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「私、昨日どうやって帰ってきたんだっけ」
倒れてる吸血鬼のお兄さんに血を分けた後の記憶がはっきりしない。
玄関で目を覚ましたのは初めてである。鍵はかろうじて掛けていたようだ。
「吸血されると記憶飛ぶのかな」
田島はそう結論づけると急いで身支度を整える。今日も仕事なのである。幸い遅刻は免れそうな時間ではある。
――それにしても昨日のお兄さん、綺麗な顔してたな。モデルさんだったりするのかな。
田島はそんなことを考えながら、服を着替える。
出勤準備が整い、玄関を出る。
いつもより体が軽い気がする。不眠症になる前の様な、すっきりとした目覚めだったからだろうか。
「毎日吸血してもらえたら、毎日すっきり起きられるのかなぁ」
薬いらずの生活を少しだけ妄想しながらいつもの道を歩く。
昨日の出来事は、田島にとって非常に達成感に満ちたものだった。田島は常日頃から献血ができない己の体がもどかしくて仕方がなかったし、申し訳ない気持ちでいっぱいだったからだ。持っているのなら分け与えるべきだという思想の田島は、働き始めてからは毎月募金を欠かしたことはなかったし、レジのお釣りは必ず募金箱に入れている。だからこそ、体の中に沢山の血があるのに、必要とする人に分けられない己の体が憎かった。昨日は初めて自分の血が人様の役に立ったのだ。
「薬飲んでても問題ないのなら、吸血鬼の方向けの献血があればいいのにな」
それなら自分でも役に立つのに、と独りごちる。
「おはようございます」
オフィスに到着し、挨拶をするとちらほらと挨拶が返ってくる。田島はいつも早めの出勤なのでそれより早く来る人は少ないのだ。 デスクに着くと、納期の短い順に並べた仕事に取りかかる。
「田島今日は顔色いいな。何かいいことでもあった?」
先輩社員の藤岡が向かいの席から尋ねてくる。
しかし、昨日の出来事を端的に話すのはなかなかに難しい。その上一部記憶もない。
「今日はすっきり目が覚めたんですよ」
そうなった過程は一切合切すっとばしはしたが、事実である。
「へぇ、良かったじゃん」
藤岡はふっと笑って自分の仕事に取りかかった。
他の女性社員の目が痛い。藤岡は仕事ができてルックスもよく、女性社員からの人気が高いのだ。噂では現在彼女はいないらしい。 デスクが近いということもあり、よく藤岡に話しかけられる田島としては、どんなにイケメンであろうが彼女になろうものなら針の筵だろうなとしか思わない。現によく話しかけられるというだけで先輩方の目が痛い。 痛い視線には気づかない振りをして仕事を進める。
午前中はたいしたトラブルもなく順調に仕事が進められた。
「響子、お昼食べに行こう」
昼休みを知らせるチャイムとともに声を掛けてきたのは、先輩社員である優香さんだ。
「はい」
デスクの上を軽く片付けて席を立つ。
「相変わらずこの席は視線が痛そうね」
優香さんは田島に耳打ちする。
「まぁ、そうですねぇ。できることなら席替えしたいですね」
平和に仕事するために。
「席替えとなると藤岡さんの近くは争奪戦でしょうね。そう考えると藤岡さんに興味ない響子が近くにいた方が女性社員一同としては安心かもね」
「私は全然安心じゃないです……」
いつものパスタ屋さんでランチをすることになった。
「実際どうなの、藤岡さん。超優良物件じゃない。この際お近づきになっちゃいなさいよ」
優香さんは田島の腕をちょんちょんと小突く。
「いや、私まだ死にたくないので」
「響子は平和主義だからねぇ」
「優香さんこそどうなんですか、藤岡さん」
「私は彼氏一筋だから」
「それもそうですね。私も恋人作れば少しは視線弱まりますかね?」
「あら、気になる人でもできた?」
そう尋ねられ、昨夜の男性が頭に浮かぶ。
「少し気になってる人はいますね」
「いつの間に! 聞かせて聞かせて!」
目を輝かせる優香さんに、昨夜の出来事の顛末を話す。
「前々から思ってはいたけど、響子。あんたには危機感ってものが足りてないのよ。危ないじゃない、知らない人の前で記憶なくすなんて。何もされてないでしょうね?」
半ば覚悟はしていたものの、案の定優香さんに叱られてしまった。
「優しくて丁寧な方だったし、多分大丈夫だと思います」
「全く……で、その人が気になるの?」
「はい。でもとても綺麗な方だったので、きっと恋人はいますね」
うん、とうなずきながら田島は答える。
「藤岡さんを見慣れてる響子が綺麗っていうほどなら、確かに顔は見てみたいわね」
「モデルとかやってそうでした」
「縁があればまた会えるかもね。でも、気をつけなさいよ? 夜に、知らない人と、二人っきりにならないこと!」
「はぁい」
危なっかしいと言われがちな田島にとって優香さんは姉のように諭してくれる存在なのである。




