第1話 秘匿調査員アナハイド・マクレガー
「待てゴラァ!」
「誰が待つかよ」
大魔法帝国イーグレット。
旧イギリスの雨上がりの街の中を、箒に跨る警官隊が、同じく箒に跨る一人の男を追いかけまわしていた。
商店街のバザーの中にその男が箒ごと突っ込むと、店に並べられた商品が風で飛び散り、バザーを行き交う人々が迷惑そうに彼らを見、店主が怒鳴り声をあげる。
逃げる男は飛び散ったリンゴを拾い上げ、一口しゃくりと頬張った。
「うまいな。何処産だ?」
警官隊から逃げているという状況にもかかわらず、この男は余裕そうにリンゴの旨さに目を輝かせて、もう一口頬張る。
それを後ろから見ていた警官たちは苛立ったのか——
「この野郎……。お前が街中で暴れたって証拠は上がってんだ! 魔法無許可使用と傷害罪の現行犯で逮捕だ逮捕!」
「部長! 今ので窃盗罪も追加です!」
「見りゃわかる! いちいち揚げ足取ってくんなクソ野郎!」
警官同士仲が悪いのだろうか、それとも部長と呼ばれた警官の機嫌がかなり悪いのか。
男はやれやれと呆れ顔で笑い、リンゴの芯をプレゼントとばかりに放り投げる。
それが見事、部下に怒鳴る部長の頭に命中。
男は「ナイスショット」とベロを出して加速する。
「こ、このぉ! 馬鹿にしやがって! お前たち回りこめ!」
「「はい!」」
イーグレットの街並みはイギリス時代の名残の近代的な都市構造でもあるのだが、異世界ハイネルの魔法文化を取り込んだ影響で、産業時代のような風景も混ざった歪なものだ。
そしてツギハギにツギハギと道路と建物を結び付けた歩道は細く入り組んでいて、まるで迷路のよう。
男はそんな細道に回り込み警官隊を巻こうとしたが、もちろん警官隊も馬鹿ではない。
この街を、国が生まれ変わった時から見守り続けた市民の正義の味方であり、良き隣人なのだ。
どれだけ複雑に入り組んだ道であろうとも、何処と何処が繋がっていて、どこを通れば男を追いつめられるか把握しているわけだ。
そして男が回り込んだそこは行き止まり。
少なくとも警官部長はその事実を記憶していた。
はずだった。
「なっ!?」
「いない……」
先回りした部下、追いかけて曲がり角を曲がった部長。
道は一本のみで、周りに店の入り口はない。
窓はあるようだが、割って侵入した痕跡もなければ、中の何者かが招き入れたような気配もない。
ただ一つあったのは——
「下だ! 野郎マンホールを使って逃げやがった! 追うぞ!」
「げ、下水道にですか!?」
「なに躊躇ってやがる! 追うんだよ! それが仕事だろうが!」
「ぶ、部長~。流石に下水道は……。パワハラで訴えますよ?」
「犯罪者を前にしてなにがパワハラだ! 職務怠慢、クソゆとり共が! 四の五も言わずにとっとと追いかけやがれ!」
部長は開けたマンホールの中に部下たちを足蹴にして詰め込んでいく。
いやいやながら部下たちは下水道へ、最後の部長もマンホールに入っていく姿を——
「けっけっけ。あいつら馬鹿だなぁ」
男は上空から煙草を吹かして眺めていた。
いくら時代がファンタジーに染まったからと言って、人間が簡単に適応できるはずがない。空飛ぶ魔法の箒に跨っていながら、あの警官たちは依然として地を走る警官のままなのだ。
「時代に適応できなきゃ。この先も真っ暗だよなぁ」
吸い終わった煙草を握りつぶしてぽいと投げる男は、同業者達に哀れみの目を向けつつその場を飛び去る。
空は曇り模様。下からは蒸気が雨の蒸発する香りと混ざって、酷い臭いで満ちていた。
人々の賑わいと喧騒を眼下に、男は懐から取り出したパッチに入った白い粉を訝しげに見る。
「取引現場を強襲して証拠を押さえたら、まさか警邏隊が偶然通りかかるなんて運も悪すぎだろ……。ってかポチータ。お前がこの時間は大丈夫だから存分に暴れていいって言ったんじゃなかったか?」
『そのはずだったんだけど、あっれぇ……。おかしいなぁ。おいらが見た警官隊のスケジュールだとたしかに……ってありゃ? これ半年前のだ!』
「半年前ってお前なぁ。もうちょっとまともに仕事できないのか?」
『なに? おいらが不真面目に仕事をしてるって言いたいのかな君は? 大体おいらがミスするのだって君の所為だからね? 何日寝ずに働かせ続けるんだって話だよ。もう6日だよ? ショートスリーパーもびっくりな一日5分睡眠だよ?』
ギャーギャー男の耳に煩く響く声。
そんな男の周りには何もない。
あるのは空と下から立ち昇ってくる蒸気のみ。
勿論人の姿も、魔法使いらしい使い魔もいない。
ただ声だけが男の耳に入ってくる。
風魔法を利用した通信。
どこか別の場所にいる人物が発した音を風にのせてお届けするという、シンプルでありつつ使用には複雑な計算が必要な上級魔法。
今の時代インカムを使えばいいと男は思うのだが、このポチータ曰く、インカムは盗聴手段も豊富だからと頑なにこの使い勝手の悪い魔法を奨めてくるのだ。
『まあいいや。ミスはミスだしごめんね。でもちゃんと情報通り現場の取引を押さえる事が出来ただろ?』
「まあな」
白い粉。それを懐に仕舞い直して男は箒を握る。
『ホール内物質を加工して新たな薬物を作り出したこの国最大の膿。サイフォス。やっと奴らの尻尾を掴んで物を手に入れた。これでいったい何をどう加工したのかも調べる事が出来るね。ってアナハイド? ちゃんと発信機も着けてくれたんだろうね』
「もちろんだ。俺を誰だと思ってる? こう見えて俺はもともと下町で闇の盗人アナハイドって名で通ってたんだぜ。誰にも気づかれずに目的を果たすなんて余裕余裕」
『闇の盗人の癖に名が通ってたの? 全然闇じゃないじゃん。大体君が昔犯罪に加担してた話なんて聞いたこともないけど……。確か前は地下闘技大会の覇者とか言ってなかった? それが1年前だろ? いやいや、ってか待って。君の出身はカタルスだったよね!? あそこ都会じゃん! 下町じゃないじゃん!』
「あれ? そうだっけか? いやぁ歳は取りたくないもんだな……」
『君の年齢はまだ23だろ!』
はっはっはっと笑うアナハイド。
彼は先ほど撒いた警官隊とは別の部署の警官だ。
といっても秘匿された部署だから、彼らには一般人にしか見えないわけだが。
アナハイド・マクレガー。イーグレット警察秘匿調査員。
ホール、または異世界に関わる未解決事件をどんな手を使ってでも解決に導く若手調査員だ。
彼は今手にしている薬物を製造する闇組織を追う案件を請け負っているのだが——
「まあお堅い話はあとにして、とりあえず合流だ合流。ポチータ。お前何処にいる?」
『まったく……。今? おいらは今イースト通りにある喫茶店にいるよ。って店の名前を教えなきゃだね。って……ここはなんて店だっけ……。えー。雑草の生い茂ったちょっと古い建物なんだけど——』
「あー。はいはい。喫茶アイボリーな」
『ん? なんでわかったの? いや待って、まさか君!? 仕事サボってこの店に来たことがあるとかそう言うんじゃないだろうね!』
「そんなこと……ナイヨ?」
『声が裏返ってる! おいらが寝ずに一生懸命仕事してるのに君ってやつはぁ——』
うるさくなってきたので、アナハイドは指を振って風魔法を使用する。
風魔法による通信を遮断する手段はないのだが、妨害する手段はある。
まあ風魔法なのだから、この場に流れている気流を少し乱せば——
「ふぅ。これで静かになった」
ポチータの文句もキレイサッパリだ。
きっと彼女の声はこの風の中を虚しく響かせていることだろう。
そんな遠い目をしながら、アナハイドは箒をアイボリーへと向かわせたのだった。
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