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「二人ともおかえり」
オフィスに戻ると、藤岡がひらりと手を振った。
途端に田島に視線が集まる。
最近では、藤岡はむしろ自分のことが嫌いなのではないかと思い始めている。それほどに藤岡は田島に対してフレンドリーなのだ。
「ただいま戻りました」
優香さんと別れてデスクに戻る。
午後分の仕事を仕分けていく。午後もトラブルがないように願いながら仕事を進める。
定時を告げるチャイムが鳴る。
今日は残業なしで帰れそうだ。
「お疲れ様でした」
退勤してオフィスを出る。
ビルから出ようとしたところで後ろから声を掛けられた。
「田島! この後時間ある?」
振り返ると藤岡がいた。
退勤してきた人たち、主に女性社員たちの視線が針のように刺さる。
「あ、はい。空いてますけど……」
もうやめてくれ、と思いつつも嘘がつけない田島は、とっさに答えてしまう。
「よかった。一緒に飯行かない?」
「えっと……」
嘘はつけない。だが行くと答えると殺されそうな空気感の中、田島は固まってしまう。
「ここじゃちょっとアレか。出て話そう?」
藤岡に促されともにビルを出る。
「さっきは人前でごめん。田島とご飯行きたいんだけど、どう?」
予定はないといった手前、断りづらい。断る理由も特に思いつかない。
「はい……」
「ごめんね。困らせてるのはわかってるんだけど、そろそろ意識してもらいたくて」
申し訳なさそうに笑う藤岡の姿に、もしやと思う。
もしや、私のことが好きなのだろうか。いや、まさか。でも、これは。
「じゃ、行こうか」
藤岡にエスコートされ歩く。
頭の中は混乱状態である。
隣を歩く藤岡の顔を盗み見る。すると、ちょうど藤岡もこちらを見ていた。
「どうした? お腹空いた?」
問いかける顔がとても優しくてむずがゆくなる。
「ここ。よく来るんだけど、田島を連れて来たかったんだ」
着いたのはこじんまりとした洋食屋さんだった。
店内は温かみがあり、どこか懐かしさを覚える。
「あら翔太君。今日は一人じゃないのね」
50代くらいの優しそうな女性が藤岡に話しかける。行きつけというのは事実のようだ。「ずっと連れて来たかった子なんです」
「あらぁ。じゃあ気合い入れて作ってもらわないとね」
女性はお茶目に笑って厨房へ入っていった。 田島はいたたまれなさで些か居心地が悪かった。
「ここ、何頼んでも美味しいんだ。おすすめはナポリタンかな」
「じゃあ、ナポリタンで……」
おずおずと答える。
「急に誘っておいてなんだけど、取って食ったりしないから安心して欲しいな」
縮こまる田島を見て、藤岡は申し訳なさそうに笑う。
そうこうしているうちに食事が運ばれた。 給仕の女性の視線が温かくて気まずい。
「いただきます」
手を合わせて目の前のナポリタンを口に運ぶ。どこか懐かしい味で美味しい。
「美味しいです」
「でしょ? 仕事終わりによく寄るんだ」
そう言う藤岡はハンバーグセットを食べている。
料理ももう少しで食べ終わる、という頃藤岡が切り出した。
「もう気づいてると思うけど、俺田島のことが好きなんだよね」
もしやが当たってしまった。
心の準備もできぬままの告白に、田島は完全に硬直してしまう。
「田島が俺のこと全然意識してないのは知ってる。だから今は返事はいらない。ただ、意識して欲しかっただけなんだ」
まっすぐこちらを見つめる視線にたじろぐ。「わ、かりました」
藤岡の顔が見られずうつむく。
「さ、残りも食べちゃおう」
話はここまで、というように藤岡は明るく話題を変える。
残りのナポリタンを口に運ぶも、先ほどの衝撃で味がわからない。
「ふふ。味、わからなくなっちゃった?」
藤岡は愛おしそうに笑う。
「……はい」
「ごめんね。慣れてね」
藤岡はいたずらっぽく微笑んだ。
田島は二四になるが、生まれてこの方恋愛とはほど遠い生活を送ってきた。経験値はゼロである。人から好意を寄せられるのが初めてであるのに、それが人気者の藤岡というのは些かハードルが高いのである。
食事を終えて店を出る。給仕の女性に笑顔で見送られる。
「駅まで送らせて?」
藤岡の声が頭上から降ってくる。
「心配だから、ね?」
答えに詰まっていると念を押される。
「……お願いします」
流されてばかりだ、と田島は危機感を覚える。流されるままに生きてきた田島にはどう躱せばいいのかまるでわからないのである。 意識して欲しい、と言われても。
確かにこれから意識することにはなるだろうが。その先が全くイメージできない。
あれこれと悩んでいるうちに駅に着いた。
「あの、ありがとうございました」
早くこの場から立ち去りたい。ひとり落ち着いて考えたい。
そんな気持ちのまま藤岡から離れようとした。
「田島。また、明日ね」
藤岡の声が甘く響く。
「はい……」
走り出したい気持ちを抑えて改札をくぐる。 どうしよう。告白されてしまった。
今になって現実が押し寄せてくる。
電車の中では青くなったり赤くなったり忙しない。
最寄りで降りる。
自宅までの道を足早に歩く。
……ドンっ
下ばかり向いて歩いていたせいか、前を歩く人とぶつかってしまった。
「すみません! 前見てなく、て」
顔を上げると見覚えのある顔があった。
「あなたは昨日の……」
昨夜の吸血鬼の男性。
「昨日はありがとうございました。無事に帰れましたか?」
「あの、途中から記憶がなくて……でも朝は玄関で起きたので帰ることはできてました」
「玄関で寝たんですか……ちゃんと鍵は閉めましたか?」
男性はため息交じりに尋ねた。
「はい。鍵は閉まってました」
「あなたはかなり無防備ですから、心配です」
それに関しては、お昼に優香さんに指摘されたばかりである。
「はい……反省してます」
「……ところで、このあたりに住んでるんですか?」
「? はい。家は――」
「ストップ。言ったそばからあなたは……。名前も知らない相手に家を教えてはいけませんよ」
男性はあきれた様子で眉間をつまんだ。
「そういえば、お名前知らなかったですね。私は田島響子と申します。お名前お伺いしても?」
「……尾白雪加です。言っておきますが、名前を知った程度で気を許してはいけませんよ?」
「でも尾白さんいい人じゃないですか」
「何を根拠に?」
「今だって私にお説教してくれてるじゃないですか」
「お説教ですって?」
尾白は眉をピクリと上げる。
相変わらず綺麗な顔だな、と田島は思った。
人を寄せ付けない美しさの割に、なぜだか話しやすさのある、不思議な雰囲気の人だ。
「とにかく、あなたはもっと危機感を持つべきです」
「わかりました」
「本当に?」
「努力はします」
尾白の疑わしげな視線に、目をそらして答える。
「こんなに危なっかしい人は見たことがありません。きちんと自衛してくださいね。では」
尾白はそう言って去って行った。
「尾白さん、絶対いい人だよなぁ」
お節介な性格と見た。あの美しい顔にして案外苦労人なのかも知れない。
尾白と話してるうちに、藤岡からの告白への動揺は少し薄れた。
尾白の言うように「自衛」をした方がよいのかも知れない。流されるままではなく。




