第2話 アナハイドとポチータ
『新大陸の調査に踏み込んだ国連異質調査機関F・E・T・Sによる異世界問題に対する業績が認められた現在、我がイーグレットにも事務所が建設されることが決定し——』
ラジオのニュースが流れる喫茶店には客がほとんどいない。
というのも外観が草木で生い茂っていて、もはや廃墟にしか見えないからだろう。
そんな知る人ぞ知る喫茶店で、茶髪の少女は一人、コーヒーの苦みを楽しんでいた。
外の景色へチラチラと目を向けるたびに、頭頂部から生えた耳が揺れている。
人間の耳とは違う。たれ耳のドッグイヤーだ。
彼女は獣人であった。
異世界から渡航してきた新人類の獣人。
「ういーっす。マスター? ここに犬耳の子供来てるー? なんつうかポチって名前つけたくなる見た目の~」
人がせっかくコーヒーを楽しんでいるというのに、この静かな幻想空間がガラリと崩れ去った気がした。
アナハイドの登場である。
マスターは瞳を閉じたままグラスを拭きつつ、少女の方へ顎をしゃくる。
アナハイドは窓際に座る少女に顔を向けて、大声で——
「おー。ポチータ。そこに居たのか。相変わらずちっこくてどこにいるのか分かんなかったぞ」
大手を振って前の席へと座るアナハイドを、ポチータは不機嫌そうに見やる。
その様子が彼からすれば不思議だったのだろうか。
「ん?」と首を傾げているのだが、ポチータは思った。
こいつは人の気持ちを全く考えないクソ野郎なのだろうと。
「どうしたポチータ。来てやったぞ? おーい」
ワシワシと無遠慮に撫でてくるアナハイドの手を、ポチータは払いのける。
どうして不機嫌なのかと言えば——
「大きい声で話すんじゃないよ。周りへの迷惑を考えないのかな君は」
「んあ? んだよ。どうせガランピンの潰れかけの店だぞ? ここ」
遠慮なしに言ってのけるアナハイドの言葉に、おっかなびっくりしたポチータは寡黙なマスターへ目を向けると、ギロリと案の定こちらを睨んでいた。
あはは、どうもすみません……。と小声で呟くように会釈しつつ、ポチータは目の前のクソ野郎の頭を全力で殴ってやった。
「ってぇな! なにすんだ」
「この馬鹿! 場を考えてくれよ。なんでおいらが謝らなきゃいけないんだよ」
「謝る? なにに?」
「マスターにだよ!」
「んあ?」
アナハイドが気だるげにマスターへ顔を向ける。当然マスターの不機嫌そうな顔がその目に映ったはずなのだが——
「んだよ。マスターは機嫌良いじゃねぇか」
「どこがっ!」
どこからどう見てもマスターのご機嫌は、0から100の単位で表すとすれば-100だ。下限突破だ。
この男、自分にとって都合のいい話や事実しか受け取れないのか。そういう人間なのだろうか。ポチータは我が相棒ながら、えらく真剣に頭を悩ませる。
そんな悩みのタネであるアナハイドが、テーブルの上に白い粉の入ったポッチをドンと置いた。
「ほれ。これが今回の収穫」
「ちょ、ちょっと」
ポチータは慌てて回収し、懐に仕舞い込んだ。
これでは怪しい取引現場である。
だがこの粉を衆目に晒すのはよろしくない。
そんな当たり前の常識を持ったポチータなのだが、アナハイドには当然ないのだろう。常識が……。
「誰かに見られたらどうするんだ!」
「どうせ見てねぇって。大体、人のテーブルを覗き見するアホみたいな客を見たことあるか? 俺は見たことないね。まあ俺は全然見ちゃうんだけどな」
言ってアナハイドは、この客足の少ない喫茶店の中にいる唯一の客のテーブルを見る。
おじさんが読んでる雑誌の中身を見て、鼻の下を伸ばし始めた。
ポチータも何があるのかつい気になってしまい、同じ方向へ目を向けるが——
「ぶっ!?」
女の裸体がそこに写っていた。
ダイナマイトボディの金髪レディが。生まれたままの姿で……。
「な、何を見てるんだ!」
「え? 周りの客」
「エロ本だろ!」
大きな声を出したのはポチータだ。
エロ本という叫びは当然、雑誌を読んでいたおじさんの耳にも入ったようで、こちらを訝しげに睨みつつ、喫茶店から退散していってしまう。
数少ない客が減った。その事実にマスターの機嫌はさらに急降下。
「俺は悪くないぞ」
「君の所為だよ!」
げしっとテーブルの下で、ポチータはこのクソ野郎の足をかかとで踏みつけた。
「いってぇな。俺は仕事終わりの疲れた体だぞ? もう少しいたわってくれよな」
「だったらもう少しおいらの気持ちも考えてほしいもんだけどね」
「なにぷんすか怒ってんだ……。思春期?」
「ふんだ!」
アナハイドは溜息をついた。
まあいい、と彼はマスターにコーヒーと灰皿を注文し、取り出した煙草に指パッチンで火をつける。
「んで。証拠の押収は完了した。あとは例の組織についてだが——」
「その件だけど、残念ながらおいらたちは外れることになったよ」
「はあ!? なんで?」
「上からの命令」
コーヒーを涼しげに啜りつつ、ポチータが言った。
だがアナハイドはその現実が受け入れられないと席を立ち上がり、ポチータに怒鳴るように言葉を浴びせ続ける。
「命令って……。それじゃあ俺のさっきまでの頑張りは? そいつを回収するために何か月苦労したかお前も知ってるだろ!」
「知ってるよ」
「だったらなんでそんな涼しい顔してられる。今回の任務はかなりの山だから報酬も期待できるって喜んでたのはお前じゃないか!」
「そうだね」
「だったら——」
「だーかーら!」
ポチータはコーヒーカップを叩きつけるように置いた。
中のコーヒーがテーブルの上に跳ね落ちるほどに強く。
「上からの命令だって言ったろ! なんでも? 君の素行が荒すぎて表の警官隊にブラックリストに入れられちゃったみたいなんだよね!」
「ブラックリスト? おいおい。名誉市民リストの間違いじゃないのか?」
「君のどこが名誉市民だって?」
事件があるたびにチンピラたち相手に戦っては街を荒らしたり。
カーチェイスならぬ箒チェイスでは商店街の商品を吹き飛ばしてクレームが殺到。
あまつさえ支給された備品は全て当然のように破損させる。
今回の白い粉の調達だって、ポチータの耳にはアナハイドが街中で大暴れ中だと、表の警官隊からの無線が入っていた。
「いくらおいらたちがどんな手を使っても事件の解決が許された存在だからって限度があるんだよ! 君は! やりすぎ! 分かる? や・り・す・ぎ! なの!」
「オナニーの?」
しこしこと右手を動かすアナハイドに——
「誰が自慰の話を今したぁっ! 興味ないよ!」
ポチータはブチギレた。
「おっと、そいつは悪い」
全っ然悪びれもせず、アナハイドはぷかぷかと煙草の煙を天井目掛けて吐いた。
輪っかがうまく作れたのか、彼はにっこりと微笑んでいる。
もはや呆れるばかりのポチータ。
だがこんなでもパートナーなのだ。
「俺の素行が悪いから担当を外されたって認識で良いんだな」
「そういうこと。だからまた新しい仕事を探さないとだ」
「嫌な仕事だよなぁ。上から振られるわけじゃない。自分たちの足で仕事をもってこいだなんてさ」
「その足で拾ってきた大きなヤマを君の暴れん坊スキルで台無しにしたんだけどね」
俺が? なんのこっちゃ。と肩をすくめるアナハイド。
もはやポチータは突っ込まない。無駄に突っ込んでも体力を消費するだけだ。
「まあ、とりあえずは当分休日だね。数か月分の有休を君も謳歌したらどうだい」
「そうだなぁ」
アナハイドは別に金に困っているわけではない。
この仕事は稼ぎが良い。
所持金だって貯金だってかなりの余裕がある。
どれぐらいかと言われれば、一軒家を一括で二軒購入できるぐらいには。
「ただこの物は捜査部に預けておく。それが今回の任務だ。お金もその分は入ってくるだろうから、タダ働きにならなくてよかったね」
席を立つポチータにアナハイドは——
「解散か?」
「うん。とりあえずは今日のところは解散。また何かあれば連絡するから」
「あいよ」
それだけ言い残して犬耳少女のポチータは不機嫌そうに店を出て行った。
残されたアナハイドは、彼女と入れ違いでやって来たコーヒーを飲みつつ外の景色に目をやる。
外は今日もクラシックウィザード連中が慌ただしく空を飛び回っていた。
なんとも平和な光景だ。
そう思いながらコーヒーを一口すすると——
「にっが!」
なんだかいつもの数倍は苦いコーヒーの味に、思わず顔が歪んでしまった。
マスターは笑っていた。
どうやら相当お怒りを買ったようで、マスターに苦みをプラスされたらしい。
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