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「おはようございます」
翌朝、出勤すると先にデスクに着いていた藤岡と目が合う。
「田島、おはよう」
今までより幾分か優しい声音に気づいた女性社員たちが一斉にこちらを見る。
――あぁ怖い。藤岡さん、話しかけてこないで。明らかに何かあったじゃんみたいな視線でこっち見ないで。
「おはようございます……」
目を合わせずに挨拶をする。
失礼とは思いつつも、若干の苛立ちもあった。自分の人気を知ってか知らずか、注目されるようなことはしないで欲しい。
午前の仕事が終わり、お昼休み。
いつものように優香さんとともにランチに向かう。
「ねぇ、藤岡さんと何かあった?」
鋭い優香さんの指摘に一瞬言葉に詰まる。
「実は昨日、告白されまして……」
「マジか! それで、付き合うことになったの?」
「返事はまだしなくていいって。意識して欲しいとだけ言われました」
「そっか。いやぁでも藤岡さんと付き合うことになったら、現実は厳しいよね」
「ですよね! 今日ですら殺されるかと思うくらいの視線でしたもん!」
冷静な優香さんの言葉を全力で肯定する。
「あからさまな声色はやめて欲しいです……」
「まぁ藤岡さんも浮かれてるんじゃない? 好きな子に意識してもらえるようになったんだから。そういえば、気になる人はどうなの? 流石に進展ないか。再会できるかもわからないしね」
「それが昨日会ったんですよ。帰り道にばったり」
「マジか! 昨日はいろんなことが起こりすぎね。で、どうだった?」
「説教されました」
「え、どういうこと? 会うの二回目で説教されたの?」
「優香さんと同じこと言われました。無防備過ぎだ、きちんと自衛しなさいって」
「まぁまぁまぁ! 普通にまともな人じゃないその人」
「だから言ったじゃないですか、多分いい人だって」
「あんたのいい人判定ガバガバだから信用ならないのよ。でも、まともな人でよかったわ。もしかしたら縁があるのかも知れないわね」
「昨日確かにいいなと思いましたけど、絶対恋人いますね」
「藤岡さんのことはいいの?」
「正直怖いです。藤岡さんがどうこうっていうより、もし付き合うことになったらって考えるだけで怖じ気づきます」
「そっか……それ、藤岡さんに伝えた方がいいと思うわよ」
優香さんはアイスティーをストローでくるりと回しながら言った。
「そうですよね……」
ランチを終えてオフィスに戻る。
「田島、おかえり」
微笑みながら言わないで欲しい。視線が痛い。
「ただいま戻りました」
午後はいつにも増して痛い視線の中、胃に穴が空きそうになりながら仕事をすることになった。
「田島さん、ちょっといい?」
女性社員に呼ばれる。
全然関わりのない案件を抱えているからわかった。藤岡さん関係だと。
「はい……」
女子トイレまで連れて行かれる。
「田島さんさ、藤岡さんと何かあった? 抜け駆けしないで欲しいんだけど。席が近いからって馴れ馴れしくしないで」
「何もないです」
「本当に?」
「はい」
嘘をつくのが苦手な田島にとって、これがギリギリの嘘だった。深く突っ込まれるとぼろが出る。どうか何も聞かないでくれ、と祈ることしかできない。
「ま、それならいいわ。嘘だったら承知しないから」
そう言って女性社員はトイレを後にした。
「……殺されるかと思った……!」
心臓が忙しなく暴れている。
やはり無理だ。藤岡さんと付き合うなんて。断ろう。
トイレから戻るとちょうど席を外していた藤岡さんもデスクに戻ってきた。
目が合って藤岡さんが微笑んだ。
思わず目を逸らしてしまう。
言えるだろうか。流されるばかりの私に。百戦錬磨の風格漂う人気者の藤岡さんに、経験ゼロの私ごときが。
――尾白さんに会いたいな。尾白さんの叱咤が欲しい。
定時のチャイムが鳴る。
今日は残業しなきゃいけない。納期が延びない案件が重なっている。
「田島、今日は残業か? 何か手伝おうか?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
藤岡の申し出を速攻で断ってしまった。感じが悪かっただろうか。
「そっか。あまり遅くなりすぎるなよ」
案外あっさり引いてくれて安心を覚えた。
もし手伝ってもらったらと思うと、あの女性社員が怖くて仕方ない。
が、藤岡が席を立つ気配がない。
「何かあれば言って? 俺も今日少し残るから」
――胃が痛い。
でも仕事を終わらせなければ。藤岡のことは意識の外に追いやって、目の前の仕事を片付けることだけに集中する。
20時を回った頃、ようやく目処が付いた。 そろそろ帰るか。
「もう帰る? 途中まで送ってく」
どうやらタイムカードを押した後も残っていたらしい藤岡に声を掛けられる。
「あの……」
「行こっか」
また流されてる。
ビルを出ると生暖かい風が頬を撫でる。
「何か食べてく?」
よし、ちゃんと断るぞ。
心に決めて口を開く。
「今日はやめておきます」
「性急すぎたかな。嫌われたくないから今日のところは大人しく引くことにするよ」
藤岡は寂しげに笑った。
駅まで送ってもらって、別れた。
断れた! これは大きな一歩なのではないか。
ふわふわとした達成感の中帰路につく。すると見覚えのある後ろ姿が。
「尾白さん! 今お帰りですか?」
尾白さんはくるりと振り返る。
見返り美人かってくらい美しかった。
「田島さんも今お帰りですか」
「はい。今日は残業で」
そうですか、と尾白さんは私に歩幅を合わせて歩いてくれる。
「そういえば、尾白さんに血を飲んでもらった時、凄く気持ちがよくて眠くなったんですけど、あれ何なんですか?」
ずっと気になっていた疑問をぶつける。
「それが、私にもよくわからなくて。吸血鬼側が酔うことはあっても、吸血された側が酔うなんて話は聞いたことがありません」
「そうなんですね。あの、もしよかったら月一でいいので私の血吸ってくれませんか?」
何の気なしにした提案だったが、尾白は明らかに動揺していた。
「それ、意味分かってて言ってます?」
「?」
「はぁ。やはりわかってませんでしたか。吸血鬼はパートナーからしか吸血しません。よって今の発言は告白に等しいのです。そういう意図はないとわかっていますが、くれぐれも他の吸血鬼に先ほどの発言はしないように」
「すみません。そうとは知らず……。恋人のいる方に失礼を……」
「はい? 私に恋人はいませんが。私が普段飲んでいるのは人工血液です」
「あれ。あまりにお綺麗だからてっきり恋人のひとりやふたり居るものだとばかり。失礼しました」
「本当に失礼ですね。人を浮気者みたいに」
いつも無表情の綺麗な顔が、クスッと笑顔になる。危険なほどに美しい。破壊力抜群である。
「あなたの方こそ恋人はいないのですか? そんなに無防備でお相手はさぞかし苦労されているものと思われますが」
「いませんよ。でも、最近生まれて初めて告白されました」
「……そうですか。お付き合いはされないんですか?」
尾白が伏し目がちに尋ねる。
「それが……会社でも人気の先輩で、もしお付き合いしたら他の女性社員に殺されかねないんですよね。すでに牽制されてますし」
「その方自体は好きではないのですか?」
「いい人なんですけど。女性社員の目のあるところで意味ありげな声で話しかけてくるのは正直やめて欲しいというか」
「それは伝えたんですか?」
「いえ……伝え方がわからなくて。指摘って苦手で。傷つけずに伝えたいんですけど」
「そんなこと言ってたらいつまでも宙ぶらりんのままですよ。多少傷つけてしまったとしても、本当の気持ちを伝えるべきだと思います」
尾白は諭すような声音で話す。
「そうですよね。私、尾白さんに背中押してもらいたかったんです。ありがとうございます」
田島の言葉に尾白がはぁぁと息をつく。
「あなたのそういうところですよ。人たらしというか何というか。発言には気をつけてください。特に男の前では」
「? はい」
「またわかっていませんね。まぁいいです。気持ち、伝えられるといいですね」
では私はここで、と言って尾白は去って行った。
求めていた尾白の叱咤に、勇気が出た。
タイミングを見計らって伝えよう。
決意し家路に着いた。




