退院日、特に付き添いもなく病院をあとにした。傷口もすっかり塞がって万全である。それにしても入院中、尾白さんと藤岡さんの面会が毎日あって、バッティングするものだから空気が凄かったな。
「仕事、溜まってるだろうなぁ」
うんと伸びをして明日の仕事のことを考える。
帰路につく。
マンションの前で、事件の日を思い出して足がすくんだ。心なしか傷口が痛い。頭を振ってイメージを振り払う。
久々の我が家に安心する。
「あぁ落ち着く~」
ソファに体を投げ出す。
「しばらく動きたくない」
そうも言っていられない。入院中、関係性がよくない母に頼んで持ってきてもらった衣服を洗濯しなければならない。
「よし、やるか」
気合いを入れて立ち上がり、洗濯を回す。
一通り片付けが終わると、お茶を入れて一息ついた。
なかなか濃い日々だったなぁ。
今回のことで、尾白さんがもう会ってはくれなくなるのではと心配だったが、杞憂に終わってよかった。
〈今日退院日でしたよね? 無事に家に着きましたか?〉
尾白さんから連絡が来る。
〈家に着きました。完全回復です〉
〈何か異変があればすぐに呼んでください。飛んでいきます〉
あれから尾白さんの過保護ぶりが加速している。もともと子ども扱いだったような気がするが。
〈そういえば、どうして私の家がわかったんですか?〉
〈実は初めて会った日に、夢現な田島さんが住所を口にするのを聞いたんです。緊急事態だったとはいえ、勝手に押しかけてしまい申し訳ありません〉
〈そうだったんですね! 住所知られたのが尾白さんでよかったです。助けてもらいましたし、結果よかったですね〉
〈今回は結果的によかったのかも知れませんが、もう簡単に住所を教えてはいけませんよ〉
〈意識がはっきりしているときは流石に大丈夫だと思うんですけど……酔っているときは定かではありませんね、正直〉
〈お酒はよく飲まれるのですか?〉
〈いえ、会食とか職場の飲み会があるときにしか飲みません〉
〈では、お酒を飲んだら私に連絡してください〉
〈え?〉
尾白さんの提案に驚く。
〈普段でさえふわふわしているのに、酔った田島さんは危なっかしくて仕方ありませんから〉
〈大丈夫ですよ~。今までだってちゃんと一人で家に帰れてましたし〉
〈いいから。私に連絡してください。心配なんです〉
やはり過保護になっている。
〈わかりました。お酒飲んだら尾白さんに連絡します〉
この過保護がくすぐったい。もしかしたら、なんて期待をしてしまう。
普通ここまでしてくれないのではないかと。なんの経験もないからわからないのだけれど。
でも少なくとも、嫌われてはいないと思う。
今までの片思いは、行動せずに終わってしまった。
今回はもっと積極的になるべきだと思う。
「おはようございます」
「田島さん、大丈夫だった?」
出勤すると上司から声を掛けられる。
「はい。ご心配をおかけしました」
休んでいたことに対する詫びも入れ、デスクに戻る。
「響子、もう大丈夫なの?」
「優香さん。はい、もう平気です」
「ほんと、危ないことばっかりして……!」
「ごめんなさい」
優香さんはひとしきりお小言をおいてデスクに戻っていった。
「田島、復帰おめでとう」
「藤岡さん、ありがとうございます」
お見舞いもありがとうございました、とは流石にここでは言えない。
溜まりに溜まった仕事を一つずつ片付けていく。
「そうだ。今日田島さんの快気祝いに行こうか」
酒好きの上司が提案する。
私は参加確定か……。
「藤岡さんは参加されるんですか?」
「参加するよ」
女性社員が、藤岡さんが参加するなら……と参加者がどんどん増えいてく。
仕事終わり、よく利用する飲み屋さんに集合する。
そうだ。尾白さんに連絡入れておくか。
〈お疲れ様です。早速今日飲み会になりました〉
〈わかりました。終わったらまた連絡してください〉
「田島、復帰早々飲み会だけど大丈夫か?」
藤岡さんに声を掛けられる。
「はい。もう全快したので」
それにしても久々の飲み会である。
藤岡さんの周辺は女性社員で固められている。私はこれ幸いと別テーブルで優香さんとお酒を飲んでいた。
「その後、気になる人とはどうなの?」
「毎日連絡取るようになりました。あと、お酒を飲むときは連絡してとも言われました」
「何それ! 絶対脈ありじゃない!」
優香さんはグラスをぐっと仰ぐと、興奮気味にそう言った。
「私ももしかしてと思ったんですけど、尾白さんほど綺麗な人が私なんか相手にしないよなとも思っちゃって」
「何言ってるの。すぐそこに響子のこと好きな男がいるじゃない。自信持ちなさいよ」
こそっと耳打ちしてくる。
藤岡さんの方に目をやると、女性社員に囲まれて苦笑いをしていた。
そういえば。ストーカーという強烈な女性はいたけれど、尾白さんの周りにあまり女性を見かけないな。綺麗すぎて近寄りがたいというのもあるのかも知れない。ストーカーの女性もちらっと見た限り美人だったし。自信のある女性しか寄ってこないのかも。
そう思うと、自分の場違いさに恥ずかしくなるけれど。
「そうですよね。好きになったものは仕方ないですもんね」
「そうよ。それに消極的になる理由がわからないくらい響子は可愛いわよ」
優香さんの言葉にかぁっと顔が熱くなる。
「ほら、そういうところ」
恥ずかしさを紛らわすようにグラスを仰った。
「あんまり飲み過ぎないようにね」
「はぁい」
少し酔いが回ってきたようだ。そろそろセーブしなければならない。
「田島さん飲んでる? 全快祝いだからね。沢山飲んでね」
酒好き課長に捕まってしまった。
「はい、ありがとうございます」
勧められるままどんどんグラスを空けていく。
「課長、それくらいにしましょう。ほら田島、水飲んで」
「お、悪い悪い。飲ませすぎたか」
そう言って課長は別テーブルへ移動した。
いつの間にか藤岡さんがこちらのテーブルに来ていた。よくあの女性社員たちを巻いて来れたな。
「田島? 大丈夫か?」
「だいじょうぶです」
「だいぶ飲まされたな。ちゃんと水飲んでな」
渡された水をこくりと飲む。
頭がふわふわしている。あぁ酔ってるなぁとわかる。
「ありがとおございます」
「……本当無防備だよな」
藤岡さんはため息をつく。
「そろそろお開きらしい。駅まで送るよ」
「いえ、おじろさんにれんらくしなきゃいけなくて……」
「え? 尾白さんに? 付き合うことになったの?」
藤岡さんが珍しく焦っている。
「いいえ? おさけのんだられんらくしてねって」
「二人は今どういう状況なの」
「? どうにもなってません」
「そう。まだ大丈夫そうかな……でも時間の問題か」
飲み会はお開きになり、ぞろぞろと皆が帰宅していく。
お店を出ると再び藤岡さんは女性社員に囲まれる。二次会の誘いだろう。
〈いまおわりました〉
〈お疲れ様です。お店の位置情報送れますか? 迎えに行きます〉
ぽちぽちとスマホを操作して位置情報を尾白さんに送信する。
「田島、尾白さん迎えに来るって?」
「はい」
「じゃあ尾白さんが来るまで俺も待ってる」
藤岡さんがこの場に留まることで、彼を狙う女性社員たちも居残ることになった。
藤岡さんの手前、直接声を掛けられることはないが視線が痛い。
「ひとりでまてますよ」
「危ないからね。呂律も怪しいし」
藤岡さんも過保護である。
一人で待つくらいどうってことないのに。
「田島さん」
「おじろさん」
「だいぶ酔ってますね」
尾白さんの登場に女性社員たちが色めき立つ。
「あの、田島さんの彼氏さんですか?」
「まだ、違います」
「私たちこれから飲み直すんですけど、ご一緒にどうですか」
「せっかくですが、田島さんを迎えに来ただけですので」
一際きつい視線が刺さる。
「田島さん、帰りましょう」
「はぁい」
ふら、と一歩踏み出すとするりと手をつながれる。
「危ないですから、ね」
「尾白さん」
「なんでしょう、藤岡さん」
「酔ってる相手に変な気起こさないでくださいね」
「言われなくともわかっています」
尾白さんはぎゅっと握り直して手を引く。
手を引かれるままに歩く。
「飲み会は楽しかったですか?」
「たくさんのまされました」
「そのようですね。連絡してくれてありがとうございます。やはり一人で帰すのは危険ですね」
「おじろさんもふじおかさんもかほごですよね。わたしそんなにあぶなっかしいですか?」
「えぇ、とても」
「そうなんですか……」
「でもそういうところが私には好ましいです」
「え?」
「今のあなたは酔っているので、これ以上は言いません。意識のはっきりしているときに、言わせてください」
「? わかりました」
尾白さんと帰り道を歩く。
いつもの分かれ道で、ここでお別れかなと思っていると。
「今日は家の前まで送らせてください」
「いいんですか?」
「むしろこちらからお願いしたい。鍵を掛けるところまで見届けさせてください」
柔らかい声が降ってくる。
――あぁやっぱり勘違いしそうになる。
もしかしたら、同じ気持ちだったりするのだろうか。そうでなくとも、ちゃんと伝えたい。
酔った勢いのままは言いたくない。ちゃんと伝えたいのだ。




